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日蓮大聖人・池田大作

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3 教育の使命と青年への期待  

「希望の選択」ディビッド・クリーガー(池田大作全集第110巻)

前後
7  平和教育推進の政策を
 クリーガー 私たちが初めて会ったのも、横浜で行われた世界青年平和音楽祭の時(一九九七年九月)でしたね。戸田第二代会長の「原水爆禁止宣言」四十周年を記念する式典でもあり、「平和の心」を受け継ぐ青年たちの決意が、演目を通し、心に伝わってきたことを覚えています。
 音楽祭が平和の尊さを謳いあげていたように、"平和は、戦争のたんなる幕間のことではなく、それを遙かに超えるものである""平和はわれわれの生活のあらゆる場面に表現される協力のプロセスである"との認識を、人々の間に深めさせていくことが必要です。そのために政府は、国民の税金を軍拡のためにさらにつぎ込むのではなく、平和教育を支え、推進するための政策を考えるべきだと思います。
 私のアイデアとしては、高校と大学での「グローバル・サバイバル」講座の開設――つまり人類の直面する危険を認識するとともに、これらを終わらせるには何をすべきかを学ぶ講座を設け、全学生の必須科目にすることを提案しています。若い人たちが、自分の住む共同体に責任があること、
 その共同体は今では地球を一つの単位とした共同体となっていることを、学んでいく必要があるのです。
 池田 「世界市民教育」ですね。その重要性は、私も主張してきたところであり、「国連世界市民教育の十年」の制定などを呼びかけてきました。
 名称は異なりますが、二〇〇一年から二〇一〇年までを、「世界の子どもたちのための平和の文化と非暴力のための国際の一〇年」と国連が定めたことは、大きな意義があります。
 ユネスコを中心に、平和教育を推進するためのキャンペーンが行われますが、SGIとしても積極的に協力し、支援していきたいと考えています。
 クリーガー "文化と非暴力のための国際の一〇年"は、まことに意義深い取り組みであると、私も評価しています。
 人間は暴力的手段を用いずとも、直面する課題を解決できるはずです。その可能性、希望の源泉は、教室の内外で行われる平和教育だと思います。平和教育は、人間の創造性を生みだすものです。市民社会団体は、人々の心に届く最良の教育方法とは何かについて、知識を交換しあい、協力しあう必要があるでしょう。それを充実させることによって、創造的で献身的で行動的な青年が陸続と育ち、"真にあるべき変化"を世界にもたらすことができるはずです。
 平和教育にとって大きな役割を果たすのが、学生間の交流です。若い人たちが国外に留学したり、旅行したりして、他国の文化のなかに生活しますと、文化の多様性について、じかに学ぶことができます。
 また、国や文化は違っても、人間という存在には変わりがないことを実感できるでしょう。
 これらは大切な「体験的学習」です。
 他の文化をひとたびでも体験すると、その文化に属する人々を、抽象的に敵視することは困難になります。「文化間の対話」は平和に通じる道なのです。
 池田 そのとおりです。仏法では人間生命の絶対的尊厳と平等を説きますが、「世界市民教育」といっても、それは結局、一人一人の心の中に、他者の存在を、心から尊敬し慈しみゆく"共感の心"を、薫発することから出発すべきではないでしょうか。私は、そうした人間への限りない"信頼"と"友情"の心こそが、社会を分断する、あらゆる「差別」や「憎悪」を超克していく、大いなる力になると確信しております。そのためには、所長が述べられたように、胸襟を開いた民衆交流が、今後ますます必要になるでしょう。
 人類は、「心」と「心」の対話を通して、異なる民族や文化との「差異」を、おたがいを隔てる"障壁"ではなく、社会をより豊かに創造していく、"多様性"の表れとして感謝し、尊重することを学ばねばなりません。
 これまでSGIでも、文化交流を重視し、とくに青年同士の交流に力を入れてきました。また、私が創立した創価大学でも、世界の諸大学との交流を積極的に推進しています。私も、大いに青年に期待しています。なぜなら、未来は、すべて青年に託すしかないからです。
 「新しき世紀を創るものは、青年の熱と力である」――私は、師である戸田第二代会長の、この獅子吼を胸に刻み、平和の二十一世紀を開くために今日まで戦ってきました。とともに、戸田会長と同じ心で、次代を担う青年たちに接し、その成長を願い、
 期待を寄せてきました。
 クリーガー SGIの青年部の活躍は、目を見はるものがあります。
 私たちが推進する「アボリション二〇〇〇」に協力し、千三百万というじつに多くの人々の署名を集めてくださったことは、その一つの証明といえるでしょう。
 青年たちは、自分の時間とエネルギーを割いて、人類の直面する重大な問題を直視して、署名運動に取り組まれました。運動を続けるなかでは、人々に拒絶されたり、嘲笑されることも少なくなかったと思います。しかし、それを乗り越えて、署名を一つずつ集めてくださった。
 私は、二つの意味で、青年たちに感謝の意を表したいと思います。一つは、署名を集めてくださった青年たちの努力に対する感謝であり、もう一つは、「核兵器のない世界」をめざす私どもの財団の目標は達成できるとの希望をあたえていただいたことへの感謝です。
 池田 あたたかなお言葉、ありがとうございます。核廃絶は、かなりの困難がともなう作業ですが、絶対に不可能なものではない。立ち上がる人が一人でもふえれば、核廃絶への道は確実に広がっていくのです。
 そのためには、「自分には何もできないのではないか」という無力感と戦い、行動の第一歩を踏み出す「勇気」を必要とします。厳しい現実に真正面から立ち向かう「勇気」こそ、私たち世界市民が「武器」として持たなければならないものです。
 「勇気」とは人から人へと確実に伝わるものです。青年が正義の声をあげれば、世界は必ずや良い方向へと向かっていくはずです。
 クリーガー おっしゃるように、青年が平和運動の主役にならねばなりません。私どもの平和財団でも「青年諮問理事会」を発足させ、「青年支援・交流担当者」を採用しました。
 私は「希望」をいだいております。民衆の力が現状を変える鍵であるなら、青年たちを啓発していくことが将来のために民衆の力を強める鍵となるはずです。核兵器を保有して生きること、環境を破壊すること、他の人々が飢えているのに自分は金を貯めこむこと、紛争を相互の殺戮によって解決すること、地球の一部分を国家と呼びその周りに人工的な国境をめぐらせて人類を分断すること――これらすべてのことが、いかに愚行であるか、いかに狂気であるかを、一人でも多くの青年が認識してほしいと念願しています。
 こうした現代の愚行と狂気を終わらせるためには、青年たちが国境を越えて力を合わせ、年長の人たちをも巻き込む勢いで、時代の流れを大きく変えていくしかないのです。
8  時代の扉を開けるのはつねに青年の挑戦
 池田 現実の泥沼に埋没せず、大いなる理想に生きぬく――そこに青年の証があります。新しき時代の扉を開けるのは、つねに青年の挑戦によってなのです。
 私たちの対談のタイトルは、「希望の選択」ですが、「希望」とは「青年」の異名ともいえましょう。
 対談を締めくくるにあたり、所長と私がこよなく愛する、チリの民衆詩人ネルーダの、「希望」にちなんだ詩を、青年たちに贈りたいと思います。
   希望の一端を
   自分の肩にになわずして何ができよう?
   おれたちの長い闘いの流れのなかで
   手から手へと継がれておれのところにきた旗を
   握って進まずして何ができよう?
   (『ネルーダ詩集』大島博光訳、『世界の詩集』20所収、角川書店)
 クリーガー ネルーダの詩には、責任感と持続の精神、そして青年の理想的な魂が満ちあふれています。歴史の転換点には、必ず青年の行動がありました。しかし、過去のいかなる世代も、現代の青年たちが取り組むべき課題ほど、大きな挑戦には直面してこなかったでしょう。今日ほど、「勇気ある行動」が絶対的に必要とされる時代はなかったと思うのです。
 世界の青年たちが、人間を分断している危険な境界を認識し、分断に橋を架け、すべての人間のためにより良い未来を築くよう、私は強く念願しています。
 そして、最大の敬意をこめて、私も、対話を終えるにあたり、青年たちにエールを贈りたい。これは、二〇〇〇年三月に来日した折、創価学園の卒業生に贈った、詩の一節です。
   君は奇跡なんだ
   君は 君自身への創造の贈り物なんだ
   君には 目的がある
   だからここにいるんだ
   君は それを
   見つけ出さなければならない
   君が ここにいることが尊いんだ
   そして君が世界を変えていくんだ!
 池田 新たなる世紀を、「共生の世紀」へ、「希望の世紀」へと転換できるか否かは、「人類意識」に目覚めた世界市民が、グローバルな連帯の輪をいかに広げ、活躍しゆくかにかかっているといってよいでしょう。
 大切なことは、民衆一人一人が賢明になることです。「生命の尊厳」に根ざした確かな哲学に生きることです。民衆が、戦争という"権力の暴走"を止める力を持たなければ、地球上から「悲惨」と「不幸」の二字を消し去ることは、永遠に不可能です。
 この世界を、「戦争」と「暴力」の論理が支配する社会ではなく、皆が幸福となり、勝利者となる「人間共和」の社会を創造するために、断固、闘いぬいていかねばなりません。私は、その決意と勇気をもって行動することこそ、「人類の希望を選択する道」であると思っております。運命や環境に負けるのではなく、みずからの力で歴史を拓くところに、人間の証があり、真価があるのです。
 その意味からも、クリーガー所長の運動が、今後、さらに広がり、人類をリードしゆく、大いなる平和の潮流となりゆくことを祈っております。
 私どもSGIも、「平和」「文化」「教育」を基調とする民衆運動によって、人類の未来に貢献していけるよう、全力を尽くしていく決心です。
 尊敬するクリーガー所長と、このような有意義な語らいを持てましたことを、心から感謝いたしております。まことにありがとうございました。

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