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日蓮大聖人・池田大作

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第八回転輪会総会 ”真剣”の二字に人間の輝き

1982.5.1 「広布と人生を語る」第3巻

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7  金銭に節度のない人は、生活にもだらしないものだ。その人は信心もまた、そうなってくる。信心の潔い人は、おのずから金銭にも節度を保ち、生活にも襟度があり、立派な人生を生きていくものだ。一事が万事である。これまでも、信心の崩れた人は生活も乱れ、生活の乱れた人が信心を破壊して、退転し反逆していったことは、周知の事実である。
 だれ人たりとも大なり小なり、悩みはかならずあるものだ。ただし、少年のころの悩みは青年になってみるとたいしたものではない。たとえば少年のころに接した池、川、道等は、すべてが大きく心に描かれている。しかし、青年になり壮年となったときに、行って見つめてみると、まことに狭く、まことに小さく見えるものだ。と同じく、青年期の悩みは、壮年期になると、さほどでもない場合が多い。
 つまり、境涯の拡大がいかに重要であかが、これでわかると思う。悩みとの闘いが人生ともいえる。ゆえに、人生はすべからく、すべての悩みを超克していく力をもたなければならない。その最大の境涯を開くためには、正しき信心が必要となってくるのである。
8  現代は、受け身的人生を強いられる社会状況にあるといってよい。テレビをはじめ本や情報の洪水で、動かずして、さまざまなことを得ることができる。それは、文明の進展で喜ばしいようだが、人間の主体性を喪失させる危険性をもっている。
 そこにはほんとうの幸せはない。便利はイコール幸せではなく、便利が即不幸をもたらす場合がある。
 人間として、主体性の確立は欠かせない。それは、人間は人間らしい実相をもたなければならないからだ。そのためにも人間の骨格となる信・行・学の錬磨が大切なのだ。その主体性があってこそ、すべてが生かされることを知っていただきたい。
 法のため、広布のため、そして妻子のため、自身のため、また同志のために、あらゆる方法を講じながら健康維持をお願いしたい。無理や暴飲暴食や不摂生をして大切な体をこわしては絶対にならない。
 子が病であれば、その父の嘆きは大きい。私は病弱であった。戸田先生の、私の体を心配されての思いやりの深さはたいへんなものであったようだ。ただただ、申しわけなく思っている。大切な皆さまが事故を起こしたり、病気になったときの苦しみもよく知っていただきたい。われわれは、広布に立った真実の同志であるからだ。
9  最後に御書を拝読したい。
 「仏法を行ずるは安穏なるべしとこそをもうに・此の法を持つによって大難出来するはしんぬ此の法を邪法なりと誹謗して悪道に堕つべし、此れも不便なり又此れを申さずは仏誓に違する上・一切衆生の怨敵なり大阿鼻地獄疑いなし、いかんがせんとをもひしかども・をもひ切って申し出しぬ」(御書一四六ページ)と。
 この御文をよくよく拝していきたい。
 ともあれ、皆さまの下積みの努力はたいへんなものである。信心なくしてはとうていできるものではない。学会を支えに支えてくださったのは皆さまであると心から感謝申し上げたい。私は、ひたすら皆さまの健康と無事を祈ってやまない。どんな言葉よりも御本尊へ祈ることが、いっさいに通じるからである。
 これからも広布に走りゆく転輪会は、十期、二十期と立派な後輩をつくり、育てていただきたい。そして、その後輩を励まし、見守り、広宣流布の人材の流れをどこまでもつくっていただきたいことをお願いとして、私の話とさせていただく。

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