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呉記念幹部会 ”一生空しく過して万歳悔ゆるな”

1984.10.26 「広布と人生を語る」第6巻

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2  小善・中善・大善とさまざまな生き方があるが、何が最極善の道なのか。結局は、永遠にして不滅、最極にして最高善の三大秘法の大御本尊を信受し、日夜、唱題に励みながら広宣流布へと生きゆくことこそ、最極の人生の道である。
 どうか皆さま方は、あらゆる人生の風雪、障魔の嵐にも負けず、妙法の勇者として悠然と胸を張り、唱題も高らかに広布に進みゆくことが、最極善の人生であることを再確認していただきたい。
 呉市はかつて軍港として栄えた。今は次代も変わった。しかし皆さま方は、社会景気、不景気の動向にかかわらずどこまでも意気軒の気性を失うことなく、広島広布の大なる原動力であっていただきたい。
 呉の友が社会の厳しさのなかで“信心で喜びと希望をもって進んでいる”とうかがい、ほんとうにうれしく思った。この確信と深い境涯の人生こそ、栄えゆく人生であるとともに、偉大なる勝利者の姿なのである。
 どうか、この呉の地に、いかなる嵐にもくずされない難攻不落の人材の陣列を築き上げていただきたい。
3  この席を借りて、何点かについて再確認しておきたい。
 学会においては「同志間の金銭貸借は厳禁」が伝統である。金銭貸借は信心とはいっさい関係のないことであり、すべて関係者のエゴから出たものであり、それは、かならず信心を濁らせ、破壊していくからである。いかなる立場であれ、同志間の金銭貸借は絶対にあってはならない、と強く申し上げておきたい。
 また、信心活動は一生懸命だが、生活をいいかげんにしているということがあってはいけない。もちろん広布のため遅くまで活動する場合もあろう。だからといって生活をないがしろにしてはならない。信心は生活の原動力であり、人生の原動力として、生活を、さらに人生を、豊かに向上させ、進歩させていくための信心なのであることを忘れてはいけない。
4  仏法は道理である。戸田前会長もよく言われていた。「米と水を入れた釜を御本尊の前に置いて題目を唱えれば、ごはんがたけるか」と。そんなことは絶対にありえない。と同じように、信心をしているからといって、生活をなおざりにしたり、
 道理や社会規範からはずれていくようなことがあってはならない。
 「大悪をこれば大善きたる」との御文のごとく、数年来の大難のなか、皆さま方の強盛な信心による活躍によって、広布の道は、いちだんと大きく開けてきた。今後とも、一人ひとりが、三倍、五倍と信心を深め、しぜんのうちに弘教が進みゆくような見事なる実力を示していただきたい。
 そして、この呉の天地に生きる誇りを忘れず、確信の題目で、悠々と福運に満ちみちた人生を送っていただきたい。

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