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日蓮大聖人・池田大作

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世界は諸君の檜舞台 在京助教授会

1963.12.8 「会長講演集」第10巻

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2  それで、理事長はじめ皆が試験を受け、会長だけ受けないでいいなと思うかもしれませんが私も楽ではないのです。出すほうで、あまりむずかしくしてしまえばちょっとまずい場合もあるし、やさしくすれば権威がなくなってしいますし、問題を出す人よりも、出されて受ける人のほうが力をもち成長するし、大功徳も受けるし、しょせんは出す人よりも出されて勉強した人のほうがしあわせであると、こうご了承ください。
 最後に、折伏をし、論文を書き、そしてまた、たくさんの後輩の指導の任にあたっている幹部の皆さん方が、日曜日であるというのに四時間のあいだ、真剣に大聖人様の大生命哲学に取り組んで戦っているということは、信心のうえから論ずるならば、とうぜん、おのおのの功徳を受け、また大聖人様の弟子として、時代の指導者の力を養成していることは明確であります。けれども、世間の人からみれば、なんであんな堅苦しい勉強に、一生懸命になっているのだろう。それよりも日曜だから遊んでいたほうがいいのではないか、バカらしいことではないかと思う人もたくさんあるかもしれない。また信心弱き人は、勉強などしないで、もっと刹那的に楽しんで人生を生きたほうがよっぽど得だと、人情として目先のことだけでそう考えがちになる人もあるかもしれません。
 しかし、太平洋戦争中に、いまの自由主義者そしてまた革新派の先駆者も「かならず次の時代はわれわれの時代である。いまは軍部からたたかれ、弾圧を受け、苦しい戦いをやっているけれども、しばしのあいだ歯をくいしばって時を待とうではないか。いまこそわれわれはからだを大事にし、あらゆる批判のアラシのなかで、しっかり勉強しておこうではないか。」と、同志の結合をはかっていた。その人たちが、終戦後の新しい日本の指導者として、ひのき舞台に立った人々であります。
 いわんや、大御本尊様をたもち広宣流布に向かい王仏冥合の戦いをしている私どもは、その自覚がさらにさらに深くなくてはなりません。それも、彼らは苦しい重いをし、私どもは刹那刹那が“衆生所遊楽”になっております。ぜんぶの行動が、ぜんぶの実践・勉強が血肉になっております。その点は、しあわせは天地雲泥の差であります。
3  また、話がそれますけれども、先日なくなった若き指導者ケネディ大統領になったときの演説の一節に、私もなるほどと思っていたことばがあります。
 それは「ソ連はいまを犠牲にして未来を築こうとしている。いまは苦しい思いをしているけれども、喜びの世界を築こうとがんばっている。反対にアメリカは、いまを楽しんで、未来を忘れている。そこに若き大統領としてひじょうに苦衷がある」という意味のことばでした。そして、若き大統領として、指導者として、自分は、自分についてこいとはいわない、皆さん方の忍耐と犠牲を要求するというぐらい極端な言語をはいております。
 それはそれとして、いま私どもは世間から笑われたり、批判されたりしておりますけれどもいましっかり勉強を重ねて力を養って、かならずや次の時代は、私どもがひのき部隊で活躍する時がやってくのだという全世界それ自体が私どものひのき舞台になるのだという襟度と、そしてまた希望とをもって、喜び勇んで勉強に励んでいきたいと思うのであります。(拍手)
 このなかから何十人、何百人のまた新しい教授、そしてまた教授補が生まれることはとうぜんであります。たとえ、教授ならびに教授補にならなくても、助教授も大幹部のなかの大幹部であります。民衆の大指導者であります。そしてまた民衆の先駆者であります。学会においても、もっと大事な重鎮であります。
 その誉れと自覚を忘れないで、私とともに、またひとつ、来年も教学陣の完成に、そして全学会の源泉になっていただきたいことを心から念願申し上げまして、あいさつといたします。たいへんにご苦労さまでございました。

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