Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

民族と言葉  

「美しき獅子の魂」アクシニア・D・ジュロヴァ(池田大作全集第109巻)

前後
12  池田 優れた弟子について、師匠が記録を残した例ですね。師匠は本物の弟子には、じつに厳しいものです。同時に、じつに温かいものです。師弟とは“全人格的なかかわり”です。それゆえに一点の妥協もなく厳格であり、それゆえに一点の迷いもなく深い信頼で包まれています。最高の人間関係です。
 ジュロヴァ 師匠を持つ人は幸福であり、自分は彼の弟子だと言える人はもっと幸福です。しかし、もっとも幸福なことは、師匠から弟子と呼ばれることです。
 池田 本当にそのとおりです。師匠として、真の弟子に出会えることほど幸せなことはありません。弟子にとって、その師匠の弟子として、その師の教えを実践できることほど、うれしいことはありません。そして、敬服する師匠に弟子としての実践を認められることに勝る喜びはありません。
 ジュロヴァ すべての人が師匠にめぐり会えるわけではありませんね。“師弟の絆”は、血縁と同じように強いものです。
 池田 そのとおりです。仏法では、“師弟の絆”は三世永遠にわたるものだと説きます。
 ジュロヴァ 私は、教師については非常に幸運に恵まれたと思います。古代ブルガリア文学とフォークロアの分野でもっとも優れた専門家であるペーテル・ディネコフ教授は、私を、すでに三十人以上いた彼の弟子たちのサークルに参加させてくれました。
 また、旧ソ連におけるビザンチン芸術の傑出した専門家である、モスクワ大学のヴィクトル・ニキティチ・ラザレフ教授からは、仕事の仕方を教えていただきました。また、ブルガリアのみならず、世界的に名高い歴史家でありビザンチン学者であるイヴァン・ドゥイチェフ教授からは、私は、芸術史の研究は重要なものであること、そして文化史の研究は、感情を交えずに行われるべきだということを教えていただいたのです。こうして、最初の教師たちがあたえてくれた教訓は、のちのちにまで、私の研究生活のなかで役立ちました。
 一方、ヴィクトル・ニキティチ・ラザレフ教授は、非常に早く、七六年に亡くなりました。亡くなる前、私は幸運にも、彼と長い時間話をする機会を持てました。のちに、同じく幸運にも、イタリアで出版された著作『ビザンチン絵画』の中のブルガリア写本に関連する訂正を見ることができたのです。
13  池田 博士は、師の恩に報いるために、今も尊い努力を重ねられている。尊いお心です。私も、恩師戸田城聖先生のお心を体して今日まで歩み続けてまいりました。
 ジュロヴァ 教師は、たんに知識をあたえる人ではありません。知識ならあらゆる方法で得ることができます。教師は方法を提供するのです。そして、それを習得し、さらに発展させる人がいれば、その人は彼の弟子になるのです。
 池田 まったく同感です。師匠の精神を継承し、新しい時代にあわせてその精神を生き生きと表現していくのが弟子の役目です。師匠の開いた道をさらに広げ、整備し、万人が安心して歩めるものにしていく。また、師匠が示した方向へさらに新しい道を切りひらいていく――それでこそ、真の弟子です。
 ジュロヴァ この意味において、“師弟の絆”の特性は、知識に関するものというよりは、むしろ精神的なものなのです。そして、人間自身の人生観に結びついているものです。
 池田 “師弟の道”こそ、人生を歩む羅針盤であり人生の基盤です。師弟の道でこそ、人間はきたえられ、みがかれます。深い人生観、人間観、世界観も構築できるのです。
 ジュロヴァ こうした観点から言えば、身近にだけではなく、遠くに師匠を持つこともできます。それで、私は、マルクス、エンゲルス、レーニン、ディミタル・ブラゴエフ(ブルガリア共産党の創始者)、ゲオルギ・ディミトロフの弟子であり信奉者なのです。
 池田 遠くの師匠と言えば、私は仏法者としては、釈尊や日蓮大聖人の弟子であり信奉者です。近くで言えば、創価学会の初代会長牧口先生、第二代戸田先生は、私の永遠の師匠です。師匠が示した永遠の真理に生きぬく道こそ、弟子の道です。師弟の心からの叫びは“獅子吼”です。獅子の雄叫びが百獣に響くがごとく、人々の心を動かし、時代を開きゆくのです。
 師匠の言葉は、“永遠の真理”です。まさに「ロゴス」です。それは、すべてを開く原始の言葉です。その原点を持つ人は、不動の境地に立つ人です。無限に開けゆく人です。

1
12