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第二回SGI世界教育者会議 平和と幸福へ「知識」と「知恵」の融合(メッセージ)

1986.10.3 「広布と人生を語る」第10巻

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4  第二に「知識」と「知恵」の融合ということであります。「教育の目指すべき道――私の所感」のなかでも若干ふれましたように、知識と知恵をどう融合、調和させていくかということは、教育の世界のみならず、試練に立つ現代文明そのもののかかえた、最大の課題なのであります。
 かつて、哲学者の三木清は、倫理学の本から肝心の幸福という項目が姿を消している奇妙な現象に論及したことがありますが、人類の幸福とは無関係な、それどころか不幸の方向へ加担しているとしか思えないような知識の独り歩きは、いっこうに速度をゆるめようとしておりません。
 たしかに近代科学の発展が知識の追求をバネとしてもたらされてきたことは歴史の示すところであります。しかし、大人のみならず、中学生を対象とした調査等でも、近代科学の進歩がけっして人間の幸福をもたらさないという見方が圧倒的に多いのであります。核兵器や公害等を目の前にした率直な実感でありましょう。
 そうした現状を知るにつけ、「人間いかに生くべきか」「何のために学ぶのか」等の問いかけを、忘れてはならないと思うのであります。それらの問いは、知識をいやおうなく知恵に結びつけ、人類の平和や幸福すなわち価値創造に貢献しうる、豊かな人格形成を可能ならしめるからであります。教育の場に即していえば、学ぶ意味を問いつづけるところからは、知識のみ豊富でも人間的にはひとりよがりで心の貧しい、いわゆる”受験秀才”などは、けっして育ってこないでありましょう。
 東洋の哲学や宗教の特徴は、知識というものが、つねに知恵に関連づけられて論じられてきた点にあります。言葉をかえれば、いかなる知識体系といえども、「自己」もしくは「自己の生き方」に即して、主体的に問いつづけられてきたのであります。皆さま方が日夜、信行学にいそしんでおられる日蓮大聖人の仏法にあっても、「無量義とは一法より生ず」「八万四千の法蔵は我身一人の日記文書」等と仰せのように、知識と知恵との相即相関関係は明らかなのであります。
5  もとより、宗教を直接的に教育の場へもちこむことは、厳に戒めるべきですが、知識をどう知恵と融合させるかということは、教育の最大の課題として、寸時も忘れてはならないと思うのであります。
 ともあれ、本年は国連の「国際平和年」であります。世界を愛し、平和を愛する英知あふれる青少年の育成に、教育にたずさわる多くの方々が全力をあげて取り組んでいかれるならば、人類の平和は盤石になると信じております。皆さま方のますますのご活躍によって、世界をうるおす人間教育の波がどこまでも広がっていくことを心より期待しまして、一言、ごあいさつといたします。

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