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日蓮大聖人・池田大作

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3月度本部幹部会 「立正安国」の御精神のままに

1983.3.18 「広布と人生を語る」第4巻

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3  つぎに「本門の題目」に約すとき、「題目」は「信」と「行」に分けられる。
 「行の始めはこれ信心なり、信心の終わりはこれ行なり」(「立正安国論文段」)と日寛上人は仰せである。唱題・実践は御本尊への信心からはじまる。そして信心の帰着するところは唱題・実践である。つまり、御本尊を信受し、正しく信行の実践をし、仏法中道の道を歩みゆかねばならないのである。
 また「正境」である御本尊に縁した信心であるがゆえに、信心は「正」となり、正しき信心であるがゆえにその行は「正」となるのである。したがって、題目の修行が「正」となるわけだ。
 「立」とは「行」を立てるとの意であり、御本尊の御使いとして、広布にどう行動したか、ここに「立」の深き意味があることを知っていただきたい。
 さらに「本門の戒壇」に約していえば「正」の字は「一の止まる所」の意である。この「一」とは閻浮第一の御本尊であり、一大事の秘法である本門の本尊を意味
 する。「止」とは止住の義と仰せのように、御本尊の止住のところである。つまり、戒壇のことである。「本門の本尊」を安置したてまつり、根本として尊崇していくことが「立正」となるのである。
4  次に「安国」について申し上げれば、「安」とは字義のうえから太平、安穏をいみする。「国」とは、当時の幕府権力、北条時頼を支配者とした日本国のことである。しかし、これは一往の義であり、再往は一閻浮提、すなわち全世界をいう。とともに、この義は、現世に限らず、未来永遠に通ずるというのが、日寛上人の御指南なのである。
 この大聖人の御本意をわきまえず、「安国」を国家主義的にとらえた人人がいたが、誤りである。ましてや正法の何たるかも知らないでいるのは「日蓮を用いぬるともあしうやまはば国亡ぶべし」と仰せのように、国をほろぼす考え方といわざるをえない。
 ゆえに、三大秘法の大仏法を奉持し弘通して、日本のみならず全世界の太平、安穏、すなわち「安国」を成し遂げることこそ、大聖人の真実の「立正安国」の御精神である。その第一歩を始める国が日本なのである。
 関西は、いまや日本の全同志がその動向に注目し、「関西を見よ」とまでいわれる存在になった。その意味からも、どうか立派な信心勝利の姿を示しきって、全国の同志を勇気づけ、希望を与えゆく、いわば”兄“の存在となってもらいたい。

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