Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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永遠に若々しく お年寄りのつどい

1963.5.14 「会長講演集」第9巻

前後
2  それで、まず最初におわび申し上げなくてはならないことは「老人のつどい」「老人慰安のつどい」ということを最初私が申し上げましたところ、あるおじいさん、おばあさんから苦情が出まして「信心している人に老人がおりますか」というのです。
 「われわれは青年部、女子部のような気持ちで一生懸命信心しているのに、会長は自分が若いからそのようにいわれるのですか」と。
 それで「老人のつどい」ということが、今度は「お年寄りのつどい」というふうに看板が変わったわけなのです。それでも私は看板を見て、ひじょうに胸が痛いのです。
 日蓮大聖人様の御書に「不老不死」ということばがあります。これはかんたんに申し上げれば永遠の生命ということなのです。その「不老不死」の「老いず」それから「死せず」というその「不老」の「老」をとって「老人のつどい」といったのだよと、まあ、こういうわけですから、それならば、いいでしょ。
 ほかの団体や社会で、うまく老人を喜ばせて、野心を遂げようというような、そんな老人のつどいではありません。不老不死の大御本尊様に照らされて、永遠に若々しく、永遠にくずれない幸福をつかんでいくための「お年寄りのつどい」であると、こうしたいと思うのです。
3  それで、日蓮大聖人様はこのような意味のおことばわ申されております。それは「一日でも長生きして、題目を上げていくことは、もっとも尊いことである。大事なことである。なぜかならば、三千大千世界の宝をもって計っても、人の一日生きる寿命のほうが大事である。尊いのである。いわんや南無妙法蓮華経を唱えて、福運を積んでいき、一日一日を生きながらえていくことは、もっとも永遠の生命のうえから論じても『三世各別あるべからず』の今世のうえから論じても、人生にとって根本問題なのである」と、このような意味のおことばがございますが、どうか、広宣流布は、また王仏冥合への先駆の戦いは、私どもがいたします。かならず達成させます。その守りとして、私どもの戦いを見守っていただいて、余生を楽しみきって、私どもの前進がしやすいように、どうかご後援していただきつつ、全員がかならず成仏できるのであるという確信をもって、また来年お目にかかりたいと思います。たいへんご苦労さまでございました。

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