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日蓮大聖人・池田大作

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1 古今のロマン――青春の日の読書  

「希望の選択」ディビッド・クリーガー(池田大作全集第110巻)

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4  古典に挑戦を!
 池田 青少年には、まず世界の名作や古典、とくに長編小説に挑戦することを勧めています。
 それらには人類の知的遺産として受け継がれてきた思想や、人間性に対する深い洞察があり、人生の知恵がちりばめられています。私はゲーテ、ダンテ、ユゴー、ドストエフスキー、トルストイらの本を愛読したことにふれましたが、そのほかにも優れた作家はたくさんいます。
 どの作家を推薦するというのではなく、魂に訴える力を持つ作品なら、本人の好みを中心に幅広く読書してほしいと思います。ただ、作家や作品を漠然と薦めても、今の若者には、本を読むこと自体、苦手な人があまりにも多い。そこで、
 彼らが少しでも読書に興味をもてるよう、作品の内容や、言葉を具体的に紹介しながら、話をするように心がけています。
 私も所長にうかがいたいのですが、所長の好きな作家はだれですか。とくに青年時代に感銘をもって読んだ本は何でしょうか。
 クリーガー 私が好んで読む作家は多いのですが、なかでも、アルベール・カミュ、エーリッヒ・レマルク、マーク・トウェイン、カート・ヴォネガット・ジュニアを愛読しています。
 文学では力強い戯曲が好きですが、ユーモアと不遜がある作品も好きです。ユーモアと不遜さは、偽善と高慢を打ち破るのに非常に良い方法です。マーク・トウェインにはこの種の不遜があります。カート・ヴォネガットや、ジョゼフ・ヘラーにもあります。
 詩人では、チリのパブロ・ネルーダがとくに好きです。彼はきわめて少ない言葉に大きな情熱をこめて、たくさんのことを表現する能力があります。こういうことができるのが、大詩人の天賦の才能ではないでしょうか。
 池田 会長は、創価学園の卒業式で、"世界市民の心"を謳った、ネルーダのすばらしい詩を紹介されていましたね。
   人間がいなければ
   私は人間にはなれない
   …………
   孤独には花も果実もない――
   私にあらゆる人生模様を与えたまえ
   ありとあらゆる苦悩を
   世界中の人々の苦悩を与えたまえ
   私はそれを希望に変えよう
 ネルーダは、本当に高貴な心を持った詩人です。
 池田 まったく同感です。ネルーダについては、チリのエイルウィン元大統領と対談集(『太平洋の旭日』。本全集第108巻所収)を編んださいにも語りあいました。
 クリーガー そうでしたか。ヘミングウェイ、フィッツジェラルド、そしてスタインベック、これらの作家はみな、十代後期と二十代前期の私に強い印象をあたえました。
 トルストイやドストエフスキーも愛読しました。日本の作家も、芥川龍之介、川端康成、三島由紀夫、大江健三郎など、五、六人の作品を読んだことがありますが、たいへん感動的で説得力のある作品であると思いました。
 現在、私の読書の大半は、国際法と核軍縮にかかわる自分の仕事に関係のある分野のものです。これらの分野では、リチャード・フォークとジョナサン・シェルが非常に良い本を書いていると思います。しかし現在も、機会があれば、小説を読むように心がけています。最近はカート・ヴォネガット・ジュニアの最新作を読み、以前の作品も五、六冊読み直しました。
 池田 所長が日本の作家の作品も読んでおられることをうかがい、さすが「世界市民」であられると感心します。優れた文学は読む者の魂を揺さぶります。そして魂を浄化し、高みへと引き上げる。人間としての成長に読書は不可欠です。
 こんなエピソードがあります。第二次大戦後、マッカーサー元帥が当時の吉田茂首相に尋ねた。「日本の将軍たちが明治の将軍に比べて、人物に遜色があるのはなぜか」と。
 問われた吉田首相は和辻哲郎東大教授に意見を求めた。和辻教授のいわく「日露の将軍はみな古典を学んでいたが、今の将軍たちは、ただ専門の職業教育だけを受けて、古典を学ぼうとしなかったから肚ができていない。それが人物の相違になった」(吉田茂『回想十年』1、東京白川書院、参照)と。
 同じことは、現在の指導的立場にある人物についても言えると思います。
 クリーガー これは、残念ながら、今日のアメリカの将軍たちにも当てはまることではないかと思います。彼らは、往々にして、技術者としての訓練しか受けていません。
 池田 師の戸田先生は、青年たちへの訓練としてホール・ケインの『永遠の都』や中国の大河小説である『水滸伝』などを教材にして、友情のあり方、人間をとらえる視点、組織論、革命論など、万般にわたる"人間学"を教えてくださった。
 そこで受けた訓練は、私にとって生涯の財産になっています。小説作品を通して語られる戸田先生の一言一言が、今でも鮮やかに脳裏に刻まれています。
 現代人の読書の多くは、ただたんに、情報を得るためのものになってはいないでしょうか。名作を読むにしても、それは私も読んだ、これこれこういうストーリーである、と知るだけに終わる読書が少なくないのではないか。著者と対話し、みずからの心を耕す思いで読む人は少なくなりつつあるように思います。
 クリーガー きわめて残念なことです。偉大で高貴な精神の産物にふれる読書を通じて、私も深い感化を受けました。書き言葉の力を認識し、同時代の人たちのみならず、先人たちから学びえたのも、読書のおかげです。
5  "この本が私を変えた"と言える人は幸福
 池田 私が青少年に世界の名作を読むよう、折にふれアドバイスするのも、そうした作品を読むことで、世界の人々と共通の教養を共有できるという意義があるからです。
 その点、所長が日本の文学作品を読んでおられることで、日本人のものの考え方や文化への理解を深められていることに、私は感嘆しました。
 日本文学は初め、外国語への翻訳に適さないと言われましたが、優れた翻訳者・日本文学研究者の力によって、世界に広く知られるようになりました。これからも日本の優れた文学作品が、どんどん世界に紹介されるよう願っています。それによって日本という国と日本人が、もっともっと世界中の人々に知られるようになってほしいと思います。
 クリーガー 私もそうあってほしいと思います。日本には多くの偉大な作家がおり、またきわめて豊かな文化があります。ことに、日本の"美"の概念は深遠です。良書はその著者から世界に献呈される贈り物、一つの魂から他の魂への贈り物であると、私はいつも思ってきました。良書を読むことが私の魂を育み、私に歓びと希望をあたえてくれることを実感しております。
 池田 本当にそのとおりです。私も自分の経験から、所長のご意見にまったく賛同します。
 読書は著者との対話です。古今東西の優れた人と対話するのです。日本の中世の吉田兼好という人は『徒然草』で、読書を「見ぬ世の人を友とする」行為だと述べています。今、所長が「読書で先人から学んだ」とおっしゃったことと同じです。
 しかもそれは、自分自身と対話することでもあります。すなわち自己省察です。自己省察は深い人間性の涵養、人間としての成長に欠かすことはできません。それは地中に植えられた種が、長い時間を経て芽を出し、枝葉を茂らせ、花開かせるように、その人の人格を大きく育み、豊かなものとしていくのです。"この本が私を変えた"といえる体験をもっている人は、幸福というものの意味を深いところで理解している人です。
 情報化社会が進めば進むほど、その洪水の中で溺れて自己を失わないためにも、自己の内面に変革を起こす読書が求められます。私は、読書は自己を確立するための戦いである、と考えています。つねにみずからの精神をみずみずしいものにたもっておくための、不断の挑戦なのです。
 クリーガー 読書の楽しさや、読書によって視野が開かれていくことを発見する若者の数が、まだまだ少ないことは、悲しいことです。私は、会長が言われた「自分自身との対話」という表現が好きです。読書は、新しい考え方を提供することで私たちを刺激し、また私たちが持っている旧来の思考形態に疑問をいだかせることにより、この「自分自身との対話」への「導火線」となるものです。
 読書によって、私たちは、国境を乗り越え、取り除くことができるのです。読書は、世界市民に通じる、大切な道なのです。

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