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日蓮大聖人・池田大作
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2009.1.27 スピーチ(聖教新聞2009年下)
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4
去って去らず
今年は、国連などによって定められた「世界天文年」。〈ガリレオ・ガリレイが望遠鏡で天体観測してから400年を記念〉
人類の心を、大宇宙へと広げゆく年となろう。
この年を祝して、ブラジルの著名な天文学者であるモウラン博士と私が進めてきた、天文学と仏法を語る対談集が発刊される予定である。
博士と私は、宇宙に次々と新しい星が誕生する、荘厳な劇をめぐって語り合った。
博士は言われた。
「自分の一番輝く時を待って、その出番の時にしっかりと輝く。そして、次の者や後輩が来たら、しっかりと輝かせていく。これが宇宙の方程式なのです」
いい言葉である。
たとえば、学会の組織において、役職を交代する場合も、後輩が自分以上に輝くことを祈りゆくことだ。
また、人生には、さまざまな変化がある。光の当たる舞台を離れるように思える時もあるかもしれない。
しかし、たとえ、どのような立場になろうとも、仏法の考え方からいえば、「去って去らず」である。その深義は御義口伝で展開されている。〈御書719㌻・783㌻等〉
ともあれ、何があろうと、変わらぬ心で、正しき師弟の道を邁進する。これが仏法者の人生哲学である。
この覚悟に立つならば、いかなる変化にも感傷など必要ない。
一生涯、「学会精神」「広宣流布の精神」「師弟の精神」を燃え上がらせて、若々しく進むのだ。
「広宣流布」を目指しゆく創価の連帯は、環境がどう変わろうと、また、生死を超えて三世永遠に「師弟不二」であり、「異体同心」である。朗らかに前進しゆく、不滅のスクラムなのである。
5
アメリカを代表するジャーナリストであったノーマン・カズンズ氏は述べている。
「我々が恐れなくてはならない牢獄があるとすれば、それは結局のところ、我々の無気力と優柔不断だけである」(松田銑訳『人間の選択』角川書店)
カズンズ氏とはアメリカで3度、語り合った。ジャーナリストとして活躍しただけでなく、医科大学院の教授も務められた方である。自ら大病を克服した経験を持ち、患者の「心」が病気に及ぼす影響について研究を重ねられた。
人格光る「行動の人」であったことを懐かしく思い出す。
氏が述べているように、心が負けてしまえば、すべてが敗北へと向かってしまう。
どんな状況にあっても、まず「断じて勝つ」と決める。大生命力を燃え上がらせていく。その人が、人生の勝利を飾ることができるのだ。
6
タンゴの献呈曲
このほど、アルゼンチン・タンゴの巨匠であるオスバルド・レケーナ氏が、私に2つの献呈曲「平和への詩人に捧ぐ」と「音楽の心」を贈ってくださった。大変に光栄なことである。心から感謝申し上げたい。
レケーナ氏は、ピアノ演奏と作曲・編曲でタンゴ界を代表する音楽家の一人である。これまで60カ国以上を訪問し、タンゴの普及に努めてこられた。
氏は9年前にも、私に献呈曲「ブエナス・ノーチェス(こんばんは) 日本」を贈ってくださった。
1月に日本で始まった民音タンゴ・シリーズでは、この「ブエナス・ノーチェス 日本」とともに、「平和への詩人に捧ぐ」を演奏してくださっている。各地から大きな反響と賞讃の声が寄せられていることを、皆様にご報告したい。
〈レケーナ氏は、今回の2つの献呈曲について、「池田SGI(創価学会インタナショナル)会長の偉大な『平和の心』と『人類愛』を表現しました」と語っていた。
献呈曲のうち、「音楽の心」は、アルゼンチンの著名な作詞家であるフリオ・フォンターナ氏が名誉会長に贈った詩に、曲をつけたものである。
その詩には、次のようにうたわれている。
「音楽……
太陽の国が
断固として
拒むものは
戦争という名の
人間の産物
かたや音楽は
人と人を結ぶ
平和の旗を掲げ
希望の詩を
広げながら」
「音楽……
音楽は世界を巡り
そしてそこに留まる
イケダ……
イケダは音楽の心を持っている」〉
アルゼンチンが誇る“文化の華”タンゴは、民衆に根差し、民衆がつくりあげた音楽である。
ここで、贈っていただいたタンゴの曲を皆で聴きたいと思うが、どうだろうか。どうか、リラックスしていただきたい。〈会場に「音楽の心」の曲と歌が流れた〉
素晴らしい! 学会の会合でタンゴの曲を聴けるなんて、すごいことだ。
タンゴの巨匠が学会の運動を讃嘆してくださる。何とロマンあふれる話だろうか。
心にロマンを抱き、理想を持って進めば、広布の戦いは、もっと楽しくなる。足取りも軽く、拡大の戦いもさらに進むだろう。
小さな心で、臆病になって、世間を気にしてばかりいる。それは真実の仏法者の生き方ではない。
7
世界に友情の道
思えば46年前、私が民音を創立した時、周囲の人々は皆、反対した。しかし今や民音は、海外の100カ国・地域と交流を繰り広げる、偉大な文化団体となった。
世界最高峰のイタリアの「ミラノ・スカラ座」、オーストリアの「ウイーン国立歌劇場」の日本初公演を実現したことも、不滅の歴史である。
音楽の都ウィーンを築いた欧州の名門ハプスブルク家の家訓の一つには、「竪琴は剣よりも強い」とある。
私たちは、文化という平和の武器で、世界に「友情の道」「連帯の道」を大きく開いてきた。イデオロギーや国家の壁を超え、人間と人間、民衆と民衆を幾重にも結んできた。
この事実を、いくら歪めようとしても、天は知っている。心ある識者は感嘆して見ている。
この場をお借りし、民音を支えてくださっている民音推進委員の皆様をはじめ、多くの同志、関係者の方々に心からの感謝を申し上げたい。
8
インドの初代首相ネルーは、インド独立闘争に際して、「今日必要なのは行動である」と訴えた(松太愼一訳『印度の統一』育生社弘道閣)。
また、フランスの作家サン=テグジュペリは記した。
「行動を起こそうとしなければならない。そうすれば敵の弱点はかならず見つかるはずだ」(山崎庸一郎訳『心は二十歳さ』みすず書房)
大事なのは行動だ。あれこれと考え、議論をしていても、それだけでは何も変わらない。「深き祈り」と「勇気の行動」。この不断の積み重ねが、一切の壁を打ち破る原動力となるのである。
9
50年前の手紙
アルゼンチンでは現在、ミナガワ理事長、ガリード婦人部長を中心に、SGIの連帯が大きく拡大している。50年前、10人足らずだったメンバーが、今では2万人を超える勝利の姿となった。
先日、草創の功労者であるオオシダ名誉理事長が、報告を寄せてくださった。
それは、かつて私がアルゼンチンにいるオオシダ君に手紙を送ってから、満50年を記念したものであった。
ここで、ご本人の了承のもと、その報告の内容を紹介させていただきたい。
──50年前の昭和34年(1959年)1月、池田先生は、アルゼンチンに渡ったばかりの私に、激励のお手紙を送ってくださいました。戸田先生の亡き後、ただ一人の総務として、全学会の責任を担われて戦う激務の中です。
先生は、“御本尊を受持した学会員が海外で活躍されゆくことは、世界の黎明を意味します”と大激励してくださったのです。
先生が示された「世界の黎明」の意義を証明していくため、池田大学に学ばせていただいた一学生として、師の正義を伝えきって、民衆の幸福と平和を目指し、勇猛精進してまいります──
〈またオオシダ名誉理事長は報告の中で次のように述べている。
──日蓮大聖人は、「日蓮末法に出でずば仏は大妄語の人」(御書1190㌻)と仰せです。池田先生は、大聖人の御予言を実語になされ、世界192カ国・地域に正しく流布してくださいました。
創価の三代会長があってこそ、大聖人の仏法は初めて世界に流布されました。そうでなければ、偉大な生命哲学は、今までと同じく日本に眠っていたことでしょう──〉
この報告を拝見し、私は、本当にうれしかった。私と同じ思いに立ち、岩盤に爪を立てる思いで道を開いてくださった尊き同志が、世界には数多くいる。
ともあれ私は、大聖人の御遺命を現実のものとするため、目に見えないところで、いくつも手を打ってきた。妻に託して、友へ励ましを贈ったことも、たびたびであった。
戸田先生に教えられた通りに、あの地にも、この大陸にも、妙法流布の種を蒔いてきた。
それが、すべて芽をふいて、大木へと育った。今、世界広布の土台は完壁にできあがったのである。
10
SGIの奇跡的発展に賞讃
現在、私が対談を行っているアメリカ実践哲学協会のマリノフ会長が、1・26「SGIの日」に当たり、次のような祝福の声を寄せてくださった。
「多くの世界宗教が世界に広がるには、少なくとも100年の歳月を要しました。
SGIが30年余で190カ国以上に運動を広げたのは、素晴らしい成功といえるでしょう」
「(木が成長し、実を結ぶまでに長い年月が必要なように)因をつくり、結果を得るには長い時間を要します。
しかし法華経や創価の思想に従い、正しく実践すれば、因から果までの時間を短縮することができる。
宇宙のリズムに合致すれば時間が短縮できると、私は理解しております」
そして博士は、その証左こそ、SGIの奇跡的な発展だと讃えてくださっているのである。
真の知性の眼は鋭い。妙法こそ、生命と宇宙を貫く大法則にほかならない。
〈またマリノフ博士は、SGIの発展について、「それはひとえに、師匠の思想を世界に伝えようとするSGI会長の力の賜です」と述べている〉
今、SGIの世界的な発展に、世界の識者が刮目し、賞讃を寄せてくださっている。
我らは、深き誇りを胸に、この「平和と幸福の大道」を歩み抜いてまいりたい。
11
広宣流布へ強き祈りで
ドイツの大文豪ゲーテは記した。
「こころこそ、ぼくの唯一の誇りであり、これのみが一切の源泉」と(前田敬作訳「若きウェルテルの悩み」、『ゲーテ全集』第7巻所収、人文書院)。
幸福といい、希望といっても、すべて、自身の心から生まれる。
あらゆる喜びも、苦しみも、わが一念に納まっている。
心こそ、一切の力の源泉である。心の力は、無限大である。
その偉大な心を、誰もが持っている。
これがゲーテの洞察であった。
なかんずく、私たちの「強盛なる信心」の心ほど、強いものはない。
御聖訓には、「
さいわい
福
は心よりいでて我をかざる
」と仰せである。
一人の友のために祈る。友の幸福を願って行動する。
日々の地道な学会活動は、わが生命に無量の福徳を積んでいるのである。
たとえ、環境や状況がどうあれ、広宣流布へ燃え上がる師弟不二の心があれば、我らは断じて負けない。
強き祈りで、暗雲を突き抜け、険難を乗り越え、わが栄光の人生の山を、心晴れ晴れと登攀することができるのだ。
12
偉大な師に仕え偉大な歴史を!
大文豪ゲーテが、自らの全集をはじめ、生涯の総決算のために最も頼りとした人が、若き弟子エッカーマンであった。
ゲーテとエッカーマンが、初めて会ったのは、1823年6月。
このとき、ゲーテは73歳、エッカーマンは30歳。
この若き弟子は、師の晩年の約9年間をともにし、全集の編纂などに尽くしていった。
〈ゲーテ全集(ワイマール版)は全143巻。名誉会長の『池田大作全集』は現在111冊が発刊され、今後、全150巻になる予定〉
この弟子は、ゲーテにとって、誰よりも、自分の考え方、やり方を分かってくれていた。
何よりも、大文豪に仕える喜びにあふれていた。
彼は、「全心全霊をあげてゲーテに献身したい気がした。“あなた”えさえ得ることができれば、他のことはみなどうでもいい、と私は思った」(エッカーマン著、山下肇訳『ゲーテとの対話』岩波文庫)と述べている。
ゲーテを護り支える若き弟子の真剣な働きに、ゲーテ自身が驚き、感謝した。
とともに、ゲーテのために尽くしたこと自体が、この無名の一青年に、不減の栄光をもたらしたのである。
〈エッカーマンは、ゲーテの日常の語らいや行動を記録した著作『ゲーテとの対話』によって、後世に、その名を輝かせている〉
偉大な人とともに戦えば、自分も偉大な歴史を残していける。
13
人生を決めた恩師の言葉
戦後の経済の混乱期、恩師・戸田先生の事業は、深刻な事態に陥っていた。
先生は熟慮の末、学会の理事長を辞任することを決断された。
――先生が理事長をお辞めになれば、新しい理事長が私の師匠になるのだろうか――
戸田先生は、「それはちがう」と言下に否定され、「苦労ばかりかけるけれど、君の師匠は私だよ」と、おっしゃってくださった。
私は、うれしかった。このとき、心に誓った。
必ず戸田先生に学会の会長になっていただくのだ。そして一生涯、戸田先生のために戦い抜こう、と。
先生は涙ぐんでおられた。
その時の表情、その時の光景など、すべてを克明に記憶している。
19歳で先生に見いだしていただいた私は、ここから、一段と高く勇気の帆を上げて、弟子の戦いを開始した。
誰もが見限って、誹謗し、離れていくなか、ただ一人、先生を護り抜いた。
事業の再建のため、朝から夜中まで馳けずり回って、活路を開いていった。
こうした苦闘の歴史を経て、広宣流布を成しゆく、学会の発展の基盤がつくられてきたのである。
戦時中、牧口先生と戸田先生は、正義の信念を貫いて、二人して牢獄に入られた。
本当に正しいのは、牧口先生であり、戸田先生である。
このお二人の精神を毛筋ほども違えることなく受け継いだのが、第三代の私である。
この「三代の師弟」の闘争こそが、学会の正統中の正統の歴史である。
この不屈の師弟の魂を、若き皆さんに受け継いでいただきたいのだ。
14
目覚めた弟子が
世界的な国際法学者で、米・デンバー大学副学長のナンダ博士も先日、1・26「SGIの日」を祝福する声を寄せてくださった。
そのなかで、博士は、今日のSGIの大発展の理由として、創価の師弟に注目され、こう述べておられる。
「師弟の関係ほど、人々の心に深い共鳴と啓発を与えるものはありません。
真の師弟の関係は、自分が何をすべきかを、弟子に目覚めさせるものです。
そして、弟子に真に求められるものは、師匠の教えの実現であり、実証です」
師によって目覚めた弟子が、師の教えを実現していくのだ。
それでこそ、真の弟子である。
〈ナンダ博士はこうも述べている。
「今日のSGIの偉大な発展は、ひとえに、池田会長の蒔かれた、平和の種、慈愛の種が、人々の胸に深く響いてきたからです。会長の持つ人格の力、思想の力、対話の力が人々の胸奥に啓発を与えてきたのです」「私にとっても、池田会長は、かけがえのない師匠です。ゆえに私は、会長にお会いした際、弟子としての最高の敬意を表したのです」〉
15
無冠の友に感謝
さて連日、寒い日が続いている。
大雪と格闘する地域もある。
厳寒の中、毎朝、聖教新聞を配ってくださっている「無冠の友」の皆様に、私は心から健康であれ、無事安穏であれと祈らずにはいられない。
本当にありがとうございます。ご苦労さまです。
聖教新聞の発刊も、戸田先生との師弟の対話から生まれた。
昭和25年(1950年)の12月。先生が一番の苦境の時――。
お金がなく、新橋駅近くの小さな食堂で食事をしながら、先生は、壮大な構想を語られた。
「新聞をつくろう。機関紙をつくろうよ。これからは言論の時代だ。断じて、言論戦で広宣流布を切り開いていこう」と。
年が明け、先生は「いよいよ新聞を出そう。私が社長で、君は副社長になれ。勇ましくやろうじゃないか」と陣頭指揮を執られた。
そして、昭和26年の4月20日、聖教新聞は創刊された。
聖教の発刊後、先生は言われた。
「私は思い立ったことは、必ず実行する。聖教新聞の発刊も実現した」「聖教新聞で邪悪と戦うのだ!」は
この先生の破邪顕正の精神こそ聖教の根本であらねばならない。
ゲーテは、こうも言った。
「“明晰”な文章を書こうと思うなら、その前に、彼の魂の中が明晰でなければだめだし、“スケールの大きい”文章を書こうとするなら、スケールの大きい性格を持たなければならない」(前掲『ゲーテとの対話』)
今、広布の言論戦で戦う同志に、私は、「自分を磨きに磨き、書きまくれ! 大執筆家になれ! それが広宣流布である」と、強く強く申し上げたい。
さらにゲーテは述べている。
「真実の力は偉大なものさ」(同)と。
真実ほど偉大であり、強いものはない。
なかんずく、私たちは、大宇宙の真実の中の真実である仏法哲学を持っている。
恐れることなど何もない。悪は悪と明快に言い切っていくのだ。
この壮大な仏法に生き抜いて、堂々と正義のペンをふるっていくのである。
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嫉妬の人間に騙されるな!
ゲーテは、こうも喝破した。
「すぐれた人格を感じとり、尊敬するためには自分自身もまた、ひとかどの者でなければいけない。
エウリピデス(古代ギリシャの詩人=編集部注)の崇高さを否定した連中は、すべて頭のからっぽなあれれな者だ」(同)
偉大なものをバカにするのは、自分が愚かな証拠であると言うのである。
イギリスの著名な哲学者ラッセルは、「ねたみ」について、「大勢の人にとって不仕合わせの恐るべき元です」(東宮隆訳『ラッセルは語る』みすず書房)と指摘したが、その通りであろう。
戸田先生は、厳しく言われた。
「提婆達多は、師匠である釈尊を蔑如して、生きながらにして、無間地獄に堕ちた男だ」
「男の嫉妬の代表が提婆違多なのだ」
「妬み」は、人の心を狂わせる。「破壊」の心を生む。
他者の心も破壊し、自分自身も破壊してしまう。恐ろしい感情である。
嫉妬に狂った提婆達多は、大恩ある師匠の釈尊を妬み、その殺害まで企んだ。
そして、釈尊と弟子の間を切り裂いて、教団を分裂させていった。これが、仏法破壊の一つの方程式である。
こうした提婆達多のごとき嫉妬の輩、忘恩の輩、畜生の輩が出たならば、絶対にだまされてはいけない。
臆病になって、付き従ってはならない。皆、賢明にならなければならない。
鋭き信心の眼で、魔を魔と見破り、断固と責め抜いていくのだ。
将来のために、強く申し上げておきたい。
17
正邪は必ず明らかとなる
大聖人はこう仰せである。
「法華経の敵となった人を罰して、皆、人の見せしめにするようにと、梵天、帝釈、日月、四天に申しつけてある。日蓮が法華経の行者であるか否かは、これをもってご覧なさい」(御書1138㌻、通解)
仏の敵は一人も許さない。邪悪を厳然と打ち破る。
それが真実の仏法者の証しなのだ。
この御本仏の大確信を胸に抱き、来る日も来る日も、ただひたぶるに「正義の勝利」を祈りくださっているのは、一体、誰なのか。
健気な心で黙々と広布に戦う全国の学会員の皆様である。
なかんずく、創価の母の婦人部の皆様方である。
信心強き皆様を、諸天善神が守りに護る。
役職とか立場ではない。
心で決まる。「心こそ大切」である。
執念の祈りで勝つのだ。仏法の因果は峻厳である。正邪は必ず明らかになる。
どこまでも、私たちは、大聖人の弟子の道を貫いてまいりたい。
そしてまた、戸田先生と一緒に、私と一緒に、真実の同志として進んでまいりたい。
この道は絶対に間違いない。この道を進んできたから、学会は強かった。だから発展したのだ。
どうか、皆さんの手で、一段と、いい学会をつくっていただきたい。
さらに素晴らしい創価城を築き、護り抜いていただきたいのである。
18
ゲーテは綴った。
「幸せのおりにも不幸のおりにも、わが身のことばかり心にかけて、他人といっしょに苦しんだり楽しんだりするすべを知らず、また、しようという気をおこさないでは、立派な人といわれましょうか?」(佐藤通次訳『ヘルマンとドロテーア』岩破文庫)
師とともに、同志とともに、学会とともに、苦楽を分かち合う人生ほど、価値ある充実と栄光の道はない。
そして、利他の心、同苦の心の結晶が、折伏行である。折伏をする人が一番偉い。折伏に挑戦している人こそ尊いのだ。
19
戸田先生は、「どんなことがあっても、ぼくは牧口先生の弟子なんだ。先生のお考え通りに戦う以外、ないのだ」とおっしゃっていた。
「牧口先生は、こうおっしゃっていたよ」「牧口先生は、こう考えておられたよ」と語られるのが、常であった。
心の根底が、本当に師匠と一致しているかどうか。それが大事だ。
私は、戸田先生の指導を、ことごとく記し残してきた。妻とともに、先生を支え、先生にご奉公申し上げた青春であった。
現在の学会の発展を、先生は必ずや喜んでおられるであろう。
さらに恩師の指導を紹介したい。
戸田先生は、「深き団結があれば、この世で恐れるものは何もありません。『異体同心なれば万事を成ずだ』「私をはじめ全員が、大聖人の御聖訓のままに進む。これが学会精神である」と語られた。
インド独立の父マハトマ・ガンジーも、「組織は上から下まで一つのものでなければならない」(ネール著、松本慎一訳『印度の統一』育生社弘道閣)と訴えている。戦いは 「異体同心」で勝つ――これは未来にわたって普遍的な法則であるといえよう。
また、先生は確信をもって言われた。
「時代は、大きく変わった。しかし、時代の問題ではない。所詮は、人間である。広宣流布は、『死身弘法』の信心の人が進めるのだよ」
その通りだ。創価のリーダーから、新しい哲学の潮流を起こしていくのだ。そうでなければ、広宣流布は進まない。
要となるべき人間が意気地なしであってはならない。
先生は「荒波を乗り越えていく、力強い指針が必要である。福運を積んでいく、力ある宗教が必要である。だれもが、それを望んでいるのだ。それが日蓮大聖人の仏法なのだ」とも語られた。
リーダーが先頭に立って、いかなる大波も乗り切らなければならない。
20
足元を固めた人が勝者
戸田先生は、地道な努力を重んじる方であった。
ある時には「激動の時代である。勝負の世紀である。自分の足元を固めた人が勝者となる。これが鉄則である」と語られていた。
「さあ、いよいよ戦いが始まるぞ!」――こうおっしゃる戸田先生の声が、耳朶に鮮やかによみがえってくる。
そして、次のようにもおっしゃった。
「宇宙のあらゆるものは刻々と変化する。学会も、去年と同じようなことをやっていては、広宣流布が腐ってしまうぞ。皆、大いに生まれ変わらなくてはならない」と。
皆さんとともに進む重要な1年である。一日一日、新たな心で――新たな価値を創造していきたい。
21
きょうは、女子部の池田華陽会の代表も参加されている。
広宣流布の未来を思う時、皆さんの使命は、あまりにも大きい。
19世紀のアメリカの女性詩人エミリ・ディキンソンの言葉を贈りたい。
「もっとすばらしくなるべき力を私たちは持っているのです」(T・H・ジョンスン著、新倉俊一・鵜野ひろ子訳『エミリ・ディキンスン評伝』国文社)
皆さんには、人間革命の哲学がある。妙法という限りない力を持っている。
アメリカの詩人が創造の翼を大きく広げたように、希望と勇気の大叙事詩を、一生涯、心豊かに綴っていっていただきたい。
22
心して強盛な信心に立て!
現実の社会は厳しい。しかし、その中で勝ち抜いてこそ、新しい道は開かれる。
戸田先生は言われていた。
「今は、日本の国始まって以来の乱世といってもよい。
心して、強盛な信心に立て! 時代の波に、絶対に足をすくわれるな!」
信心こそ、乱世を勝ち抜く力である。
混迷の時代ほど、ますます信心根本に、地に足をつけて前進しよう! いいね!〈「ハイ!」と力強い返事が〉
世の中には、卑劣な人間がいる。狡猾な人間もいる。恩を仇で返す人間すらいる。
悪は結託する。巧妙に陰で動き回る。
そうした悪人に誑かされてはならない。本質をはっきり見抜かなければならない。
戸田先生の人生も、悪意の勢力との闘争であった。絶体絶命の時さえあった。それでも先生は、厳として言われた。
「この身を広宣流布の大願のために叩きつけるという、私の覚悟は、今も、これからも、微動だにしない!」
すごい言葉である。
何のための人生か。その原点を忘れない人は強い。揺るがない。屈しない。
23
「“周りから、何だかんだと悪口されるのは嫌だ”などと思えば、戦いは負けである。戦わずして、臆病という、心中の賊に敗れているのだ」
これも、先生の非常に深い哲学である。とくに、幹部が心すべき急所といえよう。
24
不惜身命の魂に
日蓮大聖人は、「不惜身命」の精神を門下に教えられた。
指導者に、その深き精神がなければ、魔に信心を食い破られてしまう。魔の跳梁を許せば、どれほど多くの純真な友が苦しむか。
広宣流布の指導者の責務は重大である。
惰弱になるな! 増上慢になるな! 愚かな虚栄に惑わされるな! これが、仏法の厳しき戒めである。
日蓮大聖人は仰せである。
「第六天の魔王が、私の身に入ろうとしても、かねての用心が深いので身に寄せつけない。ゆえに、天魔は力及ばずに、王や臣下をはじめとして良観などの愚かな法師たちに取りついて、日蓮を怨むのである」(御書1340㌻、通解)
ここに、迫害の構図がある。魔は権力者たちに「悪鬼入其身」する。同志の絆を断ち、和合を破ろうとする。
魔を打ち砕くには、信心で立つのだ。敢然と、師弟不二の心で立つしかない。
この一点を、後継の青年部は、よくよく、わが生命に刻みつけてもらいたいのだ。
難の時こそ、師が開いた道を、師の教え通りに、「先生! 先生!」と胸中で叫びながら進む。そうやって私は、あらゆる障魔を勝ち越えてきたのである。
25
戸田先生は、婦人部の友に語られた。
「一途に、まっすぐに、御本尊を信じ切っていくのだ。
『信』の一字をもって、御本尊に信用される自分になるのだ。
そして、私と一緒に邪悪と戦おう!」
私の妻も、戸田先生の弟子として、「信」の道を、まっすぐに歩んできた。
戸田先生が地方へ行かれる時、また帰京の時、駅や空港に見送りや出迎えに行くのも、私の妻であった。どんなに朝早くとも、夜遅くとも、妻は、その姿勢を貫いた。
一途に仕える弟子の一心を、先生は喜び、信頼してくださった。
私が第三代会長に就任した日。
妻は、「きょうは、池田家のお葬式です」「きょうから、わが家には、主人はいなくなったと思っています」と、毅然たる口調で語っていた。
また大難の嵐の中、私が会長を辞任した時には「ご苦労さまでした」「これで、世界中の同志の皆さんのところへ行けますね」と笑顔で語る妻であった。
辞任の後、私は妻とともに神奈川へ向かった。そこから世界につながる港を望んだ。
夫婦して、戸田先生に捧げた人生である。
ゆえに、何があっても、動じない。変わらない。
ただただ、師匠のため、同志のために――これが、真実の弟子の道なのである。
26
「関西には異体同心の信心がある」
戸田先生は叫ばれた。
「戦いというものは、自分でつくるものだ。それを乗り越えていくのも、ほかならぬ自分である。困難を避ける人間には、何もできない」
難の時ほど燃え上がる――これが、学会精神だ。正義の精神である。
国家権力の陰険なる弾圧を受けた、昭和32年(1957年)の「大阪事件」。
不当逮捕され、2週間後、出獄した私に、戸田先生は言われた。
「関西の同志は、大作と一緒に難に立ち向かった。他人事のように感じていた者など一人もいなかった。皆が怒りに胸を焦がし、悪を打ち砕かんと必死に戦った。素晴らしい団結だ」「関西には、絶対の『異体同心』の団結の信心がある。だから強いのだ」
先日、その関西から、一足早い春の便りが来た。奈良の青年部が、懐かしい若草山を描いた屏風を届けてくれたのだ。
健気な奈良の同志は、幾多の試練を乗り越えて戦ってきた。
初代支部長・婦人部長の有馬猶二郎さん・のぶさん夫妻の家の塀には、ペンキで大きく悪口を落書きされた。
しかし有馬さんは、それを「誇り」と言って、あえて消さなかった。
さらに奈良の友は、宗門の坊主からも、いじめられた。どれほど悔しい思いをしたことか。まさに恩知らずの畜生の所業であった。
それでも、奈良の同志は、絶対に負けなかったのである。
奈良の若草山は、年に一度、「山焼き」を行う。
焼くことで、害虫を除き、ほかの植物の侵入も防ぐ。枯れ草を焼いて、次の芽生えを促す。そうして、新鮮な春の緑野が輝くのである。
難を乗り越えた奈良にも、春の若草山のごとき、みずみずしい、希望の人材のスクラムが広がっている。
とくに、聖教新聞の拡大は、大関西を力強くリードし、全国の模範と輝いている。
後継の青年部も、陸続と育ってきた。
「奈良の勝利の春、万歳!」と申し上げたい。
27
創価の道は「対話・哲学・智慧の道」
現在、私は、ナポレオン家の当主シャルル・ナポレオン公と対談を進めている。
ナポレオン公は、ナポレオンの末弟ジェロームの直系の子孫である。
〈対談は「21世紀のナポレオン――歴史創造のエスプリ(精神)を語る」と題し、月刊誌「第三文明」1月号から連載中〉
先日も、次のような連絡をいただいた。
「2009年の開幕に寄せて、池田会長が世界のSGIメンバーに贈られた感銘深いメッセージを、私も拝読させていただきました。
その中で、会長は『人類の持続可能な発展のため、永続的な平和のため、今こそ、新しき変革の道を進みゆく勇気と希望が必要です』と呼びかけられ、世界を結ぶ『対話』と『哲学の実践』を強調されています。
私自身、ここ数年、哲学的な知恵の道を進みたいと、思索を深めてきました。だからこそ、私は池田会長の理念と哲学に心からの共感を抱いてやまないのです」
私のことはともかく、世界の知性が深い共感を寄せる「対話と哲学と智慧の道」が「創価の道」である。
〈ナポレオン公は、こうも述べている。
「会長は、メッセージの中で、青年に対して深い期待と信頼を語られています。池田会長ほど、青年を愛し、青年を信じ、青年を鼓舞される指導者を、私は知りません」
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運命を開くのは自分自身!
さらに、青年のため、未来のために語り残しておきたい。“仏道修行だ。過去に遊んだ分を取りもどそう”と思って、心して聞いていただきたい。
戸田先生の若き日の日記から、後継の皆さんに贈りたい。
大正11年(1922年)の春、22歳の日記。
先生は、「僕の運命を開いた大なる力は自分であった」と記されている。
そして、こう決意を綴られた。少々難しい表現なので、わかりやすく紹介したい。
――自分を支配する者は自分である。心意気も、自分自身の中にある。自分を生かすも殺すも、自分次第である――またある時、恩義を受けた方への感謝を、こう綴られている。
――私は、厚意を心肝に染めたのである。
志を立てずして、偉業を成し遂げずして、この恩に報いることはできない――
恩を知り、恩に報いることこそ、「人間の道」であり、「仏法の道」である。信頼の心通う社会を築きゆく方程式なのである。
人生には、さまざまな恩がある。その中でも大切な一つが「師恩」である。師への報恩に、私は生きてきた。
師匠の精神を踏みにじる人間を見ても、自分だけいい子になって戦わない。声もあげない。そんな臆病者は、弟子はない。
師の心をわが心として戦うのが弟子だ。
御聖訓には「おのおの日蓮の弟子と名乗る人々は、一人も臆する心を起こしてはならない」(御書910㌻、通解)と仰せである。
弟子と名乗るならば、何があろうと正義を護る、気迫と行動がなければならない。口先だけでは、言葉の遊びにすぎない。
イギリスのロマン主義の文人ハズリットは警告している。
「困難を克服する努力あってはじめて人は何事かに秀でる。苦労せずに成功するようになると、以前よりも真面目さが減ってきて、完成に向かう歩みが止まってしまう」(中川誠訳『ハズリット箴言集――人さまざま』彩流社)
苦労なくして成長はない。苦労をも喜びとする皆様であっていただきたい。
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電光石火で勝て
栄光の学会創立80周年の峰は、間近に見える。「青年・勝利の年」を晴れやかに飾りゆくために、最後にもう一度、戸田先生の指導を拝したい。
先生は、戦いに臨んで、ぼやぼやしている人間には、こう叱咤された。
「時間を浪費するな! 勝つために、今一番大事なことは何か。それを見極め、最優先せよ!」
電光石火のスピードで勝つのだ。
勝利から逆算する――かけがえのない今この時に、何をすれば一番、価値的か。それを明確にして、「黄金の自分史」を綴り残していただきたい。
先生は鋭く言い放たれた。
「いかなる組織も、内輪もめをするたびに弱くなり減びていく。ゆえに、団結こそ根本なのだ!」
師弟不二の歯車に、わが心のギアを、がっちりと、かみ合わせ、皆が力を合わせてこそ、勝利は輝く。
心一つに進むのだ。
あの剛毅な、師子のごとき戸田先生が、晩年、私に、しみじみと語ってくださった。
「おまえを弟子にして、おれは本当に幸せだった」と。
あの一言は、忘れることができない。これ以上の誉れはない。
先生は、時を同じくして集い合った広布のリーダーたちに、こう呼びかけられた。
「私は、広宣流布のために、一身を御本尊に捧げる決意をしている。同じ決意を分かとうという人は、どこまでもついてきなさい。
その決意のもとに、大いに戦おうではないか!」
師と同じ心で、不惜身命で勝ち進んだからこそ、192カ国・地域に広がる、今日の世界的な学会がある。
今再びの前進を、よろしくお願いします!
私は、全同志のご健闘、ご健康、無事故、そして勝利を、毎日、夫婦で祈っています。第三代会長になった時から、ずっと祈り続けています。
長時間、ご苦労さま! ありがとう!
〈ここで、名誉会長は、戸田先生が大好きだった父子の決意の曲“大楠公”をピアノで力強く演奏した〉
この1年も、一緒に進もう!
皆に勇気と希望を贈る、勝利の名指揮を頼みます!
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