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日蓮大聖人・池田大作

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「壮年部の日」記念合同勤行会 人間の実相見つめる仏法

1986.8.21 「広布と人生を語る」第10巻

前後
8  私も五十代の終盤を迎え、明後年には六十歳となる。また、ここに参集された皆さま方も、信心と人生の年輪を重ねられ、残念ながら”紅顔の美青年”では、すでになくなっているようだ。(笑い)
 しかし、若き日の瑞々しさがなくなることは、やむをえないとしても、心の若さは失ってはならない。同じ壮年の世代には、時代の風潮に染まって”我欲”の生命にとらわれてしまう人もいるが、皆さまにおいては、けっして若々しい生命力を後退させてはならない。
 揺るぎない信念をもち、広布の使命に徹して生きゆく人は、何歳であろうとつねに若々しい心を失わないものだ。私どもには、未来への希望ともいうべき、数多くの後継の友がいる。そして、この若き後輩たちを広宣流布の大道へといざない、立派な広布の後継者へと育てゆくのは、先輩である私どもの責任である。ゆえに広布の舞台にあっては、どこまでも青年とともに歩み、青年を豊かに薫陶し育成しゆく”青年の心”をもった壮年・婦人であっていただきたい。
9  先日、長野研修道場に滞在していたとき、地元紙の「信濃毎日新聞」に掲載されている「山ろく清談」を読んだ。そこに棋界の大山十五世名人の次のような言葉があった。
 「勝負の際、闘志や集中力、根性などいろんなことが言われる。一番大事なことは、どんな情勢になっても思ったことを胸に秘め、耐え抜くことです。おしゃべりやよそ見で、ストレスを発散してはいけない」と。
 これは、人生の苦難や重大な時期に直面したとき、その重圧や苦悩に耐えて、未来へ道を開いていく強い生命力をもつことが大事だということである。ともすれば人間は、そうしたとき、他に逃げ道をさがそうとするものだ。それが愚痴の言葉となったり、自分のやっていることへの疑問の心となることもある。また、不満をはらすためや自分の弱さを正当化するおしゃべりに逃げ込んだりする。そうした逃避は、けっして問題の解決とはならず、逃げているだけである。ここに「おしゃべりやよそ見で、ストレスを発散してはいけない」との大山氏のいわんとする本意があると思う。
 われわれが持っている妙法は、人間としても、また社会人としても、立派に人生を飾っていくための法である。この意味からも皆さま方が、見事なるゴールインで生涯を飾るためにも、途中で愚痴や疑問の”おしゃべりの遊び”に座り込んで歩みを止めたり、横道にそれるようなことのないよう、お願いしたいのである。
 ともあれ、お一人お一人が、人生の最終章まで、人生の根幹である信心を深め、妙法の舞台を広げながら”広布の戦士”としてこの壮年時代をたくましく生きぬいていただきたい。

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