Nichiren・Ikeda
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第一回章城会大会
妙法に殉ずる人こそ賢人
1984.11.1 「広布と人生を語る」第6巻
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2 難があると、多くの人が疑い、批判し、退転していくものだが、信心の目でその本質を鋭く見ぬいていくならば、ひとつも動揺する必要はない。
ともあれ、現象面に左右されるのは、愚かなことである。「あの人が出世した。
あの人が幸せそうにみえる。あの人は役職が高い」などと現象面に目をうばわれているようでは、妙法広布の信心の金の柱とはいえない。
私どもに対する策謀も、ウソでぬりかためた悪意に満ちたものであった。ウソは一遍つくと、二十、三十と新しいウソをつかねばならなくなるものである。そうしたウソの言論に惑わされることなく、ひたすら広宣流布のため妙法のために殉じていく人が、真の信仰者であり、賢人である。
3 為政者は時とともに、代わる。代わらないのは民衆が存在するという事実である。まったく次元は違うが、代々会長か代わっても、仏子である学会員は妙法とともに不滅である。その仏子たちをいかに幸せならしめるかが、リーダーの課題であることを、けっして忘れてはならない。
日蓮大聖人御在世当時、阿仏房はじめ男性の強盛なる信仰者の背後には、それ以
上に強信者であった妻たちの存在があった。現代においても、その方程式は同じで
あると申しあげておきたい。
罰といい功徳といい、信心を深めさせるための、御本尊の秘妙方便であることを忘れてはならない。罰、功徳の現象みにとらわれ、世間の次元のみで物事を追っていくことのないよう、戒めなければならない。