Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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福島県人材グループの合同結成式 無明の生命に妙法の灯

1984.5.14 「広布と人生を語る」第6巻

前後
17  大聖人の御遺命である広布をめざすわれわれは、正しい信心を根本にした「異体同心」でなければならない。これは大聖人の仰せであるからだ。今日の正法の大興隆も、御法主上人のご慈悲はもとより、多くの純粋でまじめな信徒、学会員によって築かれてきたのである。
 それを知らず、また忘れて、組織上の次元のみでとらえたり、役職上の問題だけでとらえたり、人間関係の好き嫌いの次元で心を乱したりして、広布への軌道を見失ってはけっしてならない。それでは、たとえいくら役職があり、信心があるようにみえても、人々に迷惑をかけるだけであって、大聖人の仏法からはずれた人となってしまっているというべきである。
18  ところで、いま、未来部の人たちや青年部のメンバーが、若くして自身の胸中に明々と妙法の灯をともして、この人生を生きゆかんとしていることはすばらしいことである。それは、百万年前の暗い洞窟にいま初めて灯をともしたのではない――つまり、中年や年配者になってからの、生命の心の曇りや暗さを知ってから、ともした灯ではない。若い時代から、胸中に明々と灯をともし、この一生を飾っていけることはすばらしい意義があると知っていただきたいのである。私たちは、この若くして妙法とともに生き、妙法を広げゆく人たちを守り育てていきたい、と祈るような気持ちで念願する。
 少年、中二南等部、学生部、青年部のメンバーは、最初から妙法の灯のもとで育ってきたようなものである。中年や年配者になって、生命の暗さ、心の曇りによって、信心が見えなくならないよう戒めておきたい。
 最後に、なにごとがあっても、本門戒壇の大御本尊を根本としての、すっきりした信心で、この一生をつき進んでいただきたい。そして、だれ人がなんといおうが、この大法を広宣流布しゆく労作業を、みずからの最高の誉れとして展開しぬいていただきたい。傍観者であってはならない。傍観者には信心の真髄の喜びは得られない。
 皆さま方に限りない期待をこめて、本日の私の指導を終わりたい。

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