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日蓮大聖人・池田大作

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1「戦争の世紀」に生まれて  

「希望の選択」ディビッド・クリーガー(池田大作全集第110巻)

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5  生命の尊さを説く教育こそ平和の礎
 クリーガー 感銘深い出会いです。戦争ではたいてい、人間性の基本である優しい感情が停止してしまうものです。戦争は、平時なら優しさと品位をもった人々に対して、敵を殺すか殺されるかを選ばざるを得ない状況をつくり出します。この選択は理性に反するものであり、若い人たちにそのような選択を強要するのは、まったく非道なことです。
 若い人にとって、国家から教育を受けている時に、その教育の本質を見破るのはむずかしいことです。参考になる経験上の視点をもっていませんから。軍国主義的、国家主義的な教育にも、「教育とはそういうものだ」としか思わないかもしれません。
 池田 私の経験から言って、おっしゃるとおりです。
 クリーガー じっさいの戦争に出あって初めて、受けた教育の善し悪しを判断する視点があたえられるものです。そのときになって初めて、教室の中で戦争について言われた美辞麗句が、はたして戦争の残虐さ、大量殺人を正当化しうるものかどうか、個人として結論に達することができる。戦争の非道な実態に関する会長の結論は、会長ご自身が目の当たりにされた苦悩にもとづいておられるのでしょう。国家主義と軍国主義を教育に吹き込むのは、その国の文化の敗北だと思います。
 池田 そうした教育は、「教育」の名に断じて値しません。
 子どもの未来、人類の幸福とは、まったく逆行しています。戦争とはまさしく、文化の対極にあるものです。
 クリーガー いかなる国であれ、その社会にとって価値ある教育とは、約六十億の人間、そして地球に住む多くの生物たちと分かちあう天与の生命の尊さを、若い人たちに説く教育以外にありません。そうした認識をあたえてこそ、生命を育み守る個人と集団の責任を、若者が自覚するでしょう。
 池田 全面的に賛成です。教育が決定的に大事です。私は、「人生最終の事業は教育」と決めております。教育にまさる聖業はありません。
 クリーガー 青年たちが参加せずして戦争ができるかと言えば、それはできないでしょう。戦争を起こし、若い世代に戦えと命じるのは、年寄りの世代です。
 「戦争に参加するかどうかは自分自身で考える」というように、多くの青年たちが教育されるならば、年寄りたちは、自分たちの紛争を解決するのに、戦争よりも建設的な方法を見つけざるを得なくなるでしょう。みずから求めて大砲のえじきになる人たちを補給できなければ、戦争は終わるでしょう。また、年寄りの世代も、戦えないし、戦うべきではないという、よき理由が持てるでしょう。
 青年たちが、戦うこと、人を殺すこと、生命の尊さについて、自分自身で考えるように教育されるならば、その時こそ、平和な世界への道が大きく広がるでしょう。
 池田 おっしゃるとおりです。私はかねてから「教育権の独立」を主張してきました。教育権は、国家主権から独立し、その干渉を許してはならない。教育は、「国家益」でなく「人類益」の立場に立って、行われるべきであるという主張です。
 クリーガー 平和な世界のためには、万人に開かれた場所、私の友人のフランク・ケリーの言葉を借りれば、「人類会議のテーブルの一席」を各人がもてる場が必要です。貧しい人々、虐げられた人々、抑圧された人々の正当な苦情に対応する道が必要です。
6  平和運動のきっかけは「ベトナム戦争」
 池田 SGI(創価学会インタナショナル)の平和運動も、まず他者の苦しみを思い、同苦する心を持つことから始まります。今のお話は、私たちの理念と軌を一にしています。
 さて、所長のお生まれは一九四二年(昭和十七年)。核兵器の登場とほぼ重なります。冷戦の真っただ中を、当事国アメリカの国民として生きてこられた。平和運動を志す大きなきっかけも、学生時代に遭ったベトナム戦争とうかがっています。所長の世代は、いわば「核時代の子ども」と言えますね。
 クリーガー 私の世代を「核時代の子どもたち」と見なすのは、もっともなことです。私自身、「核時代の子ども」だと思っています。
 私が生まれた一九四二年は、物理学者のフェルミとシラードが核分裂の連鎖反応を初めて人工的につくり出した年です。その三年後に、米国は最初の核兵器実験を行い、三週間後に核爆弾をまず広島に、ついで長崎に投下したのです。もちろん、その時は、この出来事について知識を持ち、関心をいだくには、私は幼すぎましたが、自分の誕生後の最初の数年に起きたこの出来事が、
 いかに私の世代の人間形成に影響をおよぼしたか、今ではよくわかります。
 池田 では、ベトナム戦争当時は、どういう心境でしたか。
 クリーガー ベトナム戦争は、私に大きな衝撃をあたえました。これは私の世代に起きた戦争です。私たちの世代の背後には核兵器の問題がありましたが、ベトナムでの戦争が私たちにおよぼした影響は、直接的なものでした。私たちは、世界の向こう側にいる貧しい農民に対して、あの戦争を行わねばならない世代だったのです。
 しかし私個人は、戦争に反対したことを誇りに思っております。あれは虚偽をもとにした戦争でした。たとえば、米国は、選挙を実施したら、ホー・チ・ミンが勝利するだろうと思っていましたから、ベトナム人のあいだでは同意していた選挙を行わせなかった。民主主義に反することです。しかもその後、リンドン・ジョンソン大統領は、トンキン湾事件について議会に嘘を述べました。
 毎日夕方にテレビで流されるニュースで、私は、その日の戦闘で米国側とベトナム側に何人の死者が出たかという発表を見ていたのを思い出します。"こちらの戦死者よりもベトナム人の戦死者のほうが多い、だから勝っている"と、私たち視聴者は印象づけられました。強く大きなわが国が、遠くて小さな国を相手に戦っていることが、私は嫌でたまりませんでした。
 池田 ベトナム戦争について「国際政治のプロたち」が複雑な議論に明け暮れていたころ、二十世紀を代表する歴史家トインビー博士は言われました。
 「私はむずかしい政治問題は、すべて人間という観点から見ることにしています」「ベトナムについても、私は、全土が戦場になっているベトナムの全民衆のことを、真っ先に考えます。とくに、小さな子ども、老人、病人などが、どんなに苦しんできたかを思うと、一刻も早く平和が訪れてほしい。ベトナムが統一された時、どんなイデオロギーで支配されているか、それは別にどうでもよいことです」と。
 知識人であれ何であれ、本物とは、「民衆」の側に立つ人です。「人間」という観点から見る人です。
 正義とは、また真理とは、つねに明快なものです。私たちSGIの平和運動は、この草の根の民衆をいっさいの基盤としているのです。

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