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日蓮大聖人・池田大作
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2007.11.24 スピーチ(聖教新聞2007年下)
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2
スイスの思想家ヒルティは綴った。
「勇気をもちつづけることが、この世におけるすべてである」(登張正実・小塩節訳「眠られぬ夜のためにⅡ」、『ヒルティ著作集第5巻』所収、白水社)
信心とは、最極の「勇気」である。勇気があれば困難を勝ち越えていける。道を開いていける。
また、ヒルティは述べている。
「真に善いことや偉大なことで、最初は小さなところから出発しないものはまれである。そればかりか、たいていは、その前に蔑みと屈辱とが加えられる。そこで、春先の嵐から春の近づくのを予感できるように、屈辱からその後に来る成功を確実に推測しうる場合が多い」(草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために 第1部』岩波文庫)
わが婦人部の皆様方は、常に少人数の対話から出発して、新しい、偉大な歴史を築き上げてこられた。
御聖訓の通りの悪口罵詈も、不屈の精神で耐え抜き、大きな信頼と友情の連帯を世界に広げてこられたのである。
さらに、ヒルティは、こう綴った。
「克服すること、つまり、この人生においてあらゆる悪いことや醜いことに敵対してあくまでも勝利者であること、これこそ人生の真のモットーである」(同)
我らの合言葉は、「勝利」そして「断固たる勝利」である。
日蓮大聖入は、「
力あらば一文一句なりとも
かた
談
らせ給うべし
」と仰せになられた。
ゆえに声を惜しまず、一日また一日、「励ましの対話」「希望の対話」「確信の対話」「拡大の対話」を、積み重ねゆくのだ。
3
「本物の弟子」よ、躍り出よ!
日蓮大聖人は、富木尼御前(富木常忍の夫人)に宛てて、こう御手紙を認めておられる。
「私は今でも楽をしているわけではありませんが、昔、特に不自由であった時から御供養をお受けしてきたので、貴女の御恩をまことに重く思っています」(御書990㌻、通解)
三障四魔、三類の強敵が打ち続くなか、来る年も来る年も、勇気ある信心を貫き、真心を尽くしてきた一人の女性の弟子を、大聖人は、このように讃嘆されている。
信心とは、最極の心の世界だ。
そして、その根幹こそ「師弟」である。
いざという時、師匠にどう仕えたか。どう師匠をお護りしたか。
そこに信心の実像が凝結する。
広宣流布の大指導者である師・戸田城聖先生にお仕えし、先生をお護りし抜いたことが、私と妻の永遠の誉れである。
“二人して広布へ進みゆけ!”──これが、私たちの結婚に際しての先生の指導であった。
師匠が言った通りに生き抜く。師匠が言ったことを実現する。これが弟子の道だ。
師匠の教えをないがしろにするような者は、断じて弟子ではない。
ただ「師弟」という一点で、私は戦い抜いた。1から100まで、師匠のため、学会のため。そしてすべてに勝利した。
師匠を護ることが、学会を護ることになる。学会の全同志を守ることになる。そして、師匠を守ることが、広宣流布の前進である。私は、そう決めて戦い抜いた。
戸田先生は、「私は本当にいい弟子を持った」と深く感謝してくださった。心から喜んでくださった。
戸田先生と私の師弟の絆は、それは神々しいほどであった。太陽のように、そして、きょうの月天子のように──。
戸田先生は牧口先生に対して、報恩の誠を尽くされた。私もまた、同じ決心であった。
牧口先生と戸田先生。そして戸田先生と私。この三代を貫く師弟の精神こそ、学会の根幹である。初代、二代、三代の会長以外に、本当の「師匠」はいない。
後世のために、明確に言い残しておきたい。
権力の魔性を打ち破り、学会は、ここまで大発展した。世界に広布の城をつくり上げた。
仏法は実証である。私という、一人の「本物の弟子」がいたからこそ、戸田先生は勝利したのである。
今また、歴史を開く「本物の弟子」が躍り出ることを、私は強く願っている。
4
全員が幸福に
病気がちの身であった冨木尼御前に、大聖人は、こう仰せである。
「それにつけても、命は鶴亀のように、幸福は月の満ち、潮の満ちるようにと、法華経に祈っています」(同㌻、通解)
門下一人一人の状況に深く心を砕き、その幸福を願われる大聖人の深い御心が伝わってくる。
わが同志が一人ももれなく、月天子が満ち、冴えわたっていくように、福徳の光を増していかれることを、私は祈ってやまない。
「一家和楽」の信心である。「幸福をつかむ」信心である。
「難を乗り越える」信心である。
そして、「健康長寿」の信心であり、「絶対勝利」の信心である。
この妙法を持ち、広宣流布に生き抜くならば、必ず幸福になる。最高に充実した、所願満足の境涯を築いていけるのである。
5
御書には「
一は万が母
」とある。
すべては、一人との出会いから始まる。一人を大切にすることが、万人への広がりに通じる。
SGI(創価学会インタナショナル)の連帯が世界190カ国・地域へ広がったのも、わが婦人部の皆様方が、来る日も来る日も私と同じ心で、勇敢に誠実に、また忍耐強く、一人一入との対話に徹し抜いてくださったからである。
アメリカの人々から、今も深く敬愛されている女性に、エレノア・ルーズベルト大統領夫人と、ローザ・パークスさんがいる。
このエレノア夫人の姪に当たるエレノア・ルーベベルト2世さんからは、夫人の著作や書簡、写真など、貴重な遺品をお贈りいただいた。すべて、学会の宝として、大切に保管させていただいている。
エレノア大統領夫人は言われた。
「人間は、誠実に、また勇敢に生きていけば、人生のさまざまな経験が糧となり、成長していくことができます。人格は、このように形成されていくのです」
本当に、その通りだ。誠実と勇気こそ、人間革命への力である。
〈エレノア・ルーズベルト2世さんは、こう語っている。
「思慮深く、力強さにあふれた叔母(エレノア大統領夫人)は『世界人権宣言』の起草に携わり、その精神を自身の信念としていました。
彼女が生きていれば、池田SGI会長とお知り合いになり、人間に内在する力や、さまざまなことについて対話したいと思ったでしょう」〉
6
リーダーの皆様は、どこまでも誠実に、謙虚に、会員の方々に接していっていただきたい。自分勝手になったり、増上慢になって、同志を見下すようなことがあってはならない。
特に最高幹部に対して、将来のために、あえて厳しく申し上げておきたい。
リーダー自身が指導を求めていくのだ。
責任ある人間に対して、戸田先生は峻厳であった。それこそ、私の1万倍も厳しかった。
ともあれ、師の教えを生命に刻み、まっすぐに広宣流布の道を進んでいく。皆で力を合わせて団結し、学会を守りきる。悪とは断じて戦う。
そして、全同志の幸福を祈り抜いていく。そういう一人一人であっていただきたい。
7
「勇気とは絶望を拒否し進むこと」
私たちが親交を結んだ、大切な友人であるローザ・パークスさんも、どんなに有名になろうと、その誠実な人間性が少しも変わらなかった方である。
いうまでもなくパークスさんは、アメリカの「バス・ボイコット運動」の端緒を開いた、「アメリカ公民権運動の母」である。人種差別撤廃の象徴的存在であられた。
最近も、パークスさんの本格的な評伝が日本で発刊された(ダグラス・ブリンクリー著、中村理香訳『ローザ・パークス』岩波書店)。
評伝には、知人の次のような証言が記されている。
「彼女からは謙虚さを教わりました」
「(驚嘆すべきことは)彼女には、名声によって影響を受けるということがなかったことです。
彼女はまったく変わらず、簡素で謙虚そのものでした」等々──。
第一級の人物は、皆、謙虚である。誠実である。
〈この評伝では、パークスさんと池田名誉会長の友情にも言及。「人権への関心において、池田博士は今世紀の多くの人々よりも先を行っていました」とのパークスさんの言葉も紹介されている。
「80歳になるまで外国はカナダとメキシコにしか行ったことがなかった」パークスさんは、1994年5月に来日し、信濃町の聖教新聞本社で名誉会長と再会。
創価大学では創大名誉博士号受章記念の講演を行い、「池田博士は、20世紀から21世紀への公民権運動、人間のための権利の獲得のために献身される精神的リーダーであります」等と語った。
評伝には「東京への旅は彼女(パークスさん)の人生において最も忘れられないものとなった」と綴られている〉
パークスさんは、長年にわたる黒人差別に対して、「ノー!」と勇気の声を出した。彼女の行動は、時代を揺り動かしていった。
彼女は「勇気を持つということは、何があっても絶望に身を任せることを拒否し、前進しつづけることだ」(同)と語っている。
この「勇気」を、パークスさんは、創価の女性にも見いだしてくださっていた。その信頼と期待は、まことに大きかった。
8
パークスさんは、創価女子短大生との笑顔はずむ語らいのなかで、こう語られた。
「最も尊敬する人は、私の母です。なぜなら母は、強い意志をもって自分の尊厳を守ることを教えてくれたからです」
どんな尊大な権力者よりも、どんな驕った有名人よりも、人間の誇りをもって生き抜く無名の母が偉大である。
パークスさんは、母への深い尊敬を込めて、こうも述べられている。
「私は、母レオナ・マッコーレーのおかげで、人種差別のなかで生きながらも、自尊心を持ち、ほかの黒人たちを誇りに思いながら育つことができました。
どのくらいお金を持っているか、どんな家に住んでいるか、どんな服を着ているかということで人を判断してはいけないと、母は私に教えてくれました。
人は、自尊心と他人に対する尊敬の念によって判断されるべきだと、母は教えてくれました。
後年、私が自分に課せられた困難な仕事を成し遂げられたのも、この母の忠告のおかげです」(高橋朋子訳『勇気と希望』サイマル出版会)
人間は、だれ人たりとも尊厳である。わが生命の力を、自分自身が、誇り高く発揮していくのだ。
決して卑屈にならない。そして、他者に尊厳を見いだし、尊敬していけるかどうか。ここに、パークスさんのお母さんは、人間の偉さの基準を置いておられた。
9
信心の労苦が最も尊い
17世紀フランスの文人ラ・ブリュイエールは、鋭く世相を見つめた。
彼は、私が講演したフランス学士院の淵源であるアカデミー・フランセーズの会員であった。
「うそのお偉方はすさまじくて寄りつけない。彼はそのいんちきを知っているから、隠れている。少くとも正面切って出て来ない。
姿を見せても、唯人を欺くに必要なだけ、自分の正体を即ち本当の卑賎ぶりを見られないために必要なだけ、の程度にしておく。
本当の偉い人は、物事にとらわれず、優しく、親しみやすく、平民的である」(関根秀雄訳『カラクテール』岩波文庫。現代表記に改めた)
仏法の世界は「平等大慧」である。特別な人はいない。皆が本来、仏である。皆が尊貴である。
そのなかでも、私たちは、信心強く、広布のために苦労して戦う人を、最も大切にするのだ。
万が一にも、社会的な肩書や立場、名声や人気などを重んじて、真面目な学会員を軽んずるようなことがあれば、清浄無比なる和合僧を破壊してしまう。
後世のために、あえて、この点は厳重に戒めておかねばならない。
10
釈尊の弟子の一人である
耆婆
ぎば
は、名医であった。
多くの難病を治療し、「医王」と讃嘆された。
開腹手術や開頭手術も行ったと伝えられている。大国・マガダ国の大臣ともなり、社会的地位や名声も、大変に高かった。
彼は反逆の提婆達多と戦った。また、阿闍世王を釈尊に帰依させてもいる。
その耆婆が、ある時、師匠である釈尊と仏弟子たちを家へ招いたことがあった。
しかし耆婆は、もの覚えが悪く、愚鈍とされている須梨槃特だけは、わざと招かなかった。耆婆は須梨槃特をバカにしていたのである。
釈尊は、大切な弟子を見下す、耆婆の傲慢を戒めた。
皆、かけがえのない尊貴な弟子ではないか。それがわからず、仏弟子を見下す者こそ愚かであり、自分で自分を傷つけているのである。
師の厳愛に、耆婆は目を覚まし、激しく後悔する。そして、同志とともに、師の広大無辺の境涯に学び、偉大な使命の生涯を全うしていったのである。
創立の父・牧口常三郎先生がよく拝された御聖訓に、「上根(機根の優れた人間)に会っても、自分を卑下してはならない」「下根(機根の劣った人間)に会っても、驕慢になってはならない」(御書466㌻、通解)という一節がある。
この御文を通して、牧口先生は言われた。
「名門の人や、高位・高官だからといって、へつらうのも法を下げる。
いばって、信用をなくすのも法を下げることになる」と。
戸田先生もまた、「傲慢」「慢心」を幾度となく戒めておられた。その一端を学び合いたい。
「真の信仰にめざめたわれわれには、福運を消し、自分自身をも破壊させる慢心の振る舞いだけは、けっしてあってはならない」
「腹の中で学会員を小馬鹿にしたり、大した人間でもないのに自分を偉そうに見せたり、学歴があるからといって尊大ぶる愚劣な幹部もいる」
「学会員を馬鹿にする者は誰であろうと、私は許さない!」
「和合僧を尊重して、我見や増上慢の幹部や議員を叱り飛ばし、異体同心の理想的な広宣流布の前進へと戦う人こそが、信心強盛な仏法者である」
婦人部の皆様方が先頭に立って、聡明に、毅然と学会精神の真髄を堅持して、世界第一の和合の世界を厳護していただきたい。
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古い星も若い星によって元気に
いわゆる「権力者」と、真の「指導者」とは、どこが違うのか。
それは、他者に奉仕しているか、どうか。後継の人材を育てているか、どうか。ここで見極めることができよう。
ローザ・パークスさんは、「未来の世界がどうなるかは、私たちが今どのように生きるかにかかっています」と強調されていた(高橋朋子訳冒『ローザ・パークスの青春対話』潮出版社)。
未来のために、今、自分に何ができるか。
一流の人物は、この一点を見つめながら、命ある限り行動を続ける。そして、荘厳な夕日に照らされた全山紅葉の山並みのように、人生の総仕上げを果たしていく。
イギリスの大歴史学者であるトインビー博士も、そうであった。
さらにパークスさんは、「青少年たちは、いつの時代でも、ベストをつくすよう、そして社会問題への答えを追及するよう励まされなければなりません」(同)とも述べておられた。
言葉だけの抽象論ではない。具体的に、人々のため、社会のために、一緒に行動していくなかでこそ、後継の青年が育っていくのである。
まさに、学会活動の姿である。
「大白蓮華」の121月号に、壮大な大宇宙で観測される、興味深い事実が紹介されていた(「仏法は希望の生命学」)。
それは、「老いた星も、若い星に近づくことで、元気になる」というのである。
浅井和美博士(理学)が、次のように語っておられる。
「年老いた中性子星も、近くに若い星が接近していると、強い重力に引っ張られて、若い星からガスが中性子星へと流れ込むのです。
これが回転エネルギーを与えることになり、自転はどんどん速度を上げます」
「こうした振る舞いは、高齢の方が、若者との交流を通して、以前にもまして、明るく元気に歩んでいる姿と重なります」
我々は、まさに老若男女が一体となり、平和と幸福の軌道を前進している。天空はるかな星々のドラマも、広宣流布の運動の力強さを象徴しているといえよう。
自信をもって、「団結第一」で進みたい。助け合い、切磋琢磨しながら、堂々と進もう!
12
「若さ」とは、年齢では決まらない。
生命の力、生命の勢いで決まる。
希望ある人は、いつまでも若い。前進する人は、いつまでも美しい。
先日、訪問した関西も、婦人部、女子部の皆さんが、生き生きと朗らかに活躍されていた。
関西出身(大阪・堺)の詩人、与謝野晶子は、女性の自立と権利のために言論の力をふるった先覚者であるとともに、青年を育てた教育者としても知られている。
明年が、生誕130周年である。
与謝野晶子は、強調してやまなかった。
「人の『若さ』は百難を排して福にする。『若さ』の前に不可能も無ければ、陰翳も無い、それは一切を突破する力であり、一切を明るくする太陽である」(『與謝野晶子全集第13巻』文泉堂出版。現代表記に改めた)
「『若さ』は其人の生命が貯えている豊富な成長力──生きようとする力そのものである」(同)
「大人になっても此の『若さ』を保有している人達にのみ、いつまでも新しい生活がある」(同)
その通りであろう。
いわんや、妙法は「不老長寿」の大法である。
「
年は・
わか
若
うなり福はかさなり候べし
」の信心である。太陽の大生命力で進んでまいりたい。
13
未来の創造を!
与謝野晶子は、年とともに心が老い果てていくことを戒めていた。
「悲観、泣き言、不平、皮肉、非難、諦め、などに心を分つ大人があれば、それは既に『若さ』を失い、衰老の域に入った兆候である」(『與謝野晶子全集第鳩巻』同)
また、こうも言っている。
「衰老した心は鈍感であり、臆病であり、頑固である。過去を繰返す『生存』には其れでも好かろうが、未来を創造する『生活』には適しない、要するに『若さ』を持たない人間は時代遅れとして邪魔物扱にされても致方が無い」(同)
信心とは、「若さ」の異名である。創価とは、「未来」の創造である。我々は時代の最先端を進んでいるのである。
14
さらに、与謝野晶子は、学会でいえばヤング・ミセスの世代について、こうも語っている。
「花ならば満開の花で、まことに華やかな青春時代の頂上だと思うのです」(同第9巻)と。
この通り、「満開の花」を咲かせ、「青春時代の頂上」を乱舞しているのが、創価のヤング・ミセスの皆様であると、私も妻も見つめている。
与謝野晶子は、24歳の年に長男が誕生して以来、5男6女を育てた。そのなかで、苦しい家計をやりくりしながら、文学の創作に打ち込んでいったのである。
「劫初よりつくりいとなむ殿堂にわれも黄金の釘一つ打つ」(同第3巻)とは、彼女の有名な一首である。
15
震災を越えて
彼女は、約10年の歳月をかけて、「文化学院」での講義などで多忙な時間の合間に、『源氏物語』の口語(現代語)訳の原稿を地道に書きためていった。
ところが、大正12年(1923年)、あの関東大震災で、すべて焼け失せてしまった。
そのショックは、あまりに大きかった。
やり直すことは絶対に無理だと、いったんは、あきらめもした。
しかし、『源氏物語』の研究に携わる自分を励ましてくれた、尊敬する文豪・森鴎外たちへの恩誼を胸に、再び奮い立った。
恩を忘れない人生は強い。せっかく学問をしても、学歴を鼻にかける人間や、傲慢になって人の心の機微など分からない人間もいる。
「心こそ大切なれ」である。
なによりも、「恩を知る心」を学ばなければならない。その心がある人に停滞はない。何をやっても伸びていくものだ。
彼女は、再び、一から挑戦を開始した。そして、昭和14年(1939年)、ついに完成を見たのである。
大震災の後、彼女は書いている。「危難の試練の下には強くなり賢くなる」(同第13巻)
いわんや仏法は「変毒為薬」であり、「転重軽受」である。何も恐れることはない。
先日の関西でも、苦難をバネにした母たちのうれしい勝利の報告を数多くうかがった。
その一つ一つに目を通しながら、私は、妻とともに、常勝の母たちの勝利と幸福をひたぶるに祈らせていただいた。
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世界が仰ぎ見る師匠にするのだ
ここで御書を拝したい。
「日女御前御返事」には、こう仰せである。
「父母や国王よりも、百千万億倍優れた世間の師匠に背けば、必ず天に捨てられ、地獄に堕ちる。さらに、出世間(=仏法)の師に対しては、なおさらである。まして、法華経の正しき師匠に背く罪は、いかに大きいであろうか」(御書1247㌻、通解)
仏法の師弟は、あまりにも厳粛である。そして、あまりにも荘厳である。
かつて戸田先生と私が、都心のお堀端を歩いていたときであった。「あそこにマッカーサーがいるんだ」と、戸田先生が、GHQ(連合国軍総司令部)本部のある立派なビルを指差された。当時の学会には、そんな建物はおろか、車すらなかった。
「私が働いて働いて、いい車を用意します。必ずビルも建てます。それまでは、どうか、長生きをしてください」と申し上げると、「ありがとう!」と破顔一笑された先生。
私は、先生を、何としてもお護りしたかった。
戦時中、正しき妙法を護るために、師匠にお供して、2年間も牢獄に入られた方である。
ここに学会の歴史がある。原点がある。
どれほど大変なことか。どれほど尊敬しても足りない。どれほど尽くしても、ご恩は返せない。
この先生をお護りせずして、何のための学会か。何のための弟子か。
国家権力に踏みつけにされた先生を、日本中、世界中が仰ぎ見る先生にしてみせる!──それが私の誓いであった。
その心があったから、私は戦えたのである。
折伏も日本一の結果を出した。世界に仏法を弘めてきた。
それが師弟の心である。心が大事である。心の創価学会なのである。
17
悠々たる一生を
あるとき、日蓮大聖人に対して、女性の弟子の妙心尼が、重い病と闘い続ける夫のことを報告した。
人間だから、だれだって病気になる。ましてや年をとれば、当たり前だ。嘆いても仕方ない。
信心があるのだから、悠々と進んでいけばいいのだ。
大聖人は、病によって信心に立ち上がった夫が、成仏の軌道を進んでいることは間違いないことを述べられ、安心と希望を贈っておられる。
そして、こう仰せになられている。
「(もしも)今、霊山に参られたならば、太陽が昇って、十方の世界を見晴らすように、うれしく、『早く死んでよかった』と、お喜びになられることでしょう。中有(=臨終から次の誕生までの間)の道にあって、どんなことが起きようとも、『日蓮の弟子である』と名乗りなさい」(同1480㌻、通解)
さらに、このようにも仰せである。
「(日蓮は)法華経を信じることにおいては、世界第一の聖人です。その名は、十方の浄土(=全宇宙の仏国土)にも聞こえています。必ず天も地も知っているでしょう。(ゆえに)あなたが『日蓮の弟子である』と名乗られるならば、どのような悪鬼であろうとも、よもや、日蓮の名を知らないとは言わないと確信してください」(同)
なんと、ありがたい仰せであろうか。
妙法の師弟に生き抜く生命には、何も恐れるものはない。
三世永遠に、いかなる悪鬼も打ち破り、「常楽我浄」という最極の生命の歓喜と勝利の道を悠然と進むことができるのである。
18
世界の共感の声
創価の女性の行進には、世界の知性から、深い共感が寄せられている。
北京大学の教授で、同大学の「池田大作研究会」の会長であられる
賈蕙萱
かい・けいけん
先生は語っておられる。
「中国には、“天の半分を支えているのは女性”という言葉があります。創価学会の半分以上を支えているのは婦人部。婦人部は、いつも笑顔があり、どこに行っても色彩豊かな衣服と明るさがあり、その勢いに、いつも大変、感心しています」
「私は1年間、交換教員として創価大学で学びました」「日本で出会った創価の女性は、私に大きな影響を与えました。私は、創価学会の女子部、婦人部の皆様が大好きです。皆様は座り方から違う。自信や確信に満ち、凝縮した力を感じます」
「学会の婦人部の皆様は、立場や肩書などに関係なく、一人の女性として、私を励ましてくださった。創価の女性たちの存在は、『希望』という言葉が最もふさわしいと思います」
本当に細かいところを見てくださっている。
これが、一流の人物の見方である。
19
人間を結ぶ仕事を担うのは女性
現代アメリカの女性詩人で、エマソン協会の会長であるサーラ・ワイダー博士は、昨年の6月、創価女子短期大学を訪問の折、女性の役割について、次のように語っておられた。
「私たちは、お互いに結合する力のほうが、分断する力より強いことを知っています。そして特に、私たち女性は、その作業を、この世界の中で担っていく責任があると思います。人間と人間の結びつきを生み出す仕事を、女性は担っているのです」
さらにワイダー博士は、エマソンの思想に触れて、こう論じられた。
「エマソンは、『ああ友よ、恐怖に対して決して帆を巻いてはならない』と教えています。女性は簡単に恐怖に負けたりはしません。女性は、身体でも精神でも、強いものです。また、何かを恐れているような贅沢な時間は、ありません。人々に安らぎを与えるために、時間を使わねばならないからです」
「私たちの仕事というのは、この世界に平和をつくることだと思います。自分のいる場所で、平和をつくり出すこと。だれにも自分にしかできない貢献があります」
そして、ワイダー博士は、その平和の創造に、大きな貢献を果たしているのが、わが創価の女性であると高く評価してくださっているのである。
〈ワイダー博士は、平和のために尽くしゆく、自身の決意を、こうも綴っている。
「池田博士は、私が、平和のために戦っていくための強さ、インスピレーション、そして励ましをくださいました。平和への戦いは、私の最も大切な生涯の戦いです。私は、池田博士への感謝の気持ちを、その最も根本的なかたち──すなわち私自身が平和への仕事を続けることで、お返ししていきたいと思います」〉
20
最高の充実とは
ワイダー博士は、エマソンと、創価学会の思想の共通性について、こう洞察しておられた。
「エマソンは、私たちすべてに内なる力が備わっていると考えていました。その内なる力とは、“大我”の力であり、大いなる精神世界のことです。
その力によって、人間は、この世界で大いなる仕事ができる、そしてその仕事は、すべて喜びの心をもって成し遂げていかねばならない、と考えたのです」
「池田博士もまた、私たちに、小我を乗り越えることの大切さを教えておられます。
私たちが、小さな心で考えるよりも、もっと大きな流れがある。
私たちが小さな視野から見る世界よりも、もっと大きな世界があるのだ、と」
ワイダー博士は、こう語られながら、「人々のために貢献する人生を歩み、より大きな価値と使命に生き抜くことによって、小我は乗り越えていける。そして、真に価値ある充実の人生を送ることができるのです」と結論しておられた。
この最極の充実を味わいながら、大きな大きな喜びと幸福の人生を歩んでいけるのが、広宣流布である。
戸田先生は言われていた。
「不幸な人を救おうとする慈悲の行為の結果、後で宿命転換できているものだ」
「この仏法は、一切の労苦を功徳として全部、自分の心に残し、未来永劫に持っていくことができる。大きな財産だよ」
戸田先生の言われることに、寸分も間違いはない。まさしく、天才中の天才であられた。
21
四菩薩が離れず女性の身を護る
日蓮大聖人は、千日尼に送られた御手紙の中で、こう仰せである。
「この妙法の良薬を持つ女性等に上行菩薩をはじめとする四人の大菩薩が前後左右に立ち添って、この女性が立たれたなら、この大菩薩たちも立たれ、この女性が道を行く時には、この大菩薩たちも、その道を行かれるのです。
たとえば、影と身、水と魚、声と響き、月と光のように、女性の身を守って離れることがないのです」(御書1306㌻、通解)
妙法に生きゆく女性は断じて護られていくとの、御本仏の絶対の御約束である。
その加護を決するのは、あくまでも、強き信心の一念である。
その上で、決して油断をしてはならない。
これまでも何度も申し上げてきたように、夜は決して遅くならないよう、そしてまた一人で暗い夜道を歩いたりしないよう、細心の注意をお願いしたい。
特に壮年部の指導者は、創価の婦人部、女子部の無事と安穏をしっかり祈り、心を配り、こまやかに手を打って、厳然と護り抜いていっていただきたい。
広宣流布のために、一番、真剣に戦ってくださっているのは、婦人部、女子部の皆様である。
創価の男性は紳士たれ!──と強く申し上げたい。
女性に楽をしてもらい、男性が苦労を担っていく。そういう決心でなければならない。
日蓮大聖人もまた、多くの女性門下に御書を贈られ、女性を最大に大切にされた。
学会は御書に仰せの通りの正しき道を歩んでいくのだ。
リーダーが、この一念に徹して、祈り、行動していくとき、学会はさらに威光勢力を増して前進していくことができる。
22
将の一念が全体を動かす
広宣流布の前進を決するのは、リーダーの一念である。
皆を護っていくリーダーが、全責任を担う覚悟で、真剣に誠実に祈っていく。この決心があれば、すべて変わっていく。
学会の幹部は、誇り高き「広布の将」であるとの自覚を持っていただきたい。
「将」の一念は、全体を動かしゆく大きな影響力を持っている。
根本は「祈り」である。要領はいけない。
また幹部は、どこまでも謙虚でなければならない。決して威張ってはならない。
妙法への大確信と、強い責任感は持ちながらも、皆の意見を聞き、皆に教わり、皆に力を発揮してもらいながら、感謝の心を持って指揮を執っていくのだ。
「あの人の行ったところは、必ず勝つ」と言われるような名指揮をお願いしたい。
戸田先生は、いつも私を大変なところ、困難なところへ行かせた。
そして私は、連戦連勝でお応えした。
気取りや格好では、勝つことはできない。
どうか皆様は、多くの人から「さすがだ」と謳われるような、素晴らしき一生を送っていただきたい。
23
戸田先生は、こうも言われていた。
「いずこへ行こうとも、最後まで戸田の弟子だと言い切れる信心ができるかどうかだよ」
私は、どんな時も、戸田先生の弟子として生きてきた。
毎日毎日、朝から晩まで、「先生!」「先生!」と叫びながら走り抜いてきた。死にものぐるいだった。
戸田先生もまた、「牧口先生は」「牧口先生は」と、つねに言っておられた。
これが創価三代の師弟の精神である。
戸田先生の時代、牧口先生、戸田先生を軽んじ、さも自分が偉いように話してばかりいる幹部がいた。その幹部の末路は、みじめであった。
「師匠」が中心である。「自分」が中心ではいけない。
何があろうと、師匠を護り抜く。それは永遠の誇りである。
「大作は、本当によくやってくれた」
戸田先生は、しみじみと言ってくださった。
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5本の矢の逸話
今月、モンゴル国立文化芸術大学のツェデブ学長との対談集『友情の大草原』が、潮出版社より、発刊された。
ツェデブ学長は、モンゴルを代表する文学者の一人であられる。
対談では、「母」についても語り合った。
学長のお母様は、学長がまだ5歳の時、出産が原因で亡くなられた。
学長は、幼いころ母に愛された感謝を、詩や小説に綴っておられる。
「母」と題する一詩を私は深く胸に刻みつけた。
「母は、私を献身的に守りし人!
『母』──わずか2つの音節であっても、どれだけ多くのものを与えてくれたことか!」〈モンゴル語で母は「エージ」〉
対談では、ツェデブ学長が、祖母君から教わった「5本の矢」、の物語も話題となった。
これは、モンゴル建国の大指導者チンギス・ハーンの祖先の物語とされている話である。
ツェデブ学長は語っておられた。
「私は幼い日に、祖母から、こんな弓の物語を聞きました。
ある春の日のこと。5人の息子に一本ずつ矢を渡し、母が言いました。
『その矢を折ってごらんなさい』
一本ずつだったので、息子たちは簡単に折ることができました。
今度は矢を5本まとめて『折ってごらん』と。息子たちは力を込めましたが、どうしても折れませんでした。
母は、5人の息子に、『一人ひとりがバラバラでいては、敵に簡単にやられてしまう。束ねた矢のように、5人が団結して一つの心で進めば負けることはない』と教えたのです」
日本にも、同じように、「3本の矢」の逸話があることが話題となった。
ともあれ、大事なのは「団結」である。いかなる戦いも団結しているほうが勝つ。
とくに婦人部の団結は重要である。婦人部が団結すれば、学会は安泰である。
男だけの世界は、ともすれば、派閥争いや、要領だけの世界となってしまう。
“自分だけは別だ”というような心ではいけない。師弟の精神を根底として、「広布のために戦おう!」と、同志と心を合わせていく。それが「和合僧」である。
戸田先生は言われた。
「組織を離れてはいけないよ。桶の中で小芋を洗っても途中で飛び出すと、きたない皮がむけないじゃないか。
桶は学会だ。学会の中で、もまれているうちに、病気や貧乏などの業が、芋の皮がむけていくようにきれいに落ちていくんだよ」
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ツェデブ学長の次の言葉も忘れがたい。
「人にはそれぞれ、自分だけがもつ勇気と、希望と、信念と、憧憬の旗がなびいているのです。
その旗は、人間が、自分自身、あるいは他者と真剣に闘った結果、掲げられ、誰が見てもわかる『その人らしさ』がにじみ出ているものです。
この旗は、この世に、その人の足跡と名を残す象徴なのです。
このことを深く心に刻み、闘った結果、勝つということ、つまり、運命の旗を傾けたり、降ろしたりすることなく進むということ、それは賢者たるその人にとって誇りであり、勝利なのです」
人生も勝負。仏法も勝負である。
広宣流布を目指す唯一の和合僧団である創価学会の中で、断じて自分らしく戦い、勝って、「勝利の旗」を高らかに翻していくことだ。
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民衆詩人ホイットマンは謳った。
「旗じるしには力つよき母を掲げよ、
そのたおやかな女性の姿を振りかざせ、万人の頭上に高く星さながらに輝く姿を、(一同のこらず頭を垂れよ)」(酒本雅之訳『草の葉(中)』岩波文庫)
世界第一の創価の婦人部こそ「女性の世紀」の勝利と希望の旗印である。
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「看護の母」ナイチンゲールは言った。
「健康とは何か? 健康とは良い状態をさすだけではなく、われわれが持てる力を充分に活用できている状態をさす」(湯槙ます監修、薄井坦子他編訳『ナイチンゲール著作集第2巻』現代社)
心が前に向いているかどうか。心が走っているかどうか。停滞してはいけない。
広布のために、持てる力を出しきってこそ、真の「健康」といえる。
寒さは、これからが本番である。どうか、皆、くれぐれも、風邪をひかないように!
健康になることを祈って、よく睡眠をとり、十分に栄養をとって、題目を唱え、魔を近づけないように、強く賢く前進していってください。
御義口伝には、「
南無妙法蓮華経は精進行なり
」と仰せであられる。
人生も、信心も、朗らかに!
題目は、勝利の源泉である。題目をあげて、はつらつと動き、対話して、仏縁を広げて、一生涯の友情を結んでいってください。
戸田先生は、信心の力用について、こう教えてくださった。
「『日女御前御返事』には、『
此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり
』と、このように仰せられているのであります。
我々が信心すれば、日蓮大聖人様の所有の根本の力が、我々の生命に、感応して湧いてくるのです。我々もやはり、ありのままの永遠真如の自分に変わるのです」
「御本尊を信じなさい。創価学会を信じなさい。御本尊の向かって左側には『有供養者福過十号(供養する有らん者は福十号に過ぐ)』とあるではないか。戦ったら、はかりしれない功徳を積む。これは御本尊の約束である」
「十号」とは、仏を讃えた十種の称号のことである。十号を具えた仏に供養する福徳よりも、御本尊を持ち、広布に戦う福徳のほうが、はるかに大きいのだ。
なんと素晴らしいことであろうか。
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一流は皆、迅速
中国の周恩来総理は言った。
「時間をかちとることは、勝利を意味する」(新井宝雄著『革命児周恩来の実践』潮出版社)
戸田先生もまた、「反応が早ければ、気持ちいいではないか!」「一流は皆、迅速である」と言われていた。
スピーディーに、そして確実に! ここに勝利の道がある。
さあ、「新しい時代」である。「新しい人材」を育てよう! 青年部に力を入れ、大きく大きく変えていこう!
朗らかな前進を願い、重ねて句を贈りたい。
満月や
広布の城に
輝けり
満月や
夫婦で見つめて
握手かな
どうか、各地の尊き婦人部の皆様方に、くれぐれもよろしくお伝えください!
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