Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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魅力ある幹部に 岐阜会館落成入仏式

1965.1.20 「会長講演集」第12巻

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2  それに反し、道三級の人間は、もう自分は偉くなった、幹部だ、政治家だ、自分だけが出世できればよい、他人のことも考えない、広宣流布も考えない、なんでそこに後輩がつきますか後輩が喜んで、魅力ある指導者だと感嘆してついてきますか、くるわけがありません。
 同じ相を見ても、やはり信長は生き生きとしている。道三は油ぎった、なんにもしない悪人の様相を感じるわけです。私どもは一生成仏はとうぜん、王仏冥合めざして生き生きとしていきたいのです。けっして、だらしのない幹部になってはいけない。そして後輩の人、また他の人々が、ああ、いい学会幹部たなといわれるようになってもらいたいのです。(拍手)
 信長は好かれる。結論的には道三は、きらわれる人です。きらわれる幹部になってもらいたくはないのです。好かれる幹部になってもらいたい。そこには未来性がなくてはいけない。清らかさがなければならない。力がなくてはいけない。包容力、思いやりがなくてはいけないのです。
 それは信心によって、ぜんぶ含まれていることです。諸法実相です。信心ある人の姿、生活ぜんぶに実証として現われるものです。また反対に学会の幹部だからといって、信心がないものは信心を利用している人は、浅い人は自分自身の上に、生活の上にも厳然として現われるのです。
3  私とともに未来に生きていただきたい。希望に燃えて進んでいただきたい。若々しい信心をきょうからまた始めて、有意義な、ほんとうに楽しい、のびのびとした一生をともども送ろうではありませんか。ぜんぶ御本尊様が見てくださいます。妙法の力があります。信心ほど強いものはない。信心は即大信念であります。信心はいっさい、哲学の究極をぜんぶ含めたものであります。
 また信心は、あらゆる立ち場、階層にあっても、どんな境遇にあっても、最高に人生を知っていく大源泉てあります。また信心は宿命転換、人間完成の直道であります。そしてまた信心は死を解決すべきただ一つの道であります。また信心は、いっさいの人々に幸福を与えている、ただ一つの原動力であります。
 したがって何万冊、何千万冊の本があったとしても、信心の二字にはかないません。どうか強い強い信心でもって、うんと福運を積んでいただきたい、人間革命しきっていただきたいのであります。私はいま「人間革命」を新聞に載せさせていただいているわけですが、皆さん方は新聞に載らずとも、雑誌に載らずとも、自分自身の胸に刻んでいただきたい。書いていただきたいのです。そして、自分自身が妙法に照らされて読んでいっていただきたい。それが最高の「人間革命」を書いた人であります。
 最後に、さきほどから“岐阜”“岐阜”という名称がでておりますが、邪宗教が、また悪い政治家が“ギャフン”というようにしていただきたい。そのための岐阜であっていただきたいのです。(拍手)
 大いなる功徳をうけて、“ギフト・チェック”を毎日、何万、何百万も持てるような岐阜の同志でなければ、なんにも意味がないと、これだけ申し上げてあいさつといたします。(拍手)

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