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日蓮大聖人・池田大作

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「初代会長牧口常三郎先生誕生日」記念勤… ”大理性””大感情”の人に

1986.6.6 「広布と人生を語る」第9巻

前後
7  開目抄の「愚人にほめられたるは第一のはぢなり」との御文は、日蓮大聖人の仏法を広布せんと念願する牧口先生が、つねに座右の銘とされていた御金言であった。
 ゆえに、無認識と悪意に満ちた雑言を信じ、自分のエゴと名聞名利で右往左往する姿があるなら、それは恥ずべきことであり、まして正法に殉教された牧口先生の兵の門下とはいえないのである。
 牧口先生は、この「開目抄」の御文どおり、大聖人の仏法のためならば、いかなる非難、迫害も恥ではない、との決意に立ち、一身をなげうたれたのであった。
 私は戸田門下生であり、牧口門下生ではないが、御本尊と広宣流布のためならば、いかなる非難、迫害も恥ではないとの牧口先生のご精神のとおりに実践してきたつもりである。その意味からいうならば、牧口先生とも人生のうえにおける師弟不二であったと確信している。この強力な決意と実践がなかったら、広宣流布という尊い聖業を推進しゆく創価学会の第三代会長としての重責を担い立つこともできなかったであろう。
 また戸田先生は、牧口先生について「聖人にはめられたるこそ第一の光栄なりとのご信念にもとづいて、妙法の広布のゆえに牢獄の露と消えられたのである。日蓮大聖人の仏法を信ずる者にとって、これこそ第一の亀鑑であると信ずる」と述べられ、偉大な人生の師である牧口先生を称讃されるとともに、弟子としての道を全うされようとするご決意を披渡されていた。
 この戸田先生の精神を、皆さま方も深く肝に銘じていただきたい。
8  どうか牧口先生にご縁のある方々、戸田先生にご縁のある方々、ならびに私にご縁のある方々は、すべては牧口先生、戸田先生が歩んでこられたなかに仏法実践の真髄があることを忘れず、またそれが人間としてもっとも尊い大道であることを確信していただきたい。そうした皆さまのお姿を、どれほどか牧口先生は喜んでくださることか、いな日蓮大聖人もかならずやお喜びくださることであろう、と申し上げておきたい。

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