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日蓮大聖人・池田大作

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学会本部常住御本尊御下付35周年記念勤… 妙法は悲劇の歴史から幸福の歴史へ

1986.5.18 「広布と人生を語る」第8巻

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6  「生死」ともに妙法のリズム
 摩訶止観に「起は是れ法性の起・減は是れ法性の滅」と述べられている。
 この文の「法性」とは妙法蓮華経の意味であり、「起」すなわち生も、「滅」すなわち死も、ともに妙法蓮華経の「起滅」であるということである。
 妙法を信受し、妙法を唱え、妙法を実践していく姿――三世永遠にわたって妙法とともに生きぬいていくことが、無上の幸福と生命充実の歩みなのである。
 つまり個人の人生、「生」の姿でいえば、これ以上はないという生命の満開の人生を満喫していくことができる。小は一細胞から、自己の全生命、生活はもちろん、一族、国土をもつつみこんで、瞬間、瞬間、妙法のリズムに融合した、かぎりない生命の開花と躍動と充実がある。すべてが最大限に生かされ、何ひとつムダがない。これが「起は是れ法性の起」という法義の証の人生といえよう。
 そして、一日の使命を終えた夕日が荘厳に燃えつきていくように、やがて「死」の時を迎える。これも「減は是れ法性の滅」で、もっともふさわしい時に適合した、もっともふさわしいリズムで、次の新たな躍動の生命への出発をしていくことができる。
7  すなわち、すでに今世の使命を果たした以上、疲れた色心を、死によって、今再びはつらつとした生命とし、人生を満喫していった方がよい――という、まさにその時に、まことにしぜんに、この一生を終えていくことができるわけである。
 たとえ表面的には、病をえ、またさまざまなかたちの死であったとしても、妙法とともに生きぬいて一生を飾った場合には、「法性の滅」の法義にのっとって、心から安らかに、後事の憂いもなく、永遠の生命の躍動のために、充電の眠りに入っていけるわけである。そして、ふたたび御本尊の御許に生まれてきて、自分の希望のとおりの、もっともふさわしい次の使命の人生をスタートしていけるのである。
 ゆえに、御本尊から離れてはならない。もし、御本尊から離れるようなことがあれば、事のうえで一念三千、十界互具の当体ではなくなってしまう。
 その意味からも、最後まで退転することなく、南無妙法蓮華経を唱え、自行化他にわたる生命の活動を推進していくことが大切である。妙法につらなった人には、けっして損はない、ムダがないのである。すべて、妙法のカによって活かされていくことを確信していただきたい。

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