Nichiren・Ikeda
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後輩に深い思いやり
入仏落成式
1963.12.26 「会長講演集」第10巻
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3 いま黒柳本部長はひじょうによく戦ってくださっておりまして、私の片腕であります。私が弟と思っている人であります。
また、皆さん方の先輩である庭山さんも、私がひじょうに尊敬をしている年配者のなかのひとりであります。
まあ、ちょっと見ますと顔を合わせただけでほほえましくなるような人でありますが、このおふたり、青年本部長と、年配者である庭山さんは、もっとも模範的なコンビであります。どうか、おふたりにしっかりついて、私と思ってついてがんばりきっていただければ間違いないということをいい残しておきます。
このふたりにつけないような人は敵です。これだけ申し上げておきたいと思うのであります。
それからついでになりますけれども、たまに幹部のなかに自分個人の事業に失敗したり、また信心もろくにしないで、または信心利用をして罰をうけて、ひじょうに大勢の人に迷惑をかける人がでるのです。そういう場合に、自分が学会の幹部だということをもっとも利用して後輩の人たちに錯覚を起こさす。そういう悪い、ひきょうな幹部がたまにでるのです。それは大謗法であります。
学会の指導に根本的に反するもっとも憎むべき幹部でありますが、そういう幹部であってはなりません。
ということは極端にいえば、たとえば交通事故があった。自分が事故を起こしておきながら、おれは学会の幹部だと、学会がひじょうに偉大であり力があるためにそれをカサにきて、社会の人たちにくってかかるというようなことで、学会がたいへん迷惑をうけることがあるのです。
自分が悪いことをして、それを学会が大きいがゆえに議員さんやそれから力ある人がたくさんいるがゆえに、それを利用して看板にしてカサにきて、うんぬんするようなことは、これはあってはならないわけです。
4 大聖人様は「乞食には・なるとも法華経にきずをつけ給うべからず」とおおせです。
自分がよいときにはいいけれども、悪いときになって学会を利用しよう、そういうことは絶対にないようにお願いしたいのです。
ひとりのために大勢の善良なる学会員が迷惑をし、そしてまた広宣流布の大きい妨げになるわけです。こういうことがたまにありましたけれども、前橋にはそういうことはいままでにありません。群馬にもありませんが、この席を借りて将来のために、いわせておいていただきたい。
どうかひとつ、よいお正月をお迎えになっていただきたいことを最後にお祈り申し上げ、私の激励とさせていただきます。長いあいだ、ご苦労さまでした。