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日蓮大聖人・池田大作

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アメリカ広布20周年記念ワシントン総会… 勤行こそ最高の善根積む修行

1980.10.8 「広布と人生を語る」第1巻

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2  勤行について、おたがいに再確認しあっていきたい。
 いかなる宗教でも修行のない宗教はない。布教のない宗教はない。この尊い御本尊があっても、勤行の実践がなければ無益なのである。
 たとえば、学校で学業に励まなければ卒業証書は得られない。会社で労働しなければ給料は得られない。これらは“社会的修業”といってよい。
 テレビがあっても、スイッチを入れ、調整をしなければ、満足な画面を見ることはできない。すべて、ただ存在しているだけでは価値は生じないものだ。それをいかにして使用するかというときに、はじめて価値が生ずるのである。
 仏法は道理である。御本尊に対する信心修行もまた、同じ道理であるとみたい。
3  日蓮正宗の修行は、日蓮大聖人の御聖訓どおりの実践修行がなくてはならない。
 大聖人は方便品、寿量品、題目と仰せになっている。私どもは大聖人の門下として、そのとおり日蓮正宗の教えにしたがって、勤行に励まなくてはならないのである。
4  勤行こそ信心修行の基本であり、根本である。したがって、過去の罪障消滅のために、未来への福運ある人生のために、現実生活における功徳あふれる人生のために、われわれは勤行をするのである。
 また勤行せずして教学のみを学んでも意味がない。身近な例でたとえるなら、いままで勤行をしていても、勤行をしなくなった場合は、電流のスイッチを切ったに等しく、たとえ絶対なる御本尊があっても、なんの功徳も得られないのである。
 反対に、日々に勤行を怠らない人は生命が磨かれ、生命が躍動している。その人をば諸天善神がかならず守ることはまちがいない。
5  「人は善根をなせば必ずさかう」との御聖訓がある。
 この乱れた世界でなにが善根となるか。大聖人は末法万年にわたる善根をつむ修行は、勤行・唱題、そして折伏しかないと仰せである。(シェラトン・ワシントン・ホテル)

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