Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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全国最高協議会
2008.7.29 スピーチ(聖教新聞2008年上)
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2
同志に感謝を!
この協議会は、一騎当千の王者の集まりである。
「真剣」でなければ、未来は開けない。
「真剣」でなければ、仏と魔との大闘争を勝ち抜けるはずがない。
根本は、最高幹部の皆さんが、率先して行動することだ。
自分は楽をして皆にうまくやらせよう──そんな気持ちが毛筋ほどでもあるならば、戦いは敗北だ。仏子を軽んずる、謗法にも等しい行為である。
健気な同志の皆さんが、汗をかき、足を棒にして歩き、時には、悪口されながら、創価の真実と正義を語りに語ってくださってきたおかげで、広布の地盤は、ここまで築き上げられたのである。
この尊き同志の心を、幹部一人一人は、絶対に忘れてはならない。
真剣に戦ってくださる同志に心から感謝しよう、皆さんの奮闘に何とか応えていこう──そう思って戦う人は、最後は必ず勝っていける。
多くの友を結集しながら、はつらつと歓喜の前進の指揮を執っていけるのだ。
創価の父である牧口先生は語られた。
「試練に行き当たった時こそ、前進の炎をさらに燃え上がらせて、生きて生きて、生き抜くのだ」
ともあれ、有意義にまた朗らかに、広宣流布の研修を行い、下半期の大勝利へ、生き生きと出発してまいりたい。
3
法華経に「令法久住」とある。
しかし、個人の信仰だけでは、妙法を未来永遠に伝えていくことは困難である。
だから、組織が大事だ。学会が大事だ。
学会の「組織」が強くなり、学会の「人材」が強くなるためであれば、私は、労苦を惜しまない。
それを確固たる信念として進んできたのである。
4
戦う心があるか
戸田先生は、強く語られた。
「どのような状況にあっても、自分自身が深く偉大な信心に立てば、すべてを開いていける。
自分が変わり、自分が成長し、自分が責任を持てば、一切に勝利できるのだ。要は自分だ。自分自身に生き抜くことだ」
すべては、自分自身で決まる。
「戦おう!」「勝とう!」──この信心の強き一念が胸中に燃えているかどうか。
戦う命があるか。
負けない心が光っているか。
それが一切の勝利を決めるのである。
5
使命の天地・関西
昭和31年(1956年)の「大阪の戦い」。
「東京」と比べて、「大阪」は、勝てる要素などなかったといってよい。
恩師の戸田先生は、その大阪の指揮を私に託された。
「大作、頼むな!」
「まかせてください!」。私は立ち上がった。
そして、使命の関西の天地で、師匠のために犠牲になる覚悟で戦い抜いたのである。
迎えた決戦の日。
早朝5時ごろ。
大阪にいた私は、戸田先生を思いながら、電話の前にいた。
すると、電話が鳴った。すぐに受話器を取った。
東京にいらした戸田先生からであった。
「なんだ大作、もう起きていたのか」
「はい」
「関西はどうだい」
「こちらは勝ちます!」
まさに、あうんの呼吸であった。
そして、先生に申し上げた通り、関西は勝った。「まさか」が実現した。
創価の真実の師弟が勝ったのである。
6
「恩を仇で返すのは最も卑劣」
スペインの劇作家ロペ・デ・べーガを、ご存じだろうか。16世紀から17世紀に活躍した、スペインを代表する文学者である。
彼は作品の中で登場人物に語らせている。
「恩を仇で返すなどというのは、人間のなし得る卑劣な行為の精髄だからな」(牛島信明訳「オルメードの騎士」、『スペイン黄金世紀演劇集』所収、名古屋大学出版会)と。
戦後間もない昭和20年代、戸田先生が事業に失敗され、莫大な借金を抱え、絶体絶命の状況に追い込まれた時である。
今まで、先生にお世話になってきた人間が、まさに「恩を仇で返す」ごとく、先生を罵り、去っていったことを、私は忘れることはない。
なかには、先生を下に見て、「戸田君」と呼ぶ幹部も現れた。
“調子の良い時だけ先生の側にいて、口では師匠と言いながら、実際は、自分のために利用していただけではないか”──私は、怒りで心が煮えたぎる思いであった。
7
私は戸田先生の弟子として、早朝から夜中まで、壮絶に戦った。
学会を財政面から支えていた先生の会社を再建するため、必死で働いたのである。ご家族のことも、喜んで、何でもやらせていただいた。
戸田先生から、「どんなことがあっても君の師匠は私だよ」と明言していただいた私には、文句も愚痴もなかった。
そしてまた、わが家も、私の実家も、妻の実家も、すべてを捧げて、恩師に尽くしたのである。
晩年、戸田先生は、私の手をがっちりと握りながら、「君がいてくれたから、私は本当にいい人生を送れた」と落涙された。
あまりにも美しい師弟の姿であった。
その後も、先生から受け継いだ学会を、世界192カ国・地域に広げ、先生の偉業を全世界に大きく宣揚してきたことは、皆さんがご承知の通りだ。
8
戦時中の大弾圧のなか、戸田先生は牧口先生をお護りした。
戦後の最大の苦境のなか、私は戸田先生をお護りした。
命を賭して師匠を護る──これが本当の師弟である。
古今東西の歴史を見ても、私ほど師匠に仕え切った弟子はいないと自負している。
それが、私の永遠の誇りであり、永遠の勝利であり、永遠の栄光である。
この言語に絶する師弟の道をつくってきたからこそ、学会は世界的な発展を遂げたのである。
9
名聞名利が信心を破壊
御聖訓に仰せである。
「(提婆達多は)名聞名利が深い者であったので、仏が人々から尊敬され、もてなされているのを妬んだ」(御書1348㌻、通解)と。さらに「提婆は妬む心が深く」(同1349ページ、通解)とも説かれている。
「信心」を破壊し、「師弟」を破壊するのは、「名聞名利」の心であり、「妬み」の命である。
戸田先生は、厳然と叫ばれた。
「口ばかりで実行の伴わない、ずるい幹部は信用できない。金、権力、名声、遊びで堕落し、すぐに争い合う。だから絶対に気をつけろ。そんなやつは、たたき出せ」と。
厳しいご指導ではあるが、学会の将来のため、清浄な広布の組織を護るため、あえて紹介させていただいた。
10
正義を叫んだ女性リーダー
きょうは、婦人部、女子部の皆さんの代表も集ってくださった。本当にありがとう!
皆さんの大先輩であり、女子部長、婦人部長も歴任した模範の女性リーダーの一人に、多田時子さんがいる。
学会が一番大変な時、創価のジャンヌ・ダルクのごとく、颯爽と立ち上がり、師弟の正義を強く叫び抜いた方であった。
多田さんは、戸田先生がつくられた女子部の人材グループ「華陽会」のメンバーでもあった。
その「華陽会」で戸田先生は指導された。
「師匠を信じて、いかなることがあろうと、共に戦い進みゆく人間の集まりこそが、創価学会の最大のあり方である」と。
どんなことがあっても、師と共に!──この一念でリーダーが進んでいくとき、必ずや広布の組織は発展する。それを多田さんは、自身の行動をもって、見事に示していかれたのである。
その精神は、今の女子部の「池田華陽会」に、脈々と受け継がれている。
11
牧口先生がご自身の「御書」に傍線を引かれ、胸に刻まれた一節の中にこうある。
「
今の世間を見るに人をよく
なす
成
ものは
かたうど
方人
よりも強敵が人をば・よくなしけるなり
」
今の世間を見るならば、人を立派にしていくものは、味方よりも、むしろ強い敵であるとの仰せだ。
確かに、困難があり敵がいるから、真剣に題目があがるのだ。
油断ならない状況であればこそ、惰性に流されやすい自分を奮い立たせ、日々、前進することができるのだ。
その意味で、広宣流布に戦う人生は、無限の向上の歩みである。
その感謝と誇りをもって、愛する同志に勇気と希望を贈りながら、さらに生き生きと前進してまいりたい。
わが同志に、祝福の和歌を贈りたい。
君もまた
私も共に
敢然と
世界広布の
肩組む嬉しさ
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いよいよ、これからが、広宣流布の総仕上げである。
各地の会館をはじめ広布の法城の建設にも、全同志のため、後世のために全力で取り組んでまいりたい。
思えば、私が第三代の会長に就任したころは、学会の建物はまだ少なかった。それが今では、全国、全世界に堂々たる「平和の城」「文化の城」がある。
この一点を見ても、学会が、どれほどの勢いで発展を続けているかがわかる。本当にすごいことだ。
私は戸田先生の構想は、すべて実現した。今でも、世界広布のため、未来のため、どんどん手を打っている。先生は心から喜んでくださっていると思う。
これまで私は、自分自身のことなど何一つ考えないで戦ってきた。すべてを学会のため、同志のために捧げてきた。
目覚ましい発展の陰に、どれほどの苦労があったか。どれほどの激闘があったか。
後継のリーダーは、このことを決して忘れてはならない。
13
広宜流布の原動力たれ
戸田先生は言われた。
「本陣の幹部の使命は、日本国、そして全世界の広宣流布の原動力となることである。広宣流布に走りゆく同志のために、労を借しまないことである」
リーダーの皆さんは、常に生き生きと進んでもらいたい。
また、周りから好かれる存在であっていただきたい。理屈ではない。「感じ」のいい、人格が光る人であってこそ、皆も、ついてきてくれるのだ。
戸田先生は、リーダーに対しては、それはそれは厳しかった。研修会など、先生のもとで行われた訓練が、どれほど大変なものであったか。
参加者に生命力がなかったり、いい加減な態度だったりしたら、烈火の如く叱られた。さまざまな機会を通して、私たちを訓練してくださった。
本当に天才的な指導者であられた。
この剛毅な戸田先生が、師匠の牧口先生の前では、これ以上ないというぐらい、かしこまっておられた。そう、うかがった。
私もまた、戸田先生に対しては、同じような思いでお仕えした。これ以上、尽くしょうがないというほど、先生のために尽くし抜いた。
先生の訓練の厳しさは、今の人たちには想像もできないと思う。ふつうだったら嫌になって、逃げ出してしまう。それほどの訓練だった。
私だったから、ここまで戸田先生にお仕えすることができた。そう自負している。
先生の訓練のおかげで、つくりあげることができた創価学会なのである。
ともあれ、広布の労苦に一切、無駄はない。同志のため、学会のために真剣に働けば、永遠に仏天の加護があることは、絶対に間違いない。
霊山と
十方諸仏が
護り来る
我らの勝鬨
三世に響かむ
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恩を忘れるな
仏典には、こう記されている。
「善くない人は恩を知らず、恩を感じない」
「善い人」は「恩を知り、恩を感じる人である」(中村元著「『恩』の思想」、仏教思想研究会編『仏教思想4』所収、平楽寺書店)。
仏法は報恩の大切さを教えている。
私は、師匠への報恩に生き抜いてきた。
恩を忘れれば、増上慢になる。自分勝手になる。そして結局、信心が狂い、自分自身を滅ぼしてしまう。
「正しい仏法を教えてくださった師匠が、一番の恩人です」
心から、。こう言える自分なのか。そうではないのか。
この違いは、あまりに大きい。「心こそ大切」なのである。
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各国の文化を最大に尊重
きょうはアメリカとブラジルの代表も参加されている。
遠いところ、本当にご苦労さま! 皆で、最大に歓迎申し上げたい。
アメリカも、ブラジルも、私の初訪問から今年で48周年。威風も堂々と、「一閻浮提広宣流布」の双壁として勝ち栄えている。
アメリカの首都ワシントンDCでは、6月25日、40カ国以上の大使館が並ぶ通称「大使館通り」(マサチューセッツ・アベニュー)に、見事なワシントンDC文化会館が開館した。
この新文化会館には、アメリカ国旗が掲げられ、歴代大統領の肖像画など、アメリカの伝統と文化を尊重する品々が置かれている。
こうしたことに対して、近隣など多くの来館者から、深い共感と信頼の声が寄せられたとうかがった。
御書には「
一切の事は国により時による事なり
」と仰せである。
その国や地域の文化を最大に尊重していく。これが仏法の考え方である。
この教え通りの前進によって、SGI(創価学会インタナショナル)の連帯は、世界192カ国・地域にまで広がったのである。
わが同志
一千万に
なりにけり
全世界は
我らが胸にと
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見事な大発展
アメリカでは、今年の上半期だけで、4,000世帯の弘教が実った。
この拡大の中心は、青年部であった。婦人部、そして壮年部も健闘してくださった。
特に、青年部時代から頑張ってきた、私もよく知る各方面のリーダーをはじめ、若い壮年部の活躍が光っている。
アメリカ創価大学も、まもなく8期生を迎える。
これまで、多くの卒業生が名門大学の大学院への進学を勝ち取った。また国際機関や政府機関、一流企業等でも活躍を始めている。
人類貢献の世界市民を育成するアメリカ創価大学を、多くの識者が讃えてくださっている。
〈なお、SGIの平和・文化・教育の運動に対して、アメリカ社会から大きな共感と賞讃が寄せられている。
本年3月には、アメリカ連邦議会から名誉会長夫妻に「特別顕彰状」が贈られたほか、各州・市などからの顕彰も相次いでいる〉
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ブラジルも、見事な大発展を遂げている。
本年の日本人移住100周年記念の行事についてもSGIの尽力で大成功することができたと、各界から最大の感謝が寄せられた。
またブラジルでは、この5年間で2万世帯の弘教が実っている。
〈ブラジル社会でもSGIは絶大な信頼を勝ち得ている。
これまでブラジルの各都市から名誉会長に贈られた「名誉市民」称号は、約100にのぼる。
さらに「南十字国家勲章」、13の名誉学術称号など、多数の顕彰が名誉会長に贈られている〉
思えば昭和35年(1960年)のブラジル初訪問の際、私の体調は最悪の状態だった。
しかし私は「たとえ倒れてもかまわない」との覚悟で、友のもとへ向かった。断じてブラジル広布の歴史を切り開くのだとの決心で、一人一人を全魂で励ました。そして、海外初の支部を結成したのである。
ブラジルの友は、「不惜身命で道を開いてくださった、その師恩に何としても報いるのだ」との思いで戦ってこられた。
私は、本当にうれしい。ブラジルは、「師弟不二の心」で勝ったと申し上げたい。
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信心に勝るものはない。
たとえ大金持ちでなかったとしても、喜んで広布に生きる人の胸には、信心という最高の財宝が輝いている。永遠不変の“黄金”が光っている。
「心」が「宝」になるのである。
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拡大の金字塔を
きょうは、男女青年部の代表も参加している。
青年部の時代だ。「青年部、頑張れ!」と強く申し上げたい。
私は青年時代、折伏をはじめ、拡大の指揮を執るたびに、全国で一番の結果を残した。権力の迫害にも、一歩も引かなかった。
歴史をつくるのだ、青年ならば。戦って戦って、戦い抜いて、勝利の金字塔を打ち立てていくのだ。
また、壮年部、婦人部の皆さんも、全員が青年の心意気で立ち上がってほしい。
どこまでも、若々しく、満々たる闘志を燃やして進もう!
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よりよい社会を築くのも、その第一歩は、一人の悩める友を救うことである。
必死の祈り。慈愛の励まし。勇気の行動。これがなければ、大いなる変革のうねりを起こすことなど、できるはずがない。
「声」が力だ。「対話」が武器だ。
折伏の意義について、戸田先生は、こうおっしゃった。
「世の中に恩人は、いろいろある。しかし、御本尊を持たせてくれた恩は、三世の幸せにつながる大恩である。その恩返しをする最高の方法は、今度は自分が折伏することだ」
心揺さぶる対話から、新しい喜びのドラマが生まれる。
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「同じ心」で前進
リーダーは、先頭をきって「希望の大道」「平和の王道」を切り開くのだ。格好がどうか、ではない。大事なのは、最後に「勝つ」ことだ。皆さんは、すでに「信心」という勝利への直道を知っている。
将来にわたり、決して偉ぶることなく、皆と「同じ心」で、「同じ目線」で、戦うことだ。心を合わせ、団結して進むのだ。
自分がどう見られるかばかりを気にして、外面を飾り、気取っていては勝てない。
戸田先生はリーダーに強く言われた。
「形式的な表面的な弱々しい姿で臨んでいるだけでは、どうして人がついてくるか」
幹部のせいで戦いが進まないようでは、いる意味がない。すべては信心で決まるのだ。
「人材をどんどん育てよ! 探せ!」と戸田先生は叫ばれた。
ある時、先生は、衆望を集める世間の指導者について「彼は偉ぶらず、質素な服装で、仕事も、交渉ごとも、自分で真っ先にやっている。面白い男じゃないか」と評された。
先生の人を見る目は鋭かった。内外を問わず、光る人材を愛する、スケールの大きさが懐かしい。
こうして皆さんに指導を伝えていると、破顔一笑される先生の姿が心に浮かぶ。
「大作は、俺が忘れてしまった言葉まで覚えているな」──と。
師の一言一句たりとも疎かにしない。これが師弟である。
先生は力強く呼びかけられた。
「この戸田と共に戦ってほしい。そして、立派に成長していくのだ。たとえ、どこの地に行こうが、この戸田と共に邁進するものと、私は確信しています」
広宣流布の大師匠・戸田先生とともに生きる!──これが私の人生である。
そして、同志とともに、妙法の王子・王女である青年たちとともに、ますます元気に進んでいきたい。
わが同志
仏の王子は
三世の誉れと
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法を壊す悪と戦う人が菩薩
天台大師の師匠である南岳大師の言葉に、こうある。
「もし菩薩がいて、悪人をかばって、その罪を罰することができず、そのために悪を増長させ、善人を悩乱させて正法を破壊させるならば、その人は、じつは菩薩ではない」(御書1374㌻、通解)
正法は全人類を幸福に導く。悪人は、その法を破壊する。
悪と戦ってこそ、菩薩なのである。
正義の師弟を貫くのは、「破折の精神」「折伏の精神」「広宣流布の精神」にほかならない。
ドイツの哲学者カントは喝破した。
「陰険な人間、それは思いやりがなく、冷酷で、人を傷つけて喜ぶ人間である」(高橋克也訳「人間学遺稿」、『カント全集15』所収、岩波書店)
同じくドイツの詩人シラーは、「卑劣な人間がいるところ、嘘と陰謀がはびこる」と綴っている(戯曲「ヴァレンシュタイン」)。
戦おう! 正義を守るために。邪悪を打ち破らなければ、いい人材は育たない。
「清浄な創価学会の組織を撹乱する者を追放せよ」
これが、戸田先生の厳命であった。
また、牧口先生は、人事について「親分子分だけの関係で人事をやってはならない」と戒められたという。
そういう人事は、結局、うまくいかないものだ。皆からも支持されない。
広布のための組織である。決して公私混同してはいけない。
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信心の苦労こそ最高の“学歴”
日蓮大聖人は、「開目抄」に記されている。
「道心(=信心)のない者は、生死(の迷苦)から離れることはできない。
教主釈尊は、一切の外道から大悪人であると、ののしられた。
天台大師は、南三北七の十派から怨嫉され、日本の法相宗の僧・得一からも、『(天台は)三寸に足らない舌をもって(仏説を誹謗し)五尺の仏身を断つものである』と中傷された。
また伝教大師も奈良の諸宗の人々に『最澄(=伝教大師)は、まだ唐の都を見ていない』と言われた。
これらはすべて、法華経のゆえであるから恥ではない。(それよりも)愚人にほめられることは第一の恥である」(御書237㌻、通解)
正法を弘めるゆえに受ける難は、仏法者の誉れなのである。
24
この御文で述べられている伝教大師への非難は、現代的には、世間一般の「権威」「学歴」を偏重する風潮や、最先端の学問を知らない等の誹謗にも通ずるといえよう。
伝教大師は、法華経を正しく行ずるゆえに憎まれ、悪口された。その一つが、“最澄は唐の都ではなく、「辺ぴな地方」(天台山)で学んだだけだ。ゆえに、最澄の教説は正しくない”という難癖であった。
しかし、伝教大師の側は毅然と反論している。──大切なのは、どこで学んだかではない。だれを師匠とし、いかなる法理を学び究めたかが重要ではないか──。
伝教大師は、「法華経第一」と知るゆえに、天台大師の正統を知る師匠から学んだ。“権威づけのため”などという考えはいささかも眼中になかった。
今も、人の実力を判断する際に、「有名大学の出身ではない」と見下す者がいる。その根本は「増上慢」であり、間違っている。
ことに、信心の世界で重要なのは、学歴や肩書ではない。広宣流布への信念であり、信心だ。
広布のための苦労によって刻まれた年輪は、いわば“学歴以上の学歴”なのである。これが大聖人の御精神でもある。
戸田先生も、伝教大師の入唐の史実を通して、「戸田大学」の意義を語ってくださったことがある。
当時、私は苦境に立つ先生を支えるため、通っていた夜学も断念せざるをえなかった。
先生は、おっしゃった。──広宣流布の土台をつくってくれ。学問は、俺が教える──と。
約10年間、真剣な講義が続いた。日曜には戸田先生のご自宅で、朝から晩まで勉強したこともあった。
25
庶民の城を守れ
歴史学者のトインビー博士と対談した際、博士は、「私は世界のいくつかの大学から名誉博士を贈られています。あなたは必ず私以上に、世界中から名誉博士号を贈られるようになるでしょう」と励ましてくださった。
博士の言葉通り、皆さんを代表して、世界の学術機関から拝受した名誉学術称号は「242」となった。
これらはすべて、「戸田大学」の薫陶のおかげであると、私は思っている。
また、学会は庶民の団体である。
今から振り返ると、あの苦闘の日々に、いわゆる有名大学ではなく、戸田先生のもとで学んだこと自体が、“庶民の城である学会を護れ! 学会幹部は絶対に権威を振りかざすな!”という、先生の言外の指導であったように思えてならない。
本当に偉大な先生であられた。
広宣流布の正しき師匠のもとで、正しき法を求め、学び、実践していくことが、どれほど仏法の本義に則っているか。“創価の師弟の大学”に学びゆく青春ほど、崇高な道は絶対にない。
かつて「唐の都」であった西安(長安)は、鳩摩羅什によって法華経が翻訳された地である。
その西安市の市長は、法華経を実践する学会の理念に共感し、学会が進める日中友好、平和・文化・教育の運動に対する協力を借しまないと語ってくださった。〈西安市は1999年、名誉会長に「栄誉市民」称号を贈っている〉
法華経の正統を受け継ぐ学会の大前進を、伝教大師も喜んでおられるに違いない。
26
権威を恐れれば民主主義は破壊
「行動」こそ青年の証しである。戸田先生は語られた。
「社会の不幸に目をつぶって、宗教の世界に閉じこもり、安閑とただ題目を唱えているだけなら、大聖人の立正安国の御精神に反している。
この世の悲惨をなくす。不幸をなくす。人権を、人間の尊厳を守る。平和な社会を築いていく。そのなかにこそ、仏法の実践があるのだ」と。
この「戦う心」を忘れ去ったのが、日顕宗である。
「民衆に慕われながら、民衆の生活の中に飛び込んで広宣流布していくんだ」と、率先して陣頭指揮をとられる戸田先生だった。
先生は、こうも言われた。
「権威なんか恐れることはない。だれ人たりとも恐れる必要はない。権威を恐れていては民主主義が破壊される。それでは民衆が、かわいそうではないか。あくまで主権在民である」と。
どこまでも、民衆が強くなるため、民衆が賢くなるための学会活動である。最高幹部は心しなければならない。
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暑さが厳しい。
健康にくれぐれも気をつけて、楽しく、有意義な日々であっていただきたい。
最後に──
おお師弟
同志の歌あり
創価かな
と贈り、記念のスピーチとしたい。また元気にお会いしよう!
1
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