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日蓮大聖人・池田大作

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惰性に流されず常に向上 男子部部隊長会

1963.12.11 「会長講演集」第10巻

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3  それから次には、諸君が結婚している人も、してない人もいるでしょうけれども、もしか適齢期になって結婚問題等があった場合には、すなおに先輩に相談するなり、またはおとうさん、おかあさんに相談するなりして、なにも、卑屈になることもないのだし、堂々と相談して、りっはな妻をめとってもらいたいと思います。それはとうぜんのことです。遠慮することはなにもありません。
 また先輩の参謀室の人なども一生懸命に応援してやってもらいたい。理解もしてあげてもらいたい。ただし邪道にはいって、そして学会の組織や、または弱い女性をいじめたかこうになって、大きくみんなに悪影響をおよぼすようなことは、自分のためにまた学会のためにも、これは慎んでもらいたいのです。
 そういう役職を利用したかっこうで、間違ったふるまいをするようなことがあれば、これは長つづきしなくなってしまいます。指導者として、これは慎んでいかなければならない。そういうわけで、私どもも戸田先生がいらっしゃるあいだ、当時の青年部長の辻先生を中心として、私どもは部隊長として、もっとも楽しく、真剣に、そうしてまた成長ができた戦いをした時代であります。
 いま考えてみれば、部隊長時代がいちばんなつかしい。いちばん熱心になっていたといっても過言ではありません。
 いまの部隊長時代をどうか有意義に、そして偉大なる信心の、そして広宣流布の歴史を悔いなく築ききっていただきたい。こうお願い申し上げたいのです。
 それで、私どもの青年部隊長当時のときには、どっちかといえば、いまからみれば、ずっとある意味においてはたいへんな時代です。学会員が少ないし、学会に対する認識はいまとはまるで違うし、そこへくると、いまはずいぶん指導者も多いし、本部はできているし、そしてまた学会にはいってくる青年も、すぐに、ちょっと勉強を教えれば覚えてしまうし、環境ができあがっていますから、その点は私どもの部隊長当時よりもいいといえばいいのです。その半面、あまりにも組織が完ぺきになり、なれあい主義になるおそれがあり、今度はほんとうの学会精神、信心、そしてまた前進がなんとなく惰性に流されて遅れがちになる、真の歓喜がでなくなる、向上がおそくなる、こうなるおそれがあるのです。しょせんは自分自身の自覚です、発心です。
 さきほども青年部の質問会がありまして、そのときに「どういうふうに一年間を自覚していったらよいか」と、こういう質問があって話し合ったのですが、それはいろいろなこともあるでしょうけれども、ある場合には、この一年間、ぜんぶの分隊長のところを回ってあげよう。こう決意することも、りっぱな成長です。
 ある場合には、この一年間、自分は絶対に題目を何十万遍あげてみよう。ある人は、この一年間、一つでもよいから御書を読みきってみよう。ある人は、この一年間で何十人かの人材を育てあげてみよう。どう発心するかはおのおのの自由です。
 だが、その功徳は同じでしょう。
4  一年間一年間を、大事にしていただきたい。とくに一年間がそうとうすごいスピードで成長できる場合もあるし、反対に、一年間の堕落で、退歩で「九仭の功を一簣に虧いて」同じ同志から大きく離されてしまうおそれもあります。
 一念は恐ろしいものです、そしてまた一年間というものは恐ろしいものだなということは、私はずいぶんいままでも反省してきました。
 来年一年間、どうかこのなかからひとりも退転者なく、ぜんぶが王仏冥合の戦いに大人材として、育ちきっていただきたいと、このように御本尊様にお願い申し上げておきました。

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