Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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2 原点――人生の大いなる転機  

「希望の選択」ディビッド・クリーガー(池田大作全集第110巻)

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4  平和への道程は対話が機軸に
 クリーガー 会長が戸田城聖先生から受けられたような薫陶は、私はだれからも受けたことがありません。それほどの師弟関係に恵まれた会長は幸運だったと思います。
 池田 戸田先生は、「原水爆禁止宣言」を青年への遺訓として遺されました。また「これからは対話の時代になる。君もこれから、一流の人間とどんどん会っていくことだ。"人と語る"ということは、"人格をかけて戦う"ということであり、それがあってこそ、真の信頼を結びあえるんだよ」と教えてくださった。
 平和への道程に欠かせない、国を超えた信頼の醸成は、地道なように見えても、どこまでも人間対人間の対話を機軸としていくしかない、と鋭く洞察されていたのです。
 ですから私は、所長をはじめ、世界のリーダーと徹底して対話を重ねてきたつもりです。
 クリーガー おっしゃるとおり、異なる文明間の正しい理解には、対話が不可欠です。私が「対話」の強固な信奉者になったのも、私の人生における経験のおかげなのです。
 池田 その点を、詳しくお聞かせください。
 クリーガー 私の人生を形づくったもっとも重要な経験の一つは、「民主公共機関研究所」(Center*for*the*Study*of*Democratic*Institution)に所属していた二年間です。
 研究所は、二十世紀中期の代表的な思想家の一人であるロバート・ハッチンズ氏が創立しました。氏は二十七歳でエール大学法学部の学部長になり、三十歳でシカゴ大学の学長に就任しました。
 「民主公共機関研究所」はハッチンズ氏の最後の大事業であり、「対話に貢献する」ための研究所でした。
 そこでは週に二、三度、まず一人が議長となり、現代の重要な問題について語りかけ、ついで研究所の所員たちが、その問題を討議するのです。そのさいの対話の理念とは、公共の対話のための提案を行うべく、さまざまな問題を深く徹底的に掘り下げ、よりよく認識することにありました。現代の最重要な問題にかかわり、そこに光明を投じることに努めた研究所であったわけです。
 池田 興味深い研究所ですね。より一歩深く理解し、より一歩深くわかり合い、より一歩深い解決法を見いだす場――それが「対話」です。
 クリーガー 一九七二年のことです。そのとき私は、サンフランシスコ州立大学の若き助教授でしたが、ベトナム戦争には強く反対し、アメリカの社会が変わることを求めていました。いかなる戦争も、とりわけベトナム戦争は終結せねばならない、と主張していた私は、国家の法よりも国際法を信奉し、国際機関の強化を求めました。
 しかし、大学の内側からこういう変革をもたらす可能性は、あまりないように思われました。大学は、驚くほど閉鎖的で、保守的と思えたのです。こういう気持ちをいだきながら、私は、「民主公共機関研究所」がサンフランシスコで主催するシンポジウムに臨んだのです。
 池田 大学の閉鎖性は、よくわかる気がします。いわゆる「象牙の塔」は、高等教育につきまとう落とし穴です。市民や社会との風通しをよくして、つねに「民衆に奉仕する」という原点を問い直す作業を怠らないことですね。
 クリーガー ええ。このシンポジウムには多くの人が出席していましたが、なかでも一人の発言者に私は強く惹かれました。この人が、エリザベス・マン・ボーギーズ女史、同研究所の上級研究員だったのです。女史は、「新しい海洋法を定める」こと、そして「これを新しい世界秩序のモデルにする」という点で、目が開かれるような発言をしました。
 女史は、現代の強力な新しいテクノロジーが、魚の乱獲や汚染を助長し、いかに海洋を損なっているかにふれました。海底の鉱物資源がもつ大きな将来性についても語り、海洋は人類が共有すべき財産であると主張しました。そして、海洋を保護するには資源を管理し、危険をコントロールする世界秩序を強めなければならないと論じました。「生命が海から現れ、陸へ進出したように、新しい世界秩序も、新しい海洋法を制定する必要性から現れる可能性がある」という信念を述べました。
 そのビジョン(展望)の論理と壮大さに、私は興奮しました。もっと根本的なことを申しますと、そもそも「この人には情熱的なビジョンがある」という単純なことに感銘を受けたのです。これは、大学にはおよそ見られないことでした。この人は壮大なスケールの深刻な問題を認識している。それに、その問題にどう取り組み、その過程でどう世界を変えていくべきかについての構想を持っている――そう思いました。
 池田 「ビジョン」――それなくして二十一世紀は勝ち抜けません。「確かなビジョンを持つこと」こそ、リーダーの第一の条件ですね。
5  人間精神の探求が不可欠
 クリーガー まったく同感です。
 私は先のシンポジウムから帰宅して、女史の発言内容をもう一度考えました。それから手紙を書き、女史とともに仕事ができないものか、問い合わせてみることにしました。
 すると、「お会いしたいので、サンタバーバラにいらっしゃいませんか」と、まねいてくれたのです。お会いしたあと、私の働く場も用意してくれました。その年の九月、私は家族とともにサンタバーバラに引っ越し、女史と一緒に仕事をすることになりました。二年間でしたが、私にはすばらしい経験でした。
 女史から学んだもっとも大切なことは、「ビジョンの力」ということです。よりよい世界をつくることを考え、そのために働くことは、決して無謀ではないと学びました。
 また、現代の新しいテクノロジーは、ほぼすべてが「目的の二面性」をもつ、つまり、その大きな将来性には善の面も悪の面もあることを思い知らされました。そして、このテクノロジーの影響は国境によって封じ込められるものではない。ゆえに、新しい形態の世界秩序がどうしても欠かせない、という思いを深めました。
 池田 「テクノロジー探求」に見合う、「人間の精神の探求」が不可欠です。仏法の視点も、決して一面だけを見ていません。「善悪一如」と言いますが、一つの物事が善にも悪にもなり得る。したがって、それを決定する人間の内発力を大切にします。
 クリーガー よく理解できます。同時に私たちは、どのようなテクノロジーを開発し、それをどのように使うかを正しく選択しなければならないでしょう。
 池田 ボーギーズ女史は、どういうお人柄でしたか。
 クリーガー 彼女はじつに創造力のある人で、じつに献身的な人でした。有名な作家トーマス・マンの子女で、はじめはピアニストになるために音楽を習ったそうです。
 その後、シカゴ大学の教授と結婚し、第二次世界大戦の直後に夫君や大学の人たちと、「世界憲法起草委員会」をつくりました。その委員会が生みだした草案は偉大な文書であり、その起草に女史は大いに貢献しました。私はこの世界憲法草案の前文の「理念」と「詩心」がとくに好きです。
 池田 人々の内奥に深く訴えかけるのに、「詩心」は欠かせません。詩はまた、人と人の心を共鳴の糸で結ぶ力をもっています。内容を、ぜひ教えてください。
6  「国家の時代」から「人類の時代」へ
 クリーガー 少々長くなりますが、こうです。
  地球の民は同意した。
  精神的美徳と肉体的幸福における進歩が、
  人類共通の目標であることを。
  普遍的な平和が、
  この目標を追求するための
  必須条件であることを。
  公正こそが、平和の必須条件であり、
  平和と公正は、
  ともに立つか、
  ともに倒れるかであることを。
  不正と戦争は分けることはできず、
  ともに国民国家間の
  秩序なき競争から生じることを。
  ゆえに国家の時代は終わり、
  人類の時代が始まらねばならないことを。
  この同意によって、諸国の政府は、
  各々の国家主権を
  公正なる一つの政府に律し、
  各々の武器をこの一つの政府に譲渡し、
  この憲法を世界共和国連邦の盟約
  並びに基本法として
  確立すると決定した。
 池田 豊かな「詩心」と「哲学」にあふれた、平和の宣言です。深く感銘しました。とくに、「国家の時代は終わり、人類の時代が始まらねばならない」という訴えには、二十一世紀への確固たる「ビジョン」があります。
7  行動なき理想は砂上の楼閣
 クリーガー こうして、ボーギーズ女史は、「民主公共機関研究所」とともに、私を強く感化しました。と申しましても、同研究所で私が学んだことが、すべて良いことだったわけではありません。研究所はあまりにも観念的すぎましたし、行動する意識がたりないと、私は感じました。変革は、理論だけでは不十分です。行動がともなわなくてはなりません。
 池田 まったく同感です。「行動」なくして、何も始まりません。いかに高邁な理想をならべても、「行動」がなければ砂上の楼閣にすぎません。
 クリーガー そのとおりです。じつは、研究員たちの間には、たえず言い争いがあったのです。彼らは、同じ目的を、団結して支えていけなかった。たがいにうまく立ちまわって有利な地位を得ようとする競争に、貴重な努力をかなり浪費することもありました。そしてついに創立者のロバート・ハッチンズ氏が亡くなると、研究所自体も間もなくなくなりました。
 しかし、こうしたことはあっても、女史とともに仕事をするなかで得た経験によって、私は勇気を得ることができ、視野を広げられました。私は女史の「海洋のための、海洋からの新世界秩序」という目標を求め続ける生き方に対して、深い尊敬の念をいだいています。
 他にも、師と呼べる方に、何人か出会いました。そこには、核時代平和財団を私とともに創立した三人の方々――ウォーリー・ドゥリュー氏、チャールズ・ジャミソン氏、フランク・ケリー氏が含まれます。三人は私よりも年配で、第二次世界大戦の兵役経験者です。
 彼らの世代の多くの人たちと違って、彼らは世界から核兵器をなくすため、国際法を強化するため、戦争のない世界をつくるための努力に、積極的に加わりました。三氏それぞれが、勇気と知恵を示され、私に助言と指導をあたえてくれました。たいへん助けられています。

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