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日蓮大聖人・池田大作

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悔いない強信貫け 宮崎総支部幹部会

1963.6.23 「会長講演集」第9巻

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5  戦争中も、ちょうど品川とか宮崎とか、やれ福岡とか博多とかいえば、ローマ字はぜんぶとられたのです。なにもローマ字をつけたからといって、どうということはないと思いますが、同じように、学会の組織に部隊長とか隊長という名前をつけた、だから「ファッショだ、軍隊式だ」と、そんな考えで日本の指導者がみるのであったら、あまりにも皮相的です。それは本質論を見きわめていない誤った指導者であり、評論家です。
 学会に、組織があることはとうぜんでしょう。どんな社会だって組織があります。もっとも大事な組織は人間です。皆さん方自身、私自身が組織の調和体です。この組織がくずれたとき、不調和になったときに気違いであり、ノイローゼであり病気ではないですか。
 会社であろうが、官庁であろうが、役場であろうが、労働組合であろうが、政党であろうが、ぜんぶ組織があるでしょう。あまりにも学会の組織がりっぱであり、整然としているがゆえに、文句のつけようがなくてやきもちをやいているのです。
 その組織ということも、組織論の本質である第一義の目的は、あくまでも目的、使命達成のために、もっとも効果的に価値的にするための組織なのです。仏法のうえでは「和合僧」というように、きちっと「組織体をつくれ」と釈迦自身が説いております。
 そうしなければ、近代社会において、大勢の人が効果的に、また、いろいろな伝達や指導が徹底できようはずがないのです。ただし、信心それ自体のことは厳格です。「日蓮大聖人様のいうとおりにしなさい」「しっかり信心して功徳を受けなさい」このこと自身については、その人のためですから厳格です。それはとうぜんでしょう。
 また、学会の組織は、なにも学会発展だけのことではなくして、大御本尊様を根本とした組織です。ですから整然としているのです。ぜんぶ組織を要約すれば大御本尊様にくるのです。大御本尊様を根本として全学会員がしあわせになろう、ひとりももれなく指導を間違えないようにしあわせにさせていこう、そのための組織です。
 したがって、創価学会の組織こそ和合僧であり、世界最高であり崇高な組織体であると私は信ずるのですけれども、どうでしょうか。
6  したがって、いまだかつて全世界にないものが創価学会なのです。批判のしようがないのです。だから、しようがないから、いまだかつてないために、なんとか過去のことに結び合わせてやっていこうと、こういう論法なのです。したがって私どもは、だれびとからなんといわれようが、紛動されてはなりません。批判した人が私たちをしあわせにはしてくれません。
 大御本尊様をだきしめて、なんだかんだいっているあいだに、すぐに一生が終わってしまうのではないですか、そうでしょう。一年、二年、自分自身が、もう皆さん方も功徳を受けていらっしゃることはどうぜんでありましょうけれども、もう一歩、もう二歩、深く信心をし、また日蓮大聖人様の仏法を守りきって、また他の哲学や思想も比較検討しなさい。これしか絶対にないということを天下にいいきって功徳を受け、そしてまた死んでいこうではありませんか。
 その功徳は、自分自身の永遠の生命からも永遠に功徳となるのですし、子孫末代までも、ぜんぶ回向されるのです。なにもムダがないのです。ほかの世界のことは、ぜんぶなにかムダがあります。創価学会だけは、なんにもムダがないし、行き詰まりがないのです。これが御本尊様の功徳、大御本尊様のお力なのです。そのお力は宇宙大であり、永遠のものです。あとは皆さん方の信心です。
 きのうも、冗談の話のついでではありましたけれども、柏原先生がいっしょにきた方々と話をして、ひとりひとりに「悩みがありますか」と聞くと「あります」と。「幾つある」「たくさんあります」というふうにどんな幹部でも皆、悩みがあるのです。「煩悩即菩薩」です。悩みがなにもなくなるなどということはウソなのです。
 それは、悩みをなくしていくための信心ではありますが、自分の悩みがなくなってくると所願満足してくると、今度は人を救おう、あの人をなんとかしてあげよう、日本の国をなんとかしようというふうに、やはり悩みはつきものでしょう。
 だが、その悩みをゆうゆうと見おろし、その悩みを土台として変毒為薬していく、こうなれば行き詰まりがないのです。ぜんぶ変毒為薬、変毒為薬で、そして功徳をどんどん積んでいく、宿命転換をしていく、これが日蓮大聖人様の仏法であり、大御本尊様の力なのです、功力なのです。
 その原理さえわかって信心していれば、もう楽しいのです。ところが信心が弱い、生命力がないと、今度は悩みに引きずられてしまうのです。「こんなに信心したのに……」と。こんなに信心したのにというけれども、どういう信心をしたか。そうでしょう。原島先生より余計に信心したか、柏原先生より余計に信心したか、石田先生より余計に信心したか、このように相対的に考えれば、すぐにわかるではありませんか。
 それから日蓮大聖人様が、皆さん方も宿命と戦っていると思いますが、どうしても自分は大きく宿命転換をしなくてはならないのだ、勝負をしなくてはならないのだ、こういう背水の陣にたった人は、また、そういう立ち場になっている方々は、とくに、大聖人様の「ぬれる木に火をつけて燃やすがごとく、乾ける大地を掘って水を出すがごとく、強盛なる信心をしなさい」こういうおおせがございますけれども、ぬれたる木に、火をつけて絶対に燃やしてみせるぞ、乾ききったサバクを掘って水が出るわけはないけれども、絶対に出してみせるぞという強い信心を奮い起こして、実践力を奮い起こして自分自身の、この肉団にある功徳を出していただきたい。宿命をりっぱに打開しきっていっていただきたいことを、声を大にして申し上げて私の激励といたします。

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