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日蓮大聖人・池田大作

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身で示せ、勝利の姿 北陸総支部幹部会

1963.8.14 「会長講演集」第10巻

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5  また、次に申し上げておきたいことは、皆さん方のなかにも、おとうさんやおかあさんや、そして兄弟の方々が信心していらっしゃらないという人がたくさんいると思います。日蓮大聖人様は「ひとりの成仏」このようにもお説きくださっている、そのうよな御書があります。兄弟や、おとうさん、おかあさんが信心していない人は、とても悩んだり、そしてまた苦しい思いをしている人が多いと思いますゆえに申し上げておきます。そういう方々は、自分自身がしっかり信心をしていけば、それでけっこうであります。人々からなんといわれようが、かならず大御本尊様のことを話し、題目をおくってあげるならば、仏縁を結んでいるわけでありますから、御本尊様を拝む拝まないは仏縁のしからしむるところでありす。かならず信心すると確信して、しっかりと自分自身が成長しきっていただきたい。またまわりの人々も、そのように激励をしてさしあげていただきたいと思うのです。(拍手)
 日蓮大聖人様は「大御本尊様をたもち題目を上げたものは福を安明に積まん」とおおせであります。「福を安明に積まん」とは福運を須弥山のごとく積むことができる。「謗ずるものは無限の道を開く」無限地獄に落ちると、このように断言していらっしゃいます。
 純真なる気持ちで大御本尊様を受持し、御本尊様を拝し、仏道修行をしていて、なんで日蓮大聖人様がお救いくださらないわけがありましょうか。三世十方の仏・菩薩が守らないわけはないのであります。おとうさん、おかあさんを救うことは最高の親孝行でありますから、それは話してあげることがとうぜんでありますが、少し長い目でみるならば、かならず、おとうさんもおかあさんも、信心するに決まっております。
6  また、反対に私どもを誹謗し、私どもをバカにした人たちは、一年、三年、七年、十四年とみてごらんなさい。その不幸な現証の姿を、まざまざと私たちの眼前にあらわすのが仏法の方程式でありますから、それを確信しきっていただきたいのであります。
 先日も、ある婦人部の幹部の方が登山をして報告をしておりました。戸田先生をいじめ、学会を利用しきってきた人が、二度も夜逃げをしなければならない現状になってしまった。退転状態で、学会除名のようなかっこうではありますが、その人の奥さんや娘さんが信心をして、いくぶんよくなったが、また本人がなにかで悪口をいったらしくて、今度あらわれたときには、もう自殺をするかもしれないような姿、フラフラになって夜逃げ寸前に、わざわざあやまりにきて、あわれな姿を見せて去っていったのです。これが仏法のきびしさであります。
 私も十六年のあいだ、たった十六年間でありますけれども、まじめに信心をしてきた人のその現証は、なんだかんだといいながらも、かならずよくなっているという事実です。反対に学会を誹謗し、そのときはたいした存在でありましたけれども、いまになってきて頭を下げ、見苦しいほどまでに気の毒な姿をいくつか見ております。
 どうか一生涯が人生であります。信心した人が勝つか、御本尊様を罵倒し、われわれを軽したものがしあわせになるかということを一生涯かかって私どもはりっぱに勝負を決していこうではありませんか。(拍手)
 信心の強い人も弱い人もいると思います。しかし、いずれにしても、大御本尊様だけは絶対に間違いないことだけは断言しておきます。どんなことがあっても、どこに頭を下げなくても、御本尊様だけは一生涯、受持しきっていく、守りとおしていく、これだけは皆さん方のために私はくどいほど申し上げておきます。
 どうか新支部長、そしてまた本部長を中心として、仲良く、そしてまた仏道修行だけは勇敢に、学会活動、人生等においては楽しく、私とともに歩まれんことを心から念願しまして、激励のことばとさせていただきます。ご苦労さまでした。(拍手)

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