Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第201回7月度本部幹部会 「人間革命の指導」を重視

1976.7.18 「広布第二章の指針」第9巻

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8  その家庭を大切に
 五番目は「その家庭を大切に」であります。これは、その家庭に用事がある場合もあります。病人のいる場合もある。よくがんばっている幹部でも疲れて休む場合もある。
 家庭というのは”憩いの場”ですから、さまざまな場合が考えられる。そのときに、自分が指導を受ける家だからと、自分の家のように思って、委細かまわず、礼儀もなく入って「こんにちは」「こんばんは」と。(笑い)それであたりまえと思ってはいけない。さきに電話をしておくとか、ささいなことですが注意していただきたい場合がある。
 大聖人のこういう御書があります。これは、身延の草庵におられたときの御書でありますけれども「人はなき時は四十人ある時は六十人、いかにせき候へどもこれにある人人のあにとて出来し舎弟とてさしいで・しきゐ来居候ぬれば・かかはやさに・いかにとも申しへず・心にはしずかに、あじち庵室むすびて小法師と我が身計り御経よみまいらせんとこそ存じて候に、かかるわづらはしき事候はず」と。
 「人はなき時は四十人」少ないときでも四十人。「ある時は」一多いときは六十人。来るな、来るなといっても来てしまう。「これにある人人の」云云ここにいる人たちの、兄さんであるとか、弟であるとかいって「しきゐ候ぬれば」来て腰をおろしてしまうので「かかはやさに、いかにとも申しへず」ということは、気兼ねして「どうして来たのだ」ということもいえない。自分が遠慮して「なぜこんなに大勢で来たのか」ということもいえない。「心にはしずかにあじちむすびて」自分の心の内は、自身は静かに、この草庵で「小法師と我が身計り」――弟子たちと自分でゆっくりと御経を読みたかった。読みたい時間だ。しかし、このように「私の弟である」「私の兄である」というふうに、いかに断っても大勢きてしまってたいへんにわずらわしい、とのご心境と拝します。したがって皆さん方のお家も、そういう場合がよくあると思う。
9  その人の立場を大切に
 六番目の「その人の立場を大切に」。これはとうぜんなことであります。会合に出られない人、種々理由があって出席できない人、また家があけられない人、事業がたいへんな人等々、いろいろな人がいる。その人に対して、もちろん信心の指導はすべきでありまずけれども、その人を理解してあげる、同志を理解する、信心の激励をしてあげるという、その点の関係をよく含んでいただきたいと思います。
 大聖人も、御書のなかに「忘れても法華経を持つ者をば互に毀るべからざるか、其故は法華経を持つ者は必ず皆仏なり仏を毀りては罪を得るなり」とおおせでございます。
 したがって、自分の成果とか、自分の地位とか、ということを中心にして、感情的に同志や後輩をみてはならない。「忘れても法華経……」――御本尊を持っ者をば、互いに毀るべからずです。「其故は法華経を持つ者は必ず皆仏なり」――すべての妙法を持った人は仏であります。同志は、互いに尊敬しあっていかなければならない。私が皆さん方をそしっても罰をうけます。それほど、御本仏大聖人が、完壁に仏法の法則を平等大慧のうえで説いていらっしゃる。
 「法華経を持つ者は必ず皆仏なり。仏を毀りては罪を得るなり」――お互いにそしりあうことは絶対にあってはならない。これは、日蓮大聖人の厳しい戒めであります。強い信心の激励はとうぜんであります。しかし、その人の立場をあたたかく理解しながらの前進をお願いいたします。どうか、ますますご健康で、立派な広宣流布の指導者として、ご活躍をお願い申し上げて、私の話を終わります。たいへんにご苦労さまでございました。

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