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志木支部幹部会 法華誹謗の罪

1960.6.24 「会長講演集」第1巻

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5  もうひとつ、なぜそれでは大御本尊様を信心しなくてはならないかという問題なのです。今私どもは、生活も裕福であり、健康である。なにも悩みがないというならば、信心する必要はないのです。
 だが、そういう生活や健康状態は、今はそうであるが、三年、五年、十年先はどうなるかわかりません。そうすると、やはり信仰が必要になってくるのですけれども、だが裟婆世界における一切衆生は悩みがないという人は絶対ないのです。悩みがないみたいにすました顔をしている人がいますが、心のなかでは、われわれ以上に悩みがあるのです、ほんとうは。それで、法華経の勧発品第二十八にその原理があるのです。たとえていえば『地によって倒れるものは地によって立て』法華経誹謗の報いによって、こうこうこのような罪業に苦しむのだ。したがって大御本尊様を賛嘆する以外に罪障消滅、仏になる道はないという原理があるのです。
 『若しは実にもあれ、不実にもあれ』大御本尊様を誹謗した原因によって、今この世に生まれて、このような苦しみをもつのだ。いくら努力しょうが、いくら勉強しようが、いくら名誉をもとうが、その三世の因果論のうえから立ったならば、御本尊様を拝む以外に、賛嘆する以外に、その悩みは解決できないのです。
 たとえて言うならば、目が悪い人『世世まなこなかるべし』めくらである。今の医学では解決できません、これは。解決できうるみたいに見える分野も、たくさんありますが、法華誹謗の遠因、遠くの原因です。本質、根本原因というものは、今の医学では解決できないのです。
 その根本の原因の解決、遠因の解決、これが仏法になるのです。目の悪い人、やぶにらみ、御本尊様を拝む者を、この目で誹謗したから目を悪くしているのです。または、この目で邪宗教を信心したから、この目を悪くするのでしょう。因果の法則です。近眼もそうでしょう。
 それから、平鼻といって鼻が低い人です。前から見ると鼻の存在はわかるけれども、横から見るとホッペタのほうが高いというような人、これは誹謗する場合に息がかかるのでしょうね、やっぱり。
 牙歯き欠け、歯がバラバラである。いつもいつも歯が悪い、胃をこわして長生きできない。やっぱり誹謗する息がかかるから、ここをやられるのではないかと想像つきますね。それから、この唇が非常に厚くて、それで色が悪くておかしい格好の人、誹謗する息がかかるがゆえに、みにくい唇になる。このようにも考えられるというふうに、たくさんの姿があります。
 手脚繚戻しゅきゃくりょうらい、びっこである、かたわである。ほんとに『御本尊様を拝んでいる者はなんだ、このやろう』といって、それがやっぱり原因になって、手が曲がり、足が曲がるのではないかと想像もつきます。
 それからライ病、短気、ゼンソクです。『ゴホン、ゴホン』と非常に苦しい息をしなくてはならないのは、やはり御本尊様誹謗の報いだと考えられます。水腹、水ぶくれ、それから身体臭穢にして膿血、からだがくさい。悪性の臭病、せんぶそれらは経文に出ております。それでそのほか、もろもろの悪重病、このなかにバカもはいるでしょうし、根性曲がりもはいるでしょうし、どんなに自分で努力してもなおらない。そのために一生が不幸である。生活が不幸である。離婚しなくてはならない、ずいぶんあります、こういうことは。また金欠病などというのも、もろもろの悪重病のなかにはいるのではないかと思われます。ペニシリンを打ってもなおりません、これだけは。
 こういういっさいの解決、苦しい不幸の生活、それらを、宿命転換して、幸福生活をするためにも、大御本尊様を信じ、大御本尊様を賛嘆し、大御本尊様をわれわれは拝まねばならない宿命ではないかと思うのです。
6  人のためにでもなく、日蓮正宗のためでもなく、志木支部のためでもなく、地区のためでもなく、班のためでもございません。自分自身がそうしなくては幸福になれないという宿命のために、私どもは御本尊様を拝むのです。
 ある宗教では人間は神がつくった。この世の中は神が生んだのだ。天理教、キリスト教ではそう説いておりますが、もし神さまが人をつくったならば、もっとりっぱな人間にしてつくってもらいたかったと思うのです。長谷川一夫みたいにつくってもらいたかったです。女の人は山本富士子以上の人間の顔につくってもらいたかったと思うのですよ。そんな無慈悲な神、そんなことは考えられません。それだけでも神は無慈悲である。神が人間をつくったなどという非科学的法則は否定される問題です。せんぶ因果の理法であり、永遠の生命であり、それが生命科学であり道理であり、われわれの頭脳で、科学観で考えた場合でも納得のできる生命観です。
 その生命観に立った場合でも、私どもは、どうしても御本尊様を拝んで、そうして仏界を湧現して罪障消滅して、幸福生活をしていくことが正しい宗教観であると信じます。
 しっかり御本尊様を信じて、仲のいい、楽しい、明るい志木支部であられんことを、心から切望して私のお話とさせていただきます。
 最後に、きょうお見えになれなかった志木支部の同志の皆さん方に、くれぐれも、会長からよろしく伝えてくれと、こういうふうに言っておったことをお伝え願いたいことを、重ねて、お願い申し上げまして失礼いたします。

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