Nichiren・Ikeda
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新潟代表者研修
増上慢との戦いが信心
1982.7.28 「広布と人生を語る」第3巻
前後
11 提婆達多をはじめとする「慢」の心は、何が条件になるかといえば、第一に目先の利害、第二に名誉、第三に支配欲、大きくはこの三つに集約されているといってよい。
釈尊にかなわないことを知った提婆達多は、時の権力者・阿闇世王に取り入った。
そのような提婆達多の陰険な心を見ぬいていた釈尊が、大衆の面前で提婆達多を叱責せざるをえなかった理由が、私にはわかるような気がする。それは、かりに個人的に叱責したとすれば、悪意の彼は、かならず大衆に対し「自分は釈尊から記別を受けた」とか、「釈尊より讃嘆された」などと、正反対のつくりごとを喧伝するにちがいないからである。大衆の面前での叱責は、提婆達多の悪の心を証明するためであったと思う。
それを根にもった彼は、ことごとく釈尊に敵対し、釈尊に大石を投げたりなどの迫害をおこなった。
かつて戸田先生は「この提婆達多の本質は、“男のねたみ”である」と看破されていた。慢が高じてねたみになって、自分が釈尊の代わりになろうと野心を起こす。そして、教団を分裂させようと企てたが、その野心も、仏の慈悲を越えることができなかったのである。
12 このような心の動きというものは、信心の世界のみならず、人間社会には大なり小なりあるにちがいない。そうした「慢」の心強き人は、かならずや、周囲の人々から信頼を失い、やがてその社会にもいられなくなり、ついには破滅の道に入っていくことも事実のようである。
どうか皆さん方は、信心だけは謙虚に、どこまでも大御本尊に感謝したてまつり、少しでも法を求めていこうとする、潔い、清らかな前進をしていっていただきたい。それこそ、大福運をつみ、人間として大勝利の人生を飾りゆく一心の姿勢であると思うからである。