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代表幹部研修会  

2007.8.26 スピーチ(聖教新聞2007年下)

前後
18  草の根を噛み岩盤に爪を立て
 戸田先生は語っておられた。
 「私は、全部、牧口先生の言われる通りにした。牧口先生とお会いしていなければ、今の私はない。常に師匠の広大な恩を心に思っていくのだ」
 これが師弟である。
 私も、戸田先生の言われる通りに戦った。一言たりとも違えていない。
 先生は言われた。
 「たとえ、草の根を噛み、岩盤に爪を立てても、前へ進み、勝ち抜いていけ! 誓いを果たし抜いてこそ、師子である」
 戸田先生とお会いしてからの60年間、私の心には、ただ「報恩」しかなかった。
 先生は、“雇われ根性が、最も醜い”“青年にそんな根性があれば、将来の見込みはない”と厳しく言われた。
 中途半端な気持ちでは広宣流布の大事業は成し遂げられない。
 正義なればこそ、迫害される。これが多くの歴史である。
 先生は「何が起きても潰れない、鉄の塊のような団体をつくっておきたい」と言い残された。
 すべてを弟子に伝え、託そうとの甚深の思いであられた。
 「全責任は、幹部にある。自分で責任をもつのだ。絶対に、人に任せてはいけない」
 これも恩師の叫びである。
 リーダーが模範を示してこそ、皆が奮い立つ。
 とくに青年部は、若いのに、人任せにするような、ずるい人間には断じてなってはならない。
 学会精神を「持ち続ける」とは、どういうことか。それは、実行である。絶え間なく行動することである。実践にこそ、日蓮仏法の魂があるのだ。
19  古代ローマの哲学者キケロは言った。
 「善く生きること、幸福に生きることとは、なんと申しても、高貴に生きること、正しく生きることに、ほかならないのです」(鹿野治助責任編集『世界の名著13』中央公論新社)
 しかし愚かな人間は、傑出した人物を、ありのままに讃えることができない。それどころか、不当に貶めようとする。
 ドイツの哲学者ショーペンハウアーは指摘している。
 「嫉妬は、あらゆる種類の個々の傑出した人物に対して、凡庸者どもが申し合わせなど抜きに暗黙裡にとり結び、いたるところで栄えている同盟の魂なのだ」(秋山英夫訳『随感録』白水社)
 悪らつな嫉妬の心を叩き壊すものこそ、強き信心の力である。
20  いよいよ、本年の後半戦である。
 怒濤のごとき上げ潮で、民衆救済の対話の渦を巻き起こすのだ。
 そのためにも、一つ一つの集いに力を入れていくことだ。
 戸田先生は強く言われた。
 「同志を大切にしていくことだ。この会合に集った同志から、すべて始まるのである。この会合から、勝っていくのである」
 小さな会合だからと決して疎かにしてはならない。」
 集われた同志に感動を与えるのだ。
 来てよかったと満足を与えるのだ。
 リーダーが、来てくださった方々に、励ましの薫風を送るのだ。
 そして一人一人が、自分が「創価学会の会長である」「広宣流布の責任者である」との深き自覚と使命に立って、新しき「創価の第2幕」を開いていただきたい。

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