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日蓮大聖人・池田大作

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明るく自信もって 千葉本部指導会

1964.9.15 「会長講演集」第12巻

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4  また、第四番目には、地道に信心をまっとうしなさい。けっして背伸びをする必要はありません。ということは、信心それ自体、これは峻厳なるものであり、また宿命転換、人間革命においては、きびしい戦いはあります。それはとうぜんだと思います。
 その決心がなければ、成長するわけがありません。どんな世界だって、偉くなっていく人は大成している人は、それはそれは人並み以上に、ふつうの人の何十倍、何百倍の激戦と苦労をしております。努力はするものです。いわんや、仏法においては当然のことです。
 皆さん方の大幹部もぜんぶ苦労し、努力し、苦難の道を戦いきっております。私
 がいう「じみ」という意味は、幹部になったから、よい背広を着なくてはならないという必要はない。幹部になったから自動車を買わなければならなという必要もないという意味であります。
 自分らしく、自分の経済、自分の境遇に応じて、幹部としての信心をまっとうし、そしてまた後輩の指導の任にあたればけっこうであるという意味なのです。見えを張る必要はけっしてないのです。
 このあいだも話したのですが、ある隊長は、みんな部隊長級が功徳をうけて結婚して、新婚旅行も二晩ぐらいしている。おれもそれぐらいしないと女房にかっこうがつかない、新婚旅行に行ったところが、お金が一晩で足らなくなってしまった。
 それで歩いて帰ってきたというです(笑い)。これは地道でない証拠です。
 背伸びをしています。虚栄です。なんにもしあわせではない。ですから、皆さん方はどうか末法の功徳は冥益です。一年一年、向上していけばいいのです。幹部になったすぐ先輩と同じように足並みそろえて、なんでも同じようにしなくてはならない、その必要はけっしてありません。
 東京から帰ってきても、ある幹部は福運をうけ、持ち、そして経済的にもひじょうに恵まれて「車で帰るよ」といってもけっこうだ。その人にはその人の道がある。自分はきょうは金がない。乗りたいけれども、その分を子供になにか買っていってあげよう。電車で帰る。「私は電車で帰りますから、どうぞお先へ」という気持ちでけっこうだという意味なのです。
 そうでなくてはいけない。むりをしないこと。地道に信心をまっとうしていただきたい。十年、二十年、変わらざる信心をまっとうして、そして、社会にあっても戦い、努力しきってよくならないわけがありません。
5  最後に申し上げたいことは、どうか御本尊様を根本として、また、総合本部長ならびに本部長を中心として、仲良くやることです。やきもち、おんしつ、そしてまた、自分が幹部になって、学会のことはなんでも知っていると思って、増上慢、批判等は禁物です。それは言論の自由であり、学会は、いっさいがっさい自由でありますから、なにを思い、なにをするのも私はなんとも申し上げませんが、功徳を消す根本になります。
 やはり、長年、信心しても福運がつかない、生活のほうも乱れている、なんとなく陰気である、元気がない等々の人は、やはり心を探ってみれば、おんしつです。やきもち、または増上慢、それに尽きるのです。
 大聖人様も十四誹謗を松野殿御返事(1382㌻)ではっきり申されております。「聖人の唱える題目と凡夫の唱える題目とは、功徳は同じであるか同じでないか、それは同じである」。聖人の持つこがねも、凡夫の持つこがねも価値は同じである。ただし、こういう場合には地獄に落ちる。とくに十四誹謗のうち、末法においては最後の四つの誹謗すなわち、軽善・憎善・嫉善・恨善の誹謗があった場合には、功徳は出ない。それだけは皆さん方のためにお気をつけになったほうがよいです。
 これは日蓮大聖人様がおおせなのです。したがいまして現実の上に、現証として罰が出てしまうのです。だから申し上げるのです。いままでも何人かの人が落ちていったのもみんなそれです。
 信心は自分のためです。その信心しやすいように、創価学会があるのです。それを信心させてもらって反逆したり、そしてまた、増上慢になって、なにやかや批判しているのは恩知らずです。それもいいです。だけれども本人がかわいそうです。
 大聖人様のおおせに反し、大宇宙のリズムに反逆してしまうのですから。せっかく御本尊様のありがたさを知って、また、力を知りながら、御本尊様をかえってけなしていることになるのです。
 そういうことのない信心になれば、学会のことだけは、まじめに、純粋に、一生涯、貫き通すことが大切です。それしか幸福の道はありえません。御書に照らして、経文に照らして、皆さん方も体験しているでしょう。そういう清らかな、みんなしあわせにさせていくための世界にただ一つの教団でありますから、皆さん方が、しっかりした信心でささえきってしただきたいのです。(拍手)
 濁らせてしまってはいけない。後輩の人たちがかわいそうです。自分も不幸です。それだけが私の将来の学会に対する心配なのです。みんな偉くなっていく、みんな福運をもっていく、みんな学会の最高幹部になっていく、みんな信心はぜんぶ知ってくる。だけれども、将来、永遠に創価学会の精神、大聖人様の令法久住だけは、みんなで守り合い、励ましあって失ってはいけない。千葉のいよいよのご健闘と、ご発展を心からお祈りします。がんばってください。また、つらいことも、いやなことも、悲しいことも、うれしいことも、広宣流布のその日まではあるでしょうけれども、勇敢に、私とともに戦いきっていただきたいと思います。(大拍手)

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