Nichiren・Ikeda
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「死身弘法」の大精神に
全国大幹部会
1962.10.28 「会長講演集」第8巻
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3 それで、第一番目に、私どもが、どんな悩みがあっても、大御本尊様に題目を上げる以外にない、これは、とうぜんの原理であります。もっとも簡単な方法なのです。また、自分の頭でどんなに考えても、解決ができない。われわれは凡夫です。
解決ができない場合がたくさんあります。
御本尊様に題目を上げる、いっさいが解決する。または煩悩、業、苦の三道を転じて、法身般若、解脱となる。変毒為薬、罰即利益、または仏智を感ずる。いっさい御本尊様に題目を唱える以外にない。いっさいの源泉であります。
と同じ方程式に、支部員の方から、いろいろな相談や、いろいろな悩みやらを、大幹部の皆さん方は、日夜受けねばなりません。そういう複雑な、いろいろなことを受けたからといって、自分の頭でいくら解決しようと思っても、解決できない場合もあります。根本は信心の指導です。題目を上げさせることしかありません。
ともに、いろいろなそういう悩みの指導があったからといって、自分がそれに、縁に紛動されてしまって、自分の頭のほうが複雑になって、せっかくその人が聞きたいことまで納得をさせることができないようになってしまったならば、大幹部の資格はありません。
もっと簡単に、もっとも自信をもたせ、安心させていけるのが、大幹部の大幹部としての指導のありかたなのです。
どんな指導があろうが、どんな事件があろうが、絶対、御本尊様第一に、信心第一で、すっきりと、微動だもせず、ゆうゆうと安心させきってあげる、自信をもたせて信心を立たせてあげる、こういう指導をしてあげていただきたい。お願いします。
4 第二番目には、皆さん方は、あくまでも本部の任命で大幹部になった方であります。年を取り、それからからだが悪くなったり、または仕事が忙しくなったりして、どうしても大幹部としてお気の毒であるような場合には、更迭をする場合があるかもしれませんけれども、任命を受けたからには、絶対に確信をもって「自分は学会の大幹部である。地涌の菩薩の先輩である。先覚者である」こういう自信と確信をもって、いちいち本部の指示がどうだろう、あの人に遠慮しなけばならない、この人に遠慮しなければならない、そういうよけいなことは考えずに、与えられた任務、与えられた責任、使命に対しては、会長と同じ気持ちで、同じ責任と自信をもって、思う存分に私は、指揮の任をとっていただきたい。お願いします。
5 第三番目には、幹部になると、どうしても身近に、おせじをつかってくる人がでてきます。したがって、われわれは凡夫でありますから、なにやかや、ちやほやされてくると、その人のほうを、どうしても信用したり、人情になって、信心が別問題になって、世法で、その人のいうこと聞かなくてはならなくなってしまったり、そうなった場合に、ほかの人々が、まじめな人や、信心純真な人たちが、納得ができなくて、心のなかで「どうしても大幹部のあの方は、ああいう考え方ばかりしてしまうのだろう」というふうに、しらずしらずのうちに、支部員の人たちの、大きい心のなかに悩みをつくらせていくような場合もあります。
本部の指導どおり、そして御書のとおりに、信心第一に、全支部員が、なるほどと安心しきって、支部長さんに、または婦人部長さんに、副支部長さんに、副婦人部長さんについていける、信頼と尊敬しきっていける、そういうふうに心を配りつつ、おせじをつかってきたからといって、それに紛動されないように気をつけていただきたいのです。
6 ぜんぶの支部員に平等に、それは適材適所もありますし、功労者もありますし、その点の配慮は、それはとうぜん、段階はありますけれども、そういうおせじやなにかに紛動されて、せっかくの全民衆の味方であり、その指導者の立ち場というものを、不信されないように、これは老婆心でありますけれども、気をつけていただきたいと思うのです。
私は、任命を申し上げた皆さん方に対しては、全力をあげて応援をしますし、信頼しきっております。どんなことがあっても、守りきっていく決心でありますけれども、どうか、これからも、いくつもいくつもの闘争もあると思いますけれども、歩調を合わせて、みんなで戦って、みんなで喜び、みんなで苦労し、みんなでまた楽しんでいくという、新社会主義の、世界にただ一つの、また歴史上ただ一つであるという、仏国土の縮図である、そういう創価学会を、いっしょにつくっていこうではありませんか。