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日蓮大聖人・池田大作

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第十三回伸一会総会 広布と信心の責務を自覚

1986.7.31 「広布と人生を語る」第9巻

前後
9  南条時光に与えられた「上野殿御返事」の追伸に「人にあながちにかたらせ給うべからず、若き殿が候へば申すべし」と仰せられている一節がある。
 この御文について日亨上人は「中年老年の者は謗法の毒が髄まで廻わっている。一寸、法華の新義を嗅ぎ附けても顰蹙する。悪口する。迫害する。但では通さぬ。青年は毒気が薄いから仏法の理非が解かる。老人は相手になさるな。少年の殿の腕では、却って危険である。冠者原(若者)には話して御覧なさいと親切な御注意である」と述べられている。
 これは折伏の相手についての御教示であるが、中年・老年と若者との生命状態の違いを示されている。
 年をとってくると、どうしても心が濁り、我見でものごとを自分のつごうのよいようにみてしまいがちである。それに対して、青年の心は清らかであり、みずみずしい生命をもっている。信心の話もぐいぐいと吸い取っていく。ここに、年を経ていくにつれて陥りやすい生命の根本的な傾向性があることを知らねばならない。
 皆さま方は、今やその年齢に入っている。信心にあっても、組織上の立場にあっても、また人生の途上にあっても、曲がり角にきているといえよう。それを、どう確固として乗り切っていけるか、また、いくか。乗り切ることのできた人こそ、広布と信心にあって、後世の歴史に永遠に名を残す人となっていけるのである。
 その信心の栄光は、自分自身のみでなく、子孫末代にまで福運、功徳となって輝いていくのである。ここに仏法の因果があり、勝負がある。それを知らず、目先の利害にとらわれて要領よく生きたり、少々の生活苦などのためにうまく立ち回って信心の世界から離れてしまえば、自分自身はもちろんのこと、子孫末代まで苦しい思いをさせることになってしまう。
 皆さま方の年代、立場は、たいへんに重要な存在でありながら、ある意味でもっとも利害にさとく、慢心になり、ずるく卑しい心が出てくる傾向性があるといってよい。それに負けて、信心の道をふみはずすようなことがあっては絶対にならない。
 六十、七十歳への人生はあっという間である。そのときに、子供に迷惑をかけ、頼むべき友人もなく、退転者の悲しき名を残して寂しく人生を送るような姿となっては、これほどみじめであわれなことはない。そのような敗北者になってほしくないがゆえに、きょうは一つの戒めとして申し上げたのである。
10  最後に「伸一会」として、たとえば春夏秋冬の年四回、信心錬磨と成長の集いを行うなど、みなで十分に協議しつつ、人材グループの先駆としての証明をしていただきたい。皆さま方の責任と使命に立った、ますますの活動と前進をお願いしたい。また一人ひとりが各界における立派な「将」、
 指導者に成長していただきたい。

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