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日蓮大聖人・池田大作

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第200回六月度本部幹部会 希望と勇気与う”妙法の勇将”に

1976.6.20 「広布第二章の指針」第8巻

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6  五番目の「常識ある生活」については「減劫御書」のなかに「……世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり」とあります。
 真実の仏法者は智者であり、知恵あるものでなくてはならない。したがって世間の治世、社会の万般の法則をよくよく心得て、信心即生活をすることが真の仏法者であり、それが「智者とは申すなり」との御文証なのです。
 仏法の世界は、世間とは別である、という考えは間違いです。社会のなかに仏法を行ずる、社会の外に仏法はない、と理解して行動する人が、真実の智者であります。すなわち、仏法者であるからといって世間を度外視することは誤りであり、常識豊かな社会人として行動をせよ、ということです。ともかく仏法の世界は、社会規範をふまえた信仰であり、社会のなかに信頼の花を咲かせていく信仰でなければならない。
 ですから、真夜中に人の迷惑になるような大声で勤行したり、また仕事中に折伏をしたり、信仰の本義をはき違えて、隣近所や親類等と断絶してしまったりするようなことは大きな誤りです。真の智者というものは、世間のなかに仏法を行じていくのであります。”仏法即社会”です。
 仏法のための仏法という狭い考えに陥って、世間のことはなにも知らないというのでは、仏法即社会とはなりません。反対に仏法を破壊する世間の悪を見破れないようでは、愚者といわざるをえません。
7  最後の第六は「覚悟の法戦」です。これについては、大聖人が御書の各所で申されておりますが、とくに「寂日房御書」のなかには、次のような有名な御文があります。
 「かかる者の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり、法華経の行者といはれぬる事はや不祥なりまぬかれがたき身なり
 「かかる者の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思うて」――御本尊を受持し、広布に邁進する人々は、日蓮大聖人の仏法と宿縁が深いということであります。今世の人生は当然のこととして、生々世々、妙法とともに、広宣流布のために生きぬいていく、こういう覚悟をもって、大聖人と同じく「法華経を弘むべきなり」というおおせであります。
 「法華経の行者といはれぬる事はや不祥なり。まぬかれがたき身なり」と、覚悟しきって、いかなる醜い批判、中傷をされようとも、この世の人生を大聖人とともに、御本尊とともに生きぬいて、広宣流布に進んでいきなさいということです、その道を歩んでいるのが、目蓮正宗創価学会なのであります。この御本仏の精神を拝して戦いぬいてきたのが、初代会長牧口先生であり、前会長の戸田先生であります。ここに創価学会の歴史と伝統があるのです。したがって、その福運、名誉は、末法万年尽未来際まで続いていくことは絶対間違いないでありましょう。
 それを決意して、どうかまた本年の下半期も、みんな仲良くスクラムを組んで、立派な指導者として、さっそうと広布の指揮をとっていただきたいことをお願い申し上げます。(大拍手)

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