Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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北九州記念勤行会 「立正安国」への道を前進

1983.12.8 「広布と人生を語る」第5巻

前後
9  そのひとつは、「如説修行抄」の最後の段に入ったときの指導である。
 まず「日蓮並びに弟子檀等が」と仰せであり、ありがたいことに、私どもは大聖人の一類に入っているのである。
 そして「いかに強敵重なるとも」と――この決心なくして信心のリーダーとはいえない。
 「ゆめゆめ退する心なかれ恐るる心なかれ」と。とうぜん、正法には難がつきものである。とともに、いかなる権力によって脅し迫害されたとしても、ゆめゆめ退転するな、恐れるな、との厳しき響きを忘れることができない。
 また「縦ひ頸をば鋸にて引き切り・どうをばひしほこを以て・つつき・足にはほだしを打ってきりを以てもむとも」――これほどまでの残虐なことをされたとしても、けっして一歩も退かない信心でなければならない。そして「命のかよはんほどは南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と唱えて唱へ死にしぬ」ことが、信心の真髄なのである、と私は徹底して戸田先生より鋭く指導されてきた。
 この決心が私の信心の骨髄となったがゆえに、私はなにも恐れるものはない。これからもこの決心で、私は皆さま方とともに前進する決意である。
10  なぜ多くの日本の宗教がその活力を失ったか、という原因について語った人がいる。そのひとつは、江戸時代に例をひき、権力と教団との着の構造が原因であると言っていた。
 それは、教義のままに信徒が布教活動をする。すると、それに反発する他の宗教がかならず権力と結びつき、信徒を弾圧する。そこで信徒はとうぜん、寺に助けを求める。その寺は信徒に、最後まで経文どおりにがんばりなさいという。しかし、その裏では、あの信徒たちは寺のいうとおりにしていないから、つかまえてけっこうです、と讒言したというのである。
 このような図式がいくつもあって、しだいに布教の精神が失われていった。寺を信用しなくなり、使命感に満ちた純粋なる殉教の人はいなくなってしまったというのだ。これほど恐ろしいものはない。これほどずるがしこい図式もない。
 このような歴史の推移を見たとき、日蓮大聖人の仏法がそのまま七百年にわたり法灯連綿と受け継がれてきた、わが日蓮正宗のすばらしさを実感するのである。
 近くは、わが学会の創設者である牧口初代会長、また戸田第二代会長もともに殉教者であった。日蓮正宗にのみ殉教の精神が脈々と流れていることがわかるであろう。
 皆さま方は、この深き不惜の信心を忘れず、崩れざる盤石な自身を築いていただきたい。そして、この北九州の地で、楽土建設への総仕上げへの努力をお願いしたい。
 皆さまのご長寿とご多幸を心から祈り、私の話とさせていただく。

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