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日蓮大聖人・池田大作

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全国各部協議会  

2008.2.22 スピーチ(聖教新聞2008年下)

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2  青年を伸ばせ!
 3・16「広宣流布記念の日」の50周年を前に、女子部の皆様に和歌を贈りたい。
  尊くも
    師弟不二なる
      前進の
    貴女あなたの勝利は
      三世の功徳と
 男子部の諸君には、記念に、次の言葉を贈りたい。
  いざや立て!
    壮大な君たち青年の
      大舞台の幕が開いた
    青年の時代だ。皆、頑張れ!
 私も、32歳から創価学会の会長を務めた。時代を先取りする手を、戸田先生は打たれたのだ。
 私が会見する予定だった、アメリカのケネディ大統領が就任したのは、43歳の時であった。
 ともすれば人は、年をとると、守りに入る。ずるくなり、口先だけの要領に走る者もいる。名聞名利にとらわれれば、もう信心ではない。
 青年が大事だ。青年は、人まかせにしたり、すぐに威張ったり、そんなリーダーになってはならない。
 また、いくら口がうまくても、行動が伴わなければ、意味がない。
 皆に優しくし、皆に好かれる、人柄のいい指導者になってもらいたい。
 今の苦労は、すべてが未来のための訓練だ。
 時を惜しんで学ぶのだ。
 世界でも、若き指導者が各界に躍り出ている。もうすでに、新しい時代は始まった。
 立場が上になるほど、自分に厳しく、油断せず、慢心を排して、わが尊き使命を全うしていただきたい。
3  同志の苦しみを背負って立て!
 今や、世界的な学会となった。
 すべて、私と不二の心で戦ってくださった、尊き父母のおかげである。
 若き諸君は、できあがった組織の上にあぐらをかいて、ふんぞり返っては絶対にならない。
 インド独立の父マハトマ・ガンジーは戒めた。
 「細かい心づかいをしていないで、他人に命令をくだしても、うまくいかないのである」
 「ところが、指導者自身が召使いになっているところでは、指導権をねらう競争相手もなくなってしまうのである」(蝋山芳郎訳「ガンジー自叙伝」、『世界の名著77』所収、中央公論新社)
 人々に尽くすのが、新時代の指導者だ。
 広布の同志は、皆、仏子である。話す時にも、決して、ぞんざいな言い方ではなく、「○○さん」と尊敬を込めて呼びかける。それが本当の指導者の姿である。
 ロシアの文豪ドストエフスキーは、作品の登場人物に、こう語らせた。
 「他人に対してもっとやさしく、もっと気を使い、もっと愛情を持つことです。他人のために自分を忘れること、そうすればその人たちもあなたを思い出してくれます。
 自分も生き、他人をも生かすようにする──これがわたしの信条です!」(小沼文彦訳「スチェパンチコヴォ村とその住人」、『ドストエフスキー全集2』所収、筑摩書房)
 皆のために、指導者がいる。威張るためにいるのではない。
 同志を幸せに!
 同志の苦しみを背負って、自分が一切の労苦を背負って、勝利の道を開いていく──この決心を忘れぬ一人一人であってもらいたいのだ。
 次の50年を担いゆく皆様に、シラーが綴った言葉を贈りたい。
 「要するに勇気だよ、勇気!」(濱川祥枝訳『ヴァレンシュタイン』岩波文庫)
 戸田先生は、よく言われていた。「慈悲といっても、なかなか出ない。慈悲に代わるものは勇気である」と。
 勇気の宝剣を持つのだ。勇気こそ、いかなる困難をも乗り越え、広布を前進させゆく力なのである。
4  希望を失うな
 ローザ・ルクセンブルクは、軍国主義と戦った、勇敢な女性であった。経済学者、教育者でもあった。度重なる投獄にも屈せず、平和と正義の理想を貫き通した。
 かつて夏季講習会で、凛々しき女子学生の方々が「折伏のローザ」という歌を歌ってくださったことがある。ローザ・ルクセンブルクの名前にちなんだ歌である。〈1969年(昭和44年)〉その女子学生たちは、「青春勇舞会」として、今、婦人部で立派に活躍されている。
 ローザ・ルクセンブルグは、獄中から、友を励ます手紙を送っている。
 「どんなことがあっても、人は希望を失ってはいけません。あらゆる苦しみをお笑いなさい」
 「どんなことがあっても元気を出して、頭を高く上げていらっしゃい!」(伊藤成彦訳『友への手紙』論創社)
 この言葉を、敬愛する女子部の皆様に贈りたい。世界一の希望をもって、世界一幸福な女性と輝いていっていただきたい。
5  恩を知るのが人間の道
 きょうは「恩」について語っておきたい。
 報恩は、人間の道である。恩を知らないのは、畜生にも劣る。
 戸田先生は言われていた。
 「人として恩を知り、恩を報ずればこそ、他の動物と異なるゆえんがある」
 「恩を知らず、恩を報ぜざるは、じつに、人にして人に非ざるものである」
 恩について、戸田先生は、何度も何度も強調されていた。
 「昔は、恩のためなら命を捨てる人間がいたので、大聖人の御書にも、そういう人間が説かれている。しかし、受けた恩のために命を捨てるような人間は、今の世にはいない」とも嘆いておられた。
 「報恩」は仏法の真髄である。「報恩」の心は、最強の「善」と「正義」の力である。
 逆に、「忘恩」は人間の道に反する。善なる人を苦しめ、正義を破壊する。
 古代ローマの哲人セネカは述べている。
 「すべての悪もまた恩知らずに由来していて、恩知らずがなければ、どんな大罪もそれほど重大なものにはならなかった」(小川正廣訳「恩恵について」、『セネカ哲学全集2』所収、岩波書店)
 また、御書には「恩を知らない人間となって、後生に悪道に堕ちられることがかわいそうでならない」(895㌻)と仰せである。
 恩知らずは、最後は必ず、厳しき敗北の末路となることは、絶対にまちがいない。
6  難こそ誉れ
 日蓮大聖人は、全人類の幸福の道を開くために、命にも及ぶ大難を耐え忍ばれた。
 こう仰せである。
 「心ある人々は、(大聖人が大難を一身に受けていることは)『私たちのためである』と思うべきである。
 もし『恩』を知り、心ある人々であるならば、(大聖人が)2回、杖で打たれるならば、そのうち1回は代わって受けるべきではないだろうか。
 それもしないどころか、反対に、(大恩ある大聖人に)怨をなそうなどとされるとは、まったく、どうしたわけであろうか」(御書1450㌻、通解)
 このように人に話していきなさいと、大聖人は門下に教えられたのである。
 師とともに難に立ち向かう。仏法者として、これほどの誉れはない。喜びはない。
 これが戸田先生の叫びであり、私の覚悟であった。
 大難の時こそ、師を守り抜く。師にかわって難を受け、未来を開く──この師弟の精神があったればこそ、だれも想像しなかった、今日の学会の大発展がある。
 戸田先生は、同志に、こう師子吼された。
 「諸君、恩師・牧口先生の悲願をわれわれのものとせよ! 信心に対する半信半疑を捨てよ! 正しき宗教の力でこそ、国も救い、民衆も救える。この大信念をもって、広宣流布の戦いに入ろうではないか!」
 青年は一生涯、崇高なる「正義」と「報恩」の人生を生きて生きて生き抜いていただきたい。
 我らには、広宣流布の大使命があるのだ。
 学会は、信心の世界である。仏法の世界である。師弟の世界である。平和の世界である。善の世界である。
 私とともに進もう!
 この麗しき人間主義の世界を、地球上に、力強く広げてまいりたい。
7  師弟を忘れて広宣流布はない
 悪は、必ず明るみに出る。それが歴史の教訓だ。
 昭和54年(1979年)、私は第三代会長の辞任を余儀なくされた。
 その背後には、どす黒い心の宗門と、私利私欲に狂った反逆者の謀略があった。
 「第三代は一生涯、会長として指揮を執れ!」
 これが戸田先生の遺言であった。第三代会長を守れば、広宣流布は必ずできる──これが恩師の厳命だったのである。
 しかし、邪悪に誑かされた当時の最高幹部は、正義を守ることができなかった。
 私の手もとには、多くの純真な学会員の方から届いた手紙が、今も大切にとってある。
 私の辞任の報に、「なぜ、辞めなければならないんですか!」「辞めなくてすむように、戦った人間は、いないんですか!」「あまりにも、ひどすぎる!」──そうした、やむにやまれぬ怒りが込められていた。
 悲痛なまでの叫びの手紙もあった。それを送ってきた人の名前も、私の胸中から離れない。
 今、白日のもとにさらされた迫害の構図を、若き皆様は、わが胸に刻みつけていただきたい。
 御聖訓には仰せである。
 「この法門を説くと、必ず魔が現れるのである。魔が競い起こらなかったならば、その法が正法であるとはいえない」(御書1087㌻、通解)
 難こそ正義の証しだ。
 迫害を避け、自分だけ、いい子になって、うまく立ち回る人間は、にせものである。
 だれが矢面に立って同志を守り、あらゆる迫害を受けているのか──その正義の人を、守らねばならない。
 思えば、戦後、戸田先生の事業が破綻し、最大の苦境にあった時、先生は、やむなく理事長職を辞された。
 妙法流布のために、牢獄にまで入った先生である。戸田先生ほど、牧口先生をお守りした人は、いない。
 その戸田先生が、責任者の立場を退く──これほど、おかしなことがあろうか。
 私は先生の弟子として、断じて先生に会長になっていただくのだと決意した。そこにしか、広宣流布の道はないからだ。
 事業の活路を開くため、一人、命がけで戦った。師を軽んずる者には、たとえ先輩であっても、正義を叫び、増上慢を打ち倒した。そして、新しき拡大の突破口を開いていったのである。将来を決する、大切な皆様であるゆえに、私は、ありのままの真実を申し上げておきたい。ほかのだれでもない、私こそが、学会の真実の歴史を知っているからだ。
 牧口先生のもとには戸田先生がいた。
 戸田先生のもとには私がいた。
 だれが、これからの学会を守るのか。
 それは、人ではない。自分自身だ。
 幹部だから、先輩だから、立場が上だから、「弟子」なのではない。
 真の池田門下として、毅然と立ち上がり、必死の祈りと行動で、一生涯、戦って戦って戦い抜く人間こそが「弟子」なのだ。
 仏法の根幹は「師弟」である。創価の三代に連なる師弟の道に生き抜いていただきたい。
 「師弟の道」を誤ったら成仏できない。折伏を忘れ、広宣流布を忘れ、一番大事な師弟を忘れたら、学会は崩壊である。
 かつて戸田先生の時代、私たち青年部は、「全員が戸田城聖たれ!」と叫んで戦った。
 全員が会長であり、全員が大将軍であり、全員が広布の総責任者──その自覚で大前進していっていただきたい。
8  「建設は死闘破壊は一瞬」
 「建設は死闘、破壊は一瞬」である。
 いかなる悪も、見逃してはならない。
 私は青年時代、学会や戸田先生を悪く言う者がいれば、即座に飛んでいって、厳重に抗議した。
 栃木など、遠くにも、どんどん足を運び、無理解や偏見を厳然と正していった。何も恐れなかった。一人、敵陣に乗り込んだ。相手が非を認め、謝罪するまでは、一歩も引かなかった。
 そんな私に、戸田先生は一言、「ありがとう」とおっしゃった。それだけで十分だった。
 「師のために」「同志のために」──この一念で私は戦い抜いてきた。
9  慢心を戒めよ
 ドイツの哲学者カントは叫んだ。
 「高慢は厭わしくまた愚かしいものである」
 「わがままは愚か者の特性である」(ともに御子柴善之訳「コリンズ道徳哲学」、『カント全集20』所収、岩波書店)
 学会のおかげで偉くなりながら、学会を小バカにし、まじめな学会員を見下す愚かな人間は、断じて許してはならない。
 そして油断や慢心、堕落やエゴといった「内なる悪」を、厳しく戒めていくことだ。
 カントは、こうも述べている。
 「高慢な者が他人から尊敬されようとあせればあせる程、却って誰でも彼に尊敬を拒否する」(白井成允・小倉貞秀訳『道徳哲学』岩波文庫。現代表記に改めた)
 傲慢な人間は、必ず見抜かれ、ついには、だれからも相手にされなくなる。本当に哀れだ。いわんや、仏法の因果は峻厳である。
 どこまでも皆を大切にし、悪に対しては、決然と正義の声を上げる。
 これが指導者の鉄則である。
 戸田先生は、悪に対して、「絶対に頭を下げるな」「断じて打ち倒せ」と厳しかった。卑劣な人間を震え上がらせる、勢いと強さがあった。
 悪い人間を、絶対に見過ごしてはいけない。
 だれからも、何も言われなければ、悪はますます増長する。
 若き諸君は、「善の大連帯」「正義の大連帯」を広げ、学会を厳然と守り抜いていただきたい。
 皆、立派なリーダーに育ってもらいたい。
 頼むよ!〈会場から「ハイ!」と力強い返事が〉
10  不惜身命で戦え 民衆の城を守れ
 広布第2幕を開くのは、一人立つ青年である。青年の熱と力である。
 広宣流布の壁を破った「2月闘争」。
 師との誓いを胸に、皆で、にぎやかに歌を歌いながら、私は、拡大の指揮を執った。
 決めたことは、必ずやり遂げる。これが青年の誉れである。
 舞台は、洋々と開けている。インドにも、ブラジルにも、アメリカにも、ヨーロッパにも、アジアにも、世界中に我らの平和と文化のセンターがある。雄大な人材育成の宝城が広がる。
 日本の会館も、さらに堂々と整備していく予定である。
 私はいつも、学会の会館に集う方々が、人生で勝ち、社会で勝ち、一切に勝利していけるよう、真剣に祈っている。
11  最後に、ロシアの文豪トルストイの言葉を捧げたい。
 「使命を自覚しない人の人生は、苦しみの連続である。使命に生きる人の人生は、増え続ける幸福の連続である」
 これからも、わが学会は一段とスピードを速め、大きく飛躍していく。
 青年の時代なのだ。不惜身命の精神を燃やして、うんと苦労して、民衆の大城を守り抜いていただきたい。〈ここで名誉会長は、後継の友のためにと、“大楠公”の曲などをピアノで奏でた〉
 “大楠公”は、戸田先生が大好きであられた。父子の正義の決意の歌である。きょうの決意を、生涯、忘れないでいただきたい。
 風邪をひかないように。皆さん、お元気で! ありがとう!

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