Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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新潟県記念勤行会 勇気こそ信仰者の第一条件

1983.4.15 「広布と人生を語る」第4巻

前後
2  怨嫉し、批判し、退転していく人は、信念の定まらない勇気なき人である。ひとり卑怯な小才を弄しながら自己正当化する人、利益の追求のみを考えゆく人は真の勇気のない人である。勇気ある信心の人は潔い。策ややましさがなく、近づけもしない。こうした人には、諸天の加護も大きい。
 その意味で、自分自身のためにも、一家一族のためにも、広布のためにも、勇気ある信心でなければならない。今日の学会の大発展も、勇気ある地涌の友によって築かれてきたことをけっして忘れてはならない。
 大聖人をお偲び思い起こすのは、御聖誕と立宗宣言の地である千葉、大法戦の地・鎌倉、そして御法難の地・新潟である。なかでも「数数見擯出」の法華経の文を色読された佐渡、新潟の地は鮮烈に胸をうつ国土世間である。「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」との御金言を深く拝し、勇気ある信心こそが、人間、なかんずく信仰者の生命であると自覚されたい。
 どうか、大聖人有縁の地で、大聖人を御本仏と拝し、広布に邁進しゆく皆さんは、日本第一の誉れの地涌の勇者であっていただきたい。
3  十界論のなかの天界について「天とは宮殿に依って住し」(三重秘伝抄)と示されている。
 「宮殿」とは現代的にいえば、幸福と平和の環境といえよう。
 現代は醜い利害の争いに満ちた人間社会、核兵器の脅威にさらされた世界の様相に明らかなように、物心ともに悪しき環境になりつつある。そのなかにあって、みずからの生命、一族、地域という環境に、いかに生きがいと喜びに満ちた「天界」の境地を築きあげていくか、また平和と文化と福運の道を開いていくかが、われわれの正法実践の目的である。われわれの信心は、わが胸中に仏界を開くことを根本として、現実の環境のなかに「天界」を具現し、環境の「天界」をめざしつつ、永遠に崩れざる成仏への「我」をつくりゆく生命の旅路であると自覚されたい。
 「生死の縛を切つて」との御聖訓にあるとおり、成仏をなしゆく原理の一つとして、法のゆえの難がある。その大難を恐れず、耐えに耐え、唱題に唱題をしゆくところに、永遠にわたる苦悩の生死の縛を切っていくことができるのである。すなわち、難はかならずあるし、その難は苦しみの生死の縛を切っていけるためへの方程式であることを知らねばならないのである・難はこれ、大功徳へと転回されゆく源泉であることを自覚しての前進であってほしい。

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