Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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音楽と民俗
「美しき獅子の魂」アクシニア・D・ジュロヴァ(池田大作全集第109巻)
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池田
日本の、第二次世界大戦後の高度経済成長は、近代化の代償として、民芸の基盤である民衆の生活を大きく変化させました。生活に根ざしたものであった民芸品も、旅行者向けの土産物へと移っていきました。
また、ラジオやテレビのマス・メディアの普及が、標準語を広げてお国言葉の豊かさをそぎ落としていき、さらには、全国に画一的な流行歌を蔓延させました。このような時代の潮流のなかで、地方独特の民謡はだんだんと影がうすくなっていきました。
ジュロヴァ
若者たちは、様式化されたフォークロアを、儀礼や本物の体験としてではなく、むしろ、見せ物と考えます。様式化されたフォークロアは、「チャルガ」と呼ばれていますが、マス・メディアもそれを支持しています。
池田
民謡の衰退をうれい、保存していこうとの動きも各地に現れました。と言っても、民衆から遊離してしまったかつての民謡を、そのように記録的に保存しても、それは民謡のたたえていた本来の生命の回復までにはいたらない、といった指摘もあります。
ジュロヴァ
私たちの両親は、いまだに精神的にフォークロアと結びついているので、近年のレトロの傾向は、若者を自然環境から切り離し、都市の壁に囲むことであると考えました。また、私たちは、自分たちの子どもたちが伝統を保ってきたという「幻想」をいだいていました。しかし、若者たちの伝統的なものへの関心は、むしろ都市生活のなかの人間の「エコロジカルな」叫びだったのです。
かつては、オリジナルな文化であるフォークロアを通して、国民はたがいに意思を伝達し、みずからと他者を区別してきたのです。しかし、前世紀以来フォークロアは病弱になっており、科学技術の進歩や近代的なマス・メディアに抵抗できないでいました。
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池田
しかし、民衆の大地に深く根ざしているものは、いったんは駆逐されたかのように見えても、たくましく雑草のように、ふたたび新たな芽を出してくるものです。
ジュロヴァ
社会・文化システムとしての古典的なブルガリアのフォークロアは、今世紀に分解しました。しかし、近代ブルガリア文化の枠組みの中でフォークロアに新しい意味をあたえようとの創造的努力が、強力に行われ始めました。言いかえれば、それを現代的なものにするために可能なすべてのことが行われたのです。
目下、若者たちの間で、民俗音楽に対する関心が高まっています。また、古くから歌われてきた歌を現代風にアレンジした歌も、多く見られます。また、伝統的な民謡と現代音楽が、融合している状況も見られます。そのすばらしい例は、著名な作曲家、ゴラン・ブレゴビッチの手による、コストゥリザの映画のサウンド・トラック版です。
フォークロアによるコミュニケーションは、文字によらない有効な方法として、再解釈されつつあります。フォークロア以外の文化、すなわち「高踏的な文化」も、コミュニケーションの最高のシステムとしてのフォークロアに注目しております。
池田
帰るべき大地は、民衆です。民衆が生みだした文化であるフォークロアこそ源泉でしょう。
ジュロヴァ
現代がフォークロアに関心を持つのは、死にゆくものの「痙攣(発作)」としてだけなのでしょうか、あるいは、フォークロアが持つ直接的なコミュニケーションという無限の可能性を、現代の芸術に吸収しようとする試みなのでしょうか。
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池田
伝統に対する哀惜だけでは、それを守ることさえできないでしょう。しかし、現代の生き方を伝統文化から切り離して構築すれば、それは底の浅い、根無し草の不安定なものになることも、明らかです。
ジュロヴァ
ここで私が重視しているのは、「伝統へ向けて」というロマンチックなモットーの復活ではなく、二十一世紀に各々の国家が、みずからの伝統を見いださなくてはならないという点なのです。
池田
非常に大事な点です。私もその点に注目して、民衆に根ざした「第三文明」の構築を訴えました。
先人の知恵、民衆の知恵の豊かな土壌に根ざしてこそ、現代を生きぬく新たな価値の創造が可能になるのです。
ジュロヴァ
私は、ブルガリアのフォークロアが持つ諸要素が、現代の科学技術文明のなかで生き残れるかどうかについては、楽観的に考えています。
池田
私もまったく同意見です。現代人のかわいた魂をいやす重要な要素となるでしょう。
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