Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第3回NSA信心懇談会 健全なる色心で健全なる生活を

1981.2.19 「広布と人生を語る」第1巻

前後
4  人生は、高い山を登っていくようなものである。また広宣流布も、同じである。その山に向かうとき、健康でたくましき生命力の人は、左右を眺めながら、楽しみながら登っていける。病弱の人は苦しみながら登っていかなければならない。意気地のない人は、途中で挫折し、山を下りるかもしれない。
 一個の人の一生の歩みは、自身の宿命を背負いながら、また、その宿命と戦いながら、高い山へ登っていくようなものである。ゆえに、この社会という高い山を、ゆうゆうと楽しみてがら登っていけるようになるために、御本尊の絶大無二なる力を受持するのである。ここにわれわれの幸せがあることを知らなければならない。
 この世に生まれてきたのも自分一人であり、死んでいくのも自分一人である。これが永遠につづくのである。無限の力の大良薬となる題目を唱えながら、自分自身を強く強くしていかなければならない。
 大聖人は「一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり経に云く「衆生所遊楽」云云」と仰せである。
 瞬間瞬間のこの人生を楽しみきっていく自分をつくるために信心せよ、と仰せなのである。嵐があれど、烈風が吹けど、口笛を吹きながら、堂々とわが信念の道を、ともどもに歩んでいきたいものだ。その原点である信心だけはいよいよ強盛に、日々勇気と誇りと希望をもって進んでいただきたい。
 (この時、小さな子が泣き始めた)たとえば、子供が泣いている。(笑い)境涯が低く、つねに神経がトゲトゲしい人は、ヒステリーのようになる。(笑い)しかしマイアミから見える大海原のような、ひろびろとした境涯の方には、この泣き声もウグイスの鳴き声に聞こえるかもしれない。(爆笑) 
 信心は、みずからの境涯を開いていける唯一の力である。境涯が低いとつまらぬ文句や、愚痴や批判が出る場合が多い。境涯を開けば、人生観、世界観も変わってくるのだ。
 たとえば、法華経は大海、爾前経は川である。この信心をたもつ人は、大海のごとき妙法に冥合していくゆえに境涯が大きくなり、すべてをつつんでいける。これは偉大なる幸せといってよい。信心の目的の一つは、ここにもある。
5  マイアミも世界一すばらしいところかもしれないが、世界はまだまだ広い。物心ともに裕福になって、世界中を旅していただきたい。
 最後に、仲よくしていただきたい。仲よきことは、何にもまして強く美しい。心から皆さまのご多幸を祈り、マイアミの発展を願って私の話とする。(マイアミ)

1
4