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日蓮大聖人・池田大作

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第32回本部総会 人類史の源流、環境革命から人間革命へ

1969.5.3 「池田大作講演集」第2巻

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19  第三に「妙とは蘇生の義」とは、人類がこれまで、営々として築き上げてきた文化遺産、近く論ずれば、科学技術の文明に、みずみずしい躍動する生命をよみがえらせ、更に新しい創造をもたらすものは、妙法であるとの原理なのであります。
 いうまでもなく、一切を創造しゆく主体は人間生命それ自体でありす。コンピュータといえども、人間が生み出したものであり、常に人間が原点であります。したがって、人間の一念の輝き、英知のひらめきこそ、一切の価値創造の本源であり、これなくして新しい文化の発展はありえない。
 だが、現代人の大部分は、主体性をし、無気力な生命状態となっている。そして、時代の濁流のなかに自己を失い、生命力を失い、もはや清新な創造性を失っているといっても過言ではないでしょう。
 その失われた人間性を蘇生させ、たくましい創造力を発揮させていくものは、日蓮大聖人の生命の宗教以外にはない。文明の危機が叫ばれている今日、既成の思想、哲学、体制、文化を生き生きとよみがえらせていく方途は、この仏法にあるとの原理なのであります。
 所詮、この「妙の三義」とは、人間の主体性、創造性、全体性を発揮していく哲理を説き明かしたものにほかなりません。
20  使命自覚し成風堂々と前進
 御義口伝にいわく「漢高三尺の剣も一字の智剣に及ばざるなり妙の一字の智剣を以て生死煩悩の繩を切るなり」と。
 「漢高三尺の剣……」――漢の国の創始者である高祖のもつ三尺の剣といっても、一字の智剣には及ばないと。すなわち、妙の一字の智剣以外には、人間に本然的につきまとう生死・煩悩の縄を断ち切ることはできないとの仰せであります。
 もはや、これからの時代は、武力をもって互いに争う時代ではない。思想の剣、理念の剣をもって人々の苦悩の根本を断ち、人間革命させきることが、行き詰まった現代社会を救い、偉大な生命の世紀をもたらす唯一の道である、と私はいいたいのであります。(拍手)
 我らの戦いは、かつてない善意と誠実の、無名の民衆の離い団結の戦いであります。だが、より深く論ずれば、誰人にも勝る崇高な使命を担った、地涌の菩薩の勇敢な獅子奮迅の戦いであります。
 人間の価値は名声や地位や権威で決まるものではない。どれだけ偉大な目的に向かって力強い人生を歩んでいるかが、人間としての真実の価値ではないでしょうか。(拍手)
 観心本尊抄にいわく「上行・無辺行・浄行・安立行等は我等が己心の菩薩なり」と。これは四菩薩といっても、我ら、妙法を行ずる者の胸中にあるとの言葉であります。
 「上行菩薩」とは、なにものにも左右されない、なにものにも縛られない、生命の主体の確立のことであります。また「無辺行」とは、どこまでいっても行き詰まりのない、自由自在の活動であります。そして「浄行」とは、清浄な美しい生命の輝きであり、「安立行」とは、生命の大地、民衆の大地にしっかりと立った確固不動の人生のことであります。
 真実の生命の尊厳、主体性の確立は、この己心の四菩薩をさせることにほかなりません。しかして御義口伝にいわく「今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱え奉る者は皆地涌の流類なり」と。我ら戦う地涌の菩薩は、更に六万恒河沙の友を呼び起こし、さっそうと、なにものにも屈せぬ、威風堂々の前進を更に貫いていこうではありませんか。(大拍手)
 最後に、皆さま方のご健康と、ご一家の繁栄を心よりお祈り申し上げ、私の講演を終わらせていただきます。(大拍手)

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