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日蓮大聖人・池田大作

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日本における仏教の受容  

「美しき獅子の魂」アクシニア・D・ジュロヴァ(池田大作全集第109巻)

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3  ジュロヴァ 日本で七、八世紀につくられた、巨大な仏像を安置した奈良の東大寺などの大伽藍は、七世紀から十世紀にかけてブルガリアの首都であったプリスカおよび、プレスラフに建造されたバシリカ聖堂や教会と同じように、宗教が信仰というより、むしろ政治的であった状況を表すものであると考えますが、いかがでしょうか。
 池田 おっしゃるとおりだと思います。仏教受容が朝廷や貴族中心であったことは、日本だけに見られた現象ではありません。東アジア諸国においても、宮廷貴族との接触が仏教伝来の端緒となっており、日本が直接、仏教の伝来の影響を受けた朝鮮においても、同じ傾向が見られます。
 病気平癒の祈願から私的に仏教帰依をしていた用明天皇を除いて、仏教が伝来してきた当初は、天皇は仏への崇拝を認めず、中立的立場にありました。やがて、仏教の力が国家の繁栄をもたらすことを期待して、朝廷や貴族の保護と財力のもとに、堂宇・仏像の造営や、仏事・法会の執行を中心に、“鎮護国家としての仏教”、いわゆる「国家仏教」が形成されていったのです。
 その間、歴史的には、天皇をはじめ有力な族長たちは、新しい思想・文化としての国家統一のイデオロギーを期待する崇仏派である「蘇我氏系」と、身近な生活の問題として日本在来の神々からのたたりをおそれる排仏派である「物部氏系」に分かれて対立します。こうした対立の根底には、当時の有力な豪族による権力闘争があり、また、当時の朝鮮半島にあった国々のうち、「百済」と組むか「新羅」と組むかといった、対朝鮮外交の政策の相違をも反映していました。
 蘇我氏と物部氏との対立は武力衝突にいたりますが、その結果、仏教を積極的に受容することとなりました。これには、当時の日本における「社会体制の変革」が大きくかかわっていました。それまでの地方分権的な豪族が支配する社会から、中央集権的な「律令国家体制」への移行です。それまで、氏族が住む土地の神霊を祭る産土神や、直系の祖先を祭る祖先神は、氏族の結合紐帯として機能してきたのですが、そのような氏族の閉鎖性を打破するためにも、世界性・普遍性を持った仏教を国家統一の精神的支柱として採用し、王権を高め、貴族・官人の統一を図ろうとしたのです。
 このような受容当初の事情と、出発点における最初の形態は、日本仏教を根本的に方向づけ、その後の性格を長きにわたって規定しました。それは、日本の歴史を通じて、仏教が“民衆のための宗教”であるよりも、“国家のための宗教”であったという事実によっても示されております。
 僧侶は高級官僚であり、数がきわめて制限されていました。また、日本は四方を海で囲まれています。朝鮮半島や中国に、直接仏教の経典や教理を学びに渡ることのできる者の数も、きわめて厳密に定まっていました。志ある人が仏教を学び、それが民衆に広まるとか、異文化との接触によって、自然のうちに仏教が日本に定着したということではなかったのです。
 博士が挙げられた奈良・東大寺の大仏像を安置した大伽藍などを含めて、全国に建設された国分寺は、日本の仏教受容が政治的なものであった状況を表すものです。
4  ジュロヴァ よく分かりました。
 池田 しかしながら、仏教の伝来が、国家のためのものであったとは言え、仏教が以後の思想・哲学レベルで日本の民衆の精神風土に大きな影響をあたえたことも確かです。
 たとえば、当時の人々が「穢れ」としていみきらってきた死後の世界に、仏教から「浄土」の概念が持ち込まれ、前向きに死後の世界をも視界におさめるようになったことが挙げられます。後に、日本古来の
 死穢観念を転換させた仏教は、さらにやがて、葬祭儀礼を利用して民衆の間に仏教を定着させていくことになりました。もともと仏教は、ことさら葬儀執行の重要性を説いてはいなかったのですが、葬儀という儀式は、民衆に仏教を定着させる役割を果たしました。その反面、死後の世界にばかり目を向け、現実社会、日常生活の内面からの改革という、仏教本来の使命を歪曲させることにもなったのです。
 仏教伝来の後にも、天皇の権力による排仏もありましたが、それほど大きな規模とはならず、それが、わが国における仏教受容の最大の特色ともされております。
 ジュロヴァ それでは、仏教が日本に受容されていくどの段階で、仏教が日本人にとって「個人的な宗教」となったのでしょうか。
 池田 平安時代に最澄や空海が、中国から天台宗や真言宗を導入した時点も、日本では仏教の大きな変革期にあたりますが、鎌倉時代の日蓮大聖人などをはじめとする、いわゆる「鎌倉仏教」において初めて、仏教が民衆の生命変革、個の確立の原理として働いたとされております。

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