Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

人類の生存と世界宗教  

「美しき獅子の魂」アクシニア・D・ジュロヴァ(池田大作全集第109巻)

前後
10  池田 たいへんに共感できる見解です。文化は規模や力の大小で判断されるべきものではありません。その点は宗教においても同様であると私は考えます。すなわち、世界各地の文化が多様であっても、それぞれの存在が尊重されるべきであるのと同様に、宗教も、社会的な害悪をもたらすものでないかぎり、その存在は尊重されていくべきです。
 他者の信仰を尊重しあうという「宗教的寛容」は、人類の共存と平和のために重要な要点となっています。
 深刻な現実世界のなかで、きわめてむずかしい課題でありながら、博士の言われる「人類を道徳的・倫理的に団結させようとする試み」の成功の可能性が高まっているように思われます。このような文脈での“世界哲学”は今や、しだいに具体的な姿を現しつつあるように思われます。すなわち、それぞれの文化、宗教が多様性を発揮し、独自性を保ちながらも、人権と平和の確立、環境との調和、貧困の絶滅という共通の目標に向かって、人類の倫理性、道徳性を高めるために協力しようという見解が、広範な同意を集めつつあるのです。
 したがって今日、諸宗教に対してあたえられている課題は、このような意味での“世界哲学”創出のためにどのように貢献していけるか、ということではないでしょうか。
 創価学会の牧口常三郎初代会長は、人類史を大観して、人間の歴史は軍事的競争から経済的競争へ、そして最後は人道的競争の時代にいたると洞察しました。普遍的な「人道」の前進・向上のためにどれだけ寄与しているか、ということが問われる時代がくると言うのです。
 私は世界の諸宗教も、もはや「人道的競争」の段階に入っていると思います。みずからの教義の世界に閉じこもって、人類が直面している課題に応えようとしない宗教は、人々から支持されなくなるでしょう。また、教義自体にしても、一般の人々に理解できない特殊な表現に終始していたのでは、やはり、人々の共感を得ることはできないでしょう。要するに、教義にしても運動にしても、世界に対して開かれた態度を持てるかどうかということが問われているのです。
11  ジュロヴァ 私は、寛容という言葉を開放性として理解いたします。つまり、さまざまな道徳や倫理が共存し、人類の生存という基盤の上に統合され、たんなる消費モデルをこえるのです。このことは、すべての民族文化が正当性を持つということでもあります。
 ところで、創価学会は、二つの大戦を経験した二十世紀の民衆に課せられた至高の義務は、二十一世紀を人類に至高の価値を置く「生命の世紀」にしていくことである、と宣言しています。こうした主張は、どのようなお考えから出たものなのでしょうか。
 池田 私が二十一世紀を「生命の世紀」とすることを提唱したのは、二十一世紀を、すべての人間が画一化のもたらす差別と迫害から解放されて生命の尊厳性を輝かせる世紀、すべての民族文化が豊かな生命の可能性を多彩に実現していく世紀、また、人間と他の生物、大自然が調和して共存していける世紀にしていかなければならない、との決意によるものです。そうでなければ、人類の生存権自体が崩壊してしまいます。さらに、「理性」と「信仰」ということで言えば、人間存在について、理性や意識を十分に尊重しつつも、この次元をこえて、生命の次元にまで洞察の光を差しこむべきである、という主張も含んでいます。
 時代の潮流は、大局的に見て、まさに「生命の世紀」を志向しているように思われます。創価学会は、日蓮仏法の立場から、「生命の世紀」のために貢献していきたいと考えています。
 ジュロヴァ そうですね。全面的に賛成です。世界はその多様性のゆえに豊かなのです。そして、生命は、それを抑圧し、画一化させようとするいかなる力よりも、つねに強靭なものなのです。

1
10