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日蓮大聖人・池田大作

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嬉し、沖繩の健在ぶり  

「池田大作講演集」第3巻

前後
2  宗教は、平和と社会に直結すべき原動力である。わが創価学会は、党派を越え、相対的なイデオロギーを超越して、この文化と平和の大運動を定着させ、軌道に乗せたのである。これが、仏法の、円教の定義であり、私の、未来にわたって遂行したかった構築であるのだ。
 いよいよ、学会は、平和民主勢力と、一層の連帯を深め、民衆を包容しながら、勇敢に進む時代がやってきたのである。時代を知り、時代に眼を開き、偏狭な誤れる感情を拓いて、太平洋の如く洋々として、満々たる前進を開始せねばならない。偏狭と誤解されるような前進は、本来の運動ではない。
3  思えば、文化祭の淵源ともいうべき軍楽隊(現在、音楽隊)の誕生は、昭和二十九年五月六日である。この日は、青年部の幹部会であった。
 幹部会の後、軍楽隊の結成演奏があったのである。その時の人数は、十六名。初代の隊長はA君であった。現在の、絢爛たる文化祭の大きな推進になっている姿からみて、その功労は、称賛に値しよう。
 ところで、当時、学会に音楽隊が誕生するということは、革新的な出来事であった。音楽を愛好する若い芽がふき始めるのを感じていた伸一は、それを大事に育てたいと思った。中心のA君の技術を信頼し、A君を、幾度となく激励した。そして、戸田城聖に、この結成を願い出たのである。
 「伸一がやろうというなら、やり給え」との一言であった。ともかく、いまだ幹部は、想像もしなかったことである。
4  時計を見ると、夜の十一時半――K君とN君とK君が懇談に来ている。さきほどは、中等部関係の幹部指導が終わったという報告があった。その時に、東海研修所に咲いていた海堂の花が見事であった、またモミジの若葉が素晴らしい、と感嘆していた。
 若き指導者は、陸続と成長している――。

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