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日蓮大聖人・池田大作

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島根県各部の代表者会議 妙法の冥益の年輪を拡大

1984.5.21 「広布と人生を語る」第6巻

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5  昨日、米子に、ある婦人と息子さんが、あいさつにみえた。その人は「三十年前、鳥取の海岸で、この息子と二人、入水自殺をしようと思った。それが信心によって、こんなに幸せな人生となれた。息子も外交官となり、きょうは二人で米子にくることができた」と、感慨深げに語っていた。まさしく“冥益の結晶”を思わせるこの母子の姿に、私は胸がいっぱいになる思いであった。
 大御本尊には無量無偏の「仏力」「法力」があられる。あとは私どもの「信力」「行力」によって、いっさいの功徳の実相が決まる。
 しかし、人間の心というものは、変化しやすく微妙なものである。功徳を受けたときは感謝の心で燃え立つが、いつしかその感謝も忘れ去ってしまう場合が多い。
 御本尊への限りなき感謝の信心があれば、功徳はさらにまさるものである。心の移ろいやすさを互いに心していきたいものだ。
6  功徳には顕益と冥益があるが、大聖人の本因妙の仏法では、冥益が根本であるといってよい。大木は年を経るごとにその年輪を重ね、広げていく。と同様に、信心修行の功徳の年輪も大木と同じように、時とともに増加していくものである。
 冥益であるがゆえに、この功徳の増大も、現実の風波におおわれて目には見えない場合もあるにちがいない。しかし、疑って退したならば、自分が損をするのである。信心の年輪とともに、功徳の年輪もかならず拡大していることを確信していただきたい。
 大木になれば、高きがゆえに風雪をより強く受ける場合があるだろう。小木や中木を大風から守らなければならない場合もあるにちがいない。それと同じく、幹部であればあるほど、苦労が多いことも事実である。
 しかし、私どもは、この妙法の大冥益の功徳を積みゆく自分であることを確信して、後輩を守るためにも大木のごとき厳然とした人生と信心を全うしていきたいものである。

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