Nichiren・Ikeda
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2 今、私には私の使命がある。貧しい無名の一青年を、ここまで育ててくださった恩師。私は紅涙をしぼりながら、師の偉大な理念と、歴史とを書き続けるであろう。十三年前、初七日の時の歌である。
恩師逝き 地涌の子等の 先駆をば
われは怒濤に 今日も進まむ
今も、自宅にその色紙をひとり掲げている。
私は、先生にも叱られ、幾度も激励された。長男の誕生した時は、ことのほか喜んでくださった。博く学んで、正義の人に育つようにと、博正と命名してくださる。お祝いに、太刀を一振り贈ってくださった。妻にも、良い母になるようにと、香峯子との名を頂戴。二月十一日がくると、伸一の家には思い出が尽きない。歓喜。
3 君は妙法の高山樗牛になれ。これは、恩師のき半年前の言葉である。樗牛は三十一歳で死んでしまった。君は生きぬけ。絶対にわしの後継として生きぬけ、と。いつとなく厳父の声。私は、ただ滂沱。故に、私は書かねばならぬ。断じて書かねばならぬ。恩師に対するさまざまな偏見と曲解を正すために
4 竣工式の帰り、武蔵野にある創価学園に立ち寄る。三月に卒業する生徒の代表と会食、懇談。見違えるように成長した。先生方に深く感謝。校門を出ると、真正面にお盆のような月が笑っていた。