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日蓮大聖人・池田大作

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第八章 精神の「内発性」――人類を照ら…  

「21世紀への選択」マジッド・テヘラニアン(池田大作全集第108巻)

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4  二つの文明結んだ“対話の詩人”
 池田 こうした「賢者の論」の精神とともに、実りある対話を成立させるうえで欠かせないものは、たがいの文化的な背景や土壌といった差異を乗り越える「普遍性」への眼差しであると、私は考えます。
 そこで次に焦点をあてたいのが、サアディー、ハーフィズに並ぶ「ペルシャ三大詩人」の一人として名高いルーミーです。
 文明を結ぶ“対話の詩人”であったルーミーは、日本の鎌倉時代、日蓮大聖人とほぼ同じころの十三世紀に活躍しました。当時はモンゴルが領土拡張をめざし、世界に覇を唱えていた時代ですね。
 テヘラニアン まさに、西アジアと中央アジアの大混乱期でした。モンゴルの侵略が旧来の世界を動揺させ、一二五八年にはバグダッドのアッバース朝のカリフ統治を終息させました。
 さらに、ネイシャプールをはじめ、人口一〇〇万を超える都市が潰滅しました。人間はもとより、生きているものすべてが殺されたのです。猫や犬でさえ生き残れなかった、と歴史家は記述しています。
 そうした惨状のもとでは、生きていること自体が疎ましくなり、人々は絶望に打ち沈んでいたと思われます。
 池田 大詩人ルーミーは、そんな動乱の時代に現在のアフガニスタン北部にあるバルフの町の、学者の家に生まれ育ったのでしたね。
 テヘラニアン ええ。ルーミーは、イスラムの優れた法学者を輩出した家系の出でした。彼の父も、バルフにおけるサルタンアルウレマ(学者の王)だったのです。
 ルーミーは、こんな詩を残しています。
 「多くのインド人がいても、(言葉は通じるが、心が通じないのでは)たがいに他人同士である。多くのインド人とトルコ人がいても、(言葉は通じなくとも心が通じれば)たがいに分かりあうことができる。“舌の言葉”よりも“心の言葉”である」という内容です。
 池田 動乱の時代、ルーミーは両親とともに、ペルシャ、イラク、アラビア、シリアと各地に移り住み、ついには小アジア(現在のトルコ)の一都市であるコニヤに定住したと言われています。その詩の中にも、彼が長い旅路を通じて培った、体験と知恵のようなものが凝縮しているように思います。
 テヘラニアン 先ほど会長は、ルーミーを「文明を結ぶ“対話の詩人”」であると言われましたが、この詩を見るだけでも、その着眼点がきわめて的確であることが証明されると思います。
 ルーミーは、異なる地域で誕生した文化的遺産――ブッダ(釈尊)の教えとイスラムの教えを結びつけ、二つの文明の橋渡しをする働きをなしとげたのです。ここでルーミーについて語りあうまえに、彼が生まれ育った中央アジアのもつ地域性について、若干、言及しておきたいと思います。
5  「文明の十字路」としての中央アジア
 テヘラニアン ルーミーの生まれたバルフは、もともとペルシャ帝国の太守の領地でしたが、紀元前三二八年にアレクサンダー大王に降伏します。
 しかし、紀元前二五六年には、そのバルフが独立を宣言し、ギリシャ人に「バクトリア」の名で知られる強大な国家となって、その征服の版図をインド北部の奥にまで拡大したのです。これが結果的にバルフを、ヒンドゥー教と仏教に接触させたと言えます。
 のちに中央アジアにクシャン朝(クシャーナ朝)が興隆したことが、仏教の発展にとって望ましい環境をもたらしました。中国へ最初に仏教が伝えられたのは、じつは中央アジアからです。仏教がインドから中国に入ったのは、イエスキリストと同時代のころでした。
 池田 創価大学のシルクロード学術調査団が、一九八九年と九一年、九三年の三回にわたり、中央アジアのウズベキスタンとの学術交流で、シルクロードの
 要衝であった遺跡を共同で発掘したことがあります。
 なかでもクシャン朝の遺跡が多く、当時の都城や集落の跡が発見されました。創価大学の学術調査団が調査した「ダルヴェルジンテパ遺跡」も、クシャン朝の代表的な都城址であったと言われます。
 クシャン朝の時代(盛期は紀元一―三世紀)、インドでは大乗仏教が栄えました。またガンダーラ芸術が興隆した王朝としても知られています。
 最盛期の王であるカニシカ王は、仏教を厚く保護し第四回の仏典結集も行った。またこのころ、竜樹馬鳴らの大乗学者が活躍しました。
 テヘラニアン 創価大学の調査団による「南ウズベキスタンの遺跡」に関する本を拝見しました。仏教の伝播を含めて、いかにして中央アジアが文化交流と交易の十字路になったかを理解するには、こうした歴史的背景をふまえておく必要がありますね。
 シルクロードを通って東と西からやってくる商人たちが物資を交換していた時代に、一方では学者たちが宗教と政治の思想や知恵をたがいに伝えあっていたのです。
 池田 はるか東方の中国へ渡って栄えた仏教美術にも、ガンダーラ美術の影響があったことは、敦煌の千仏洞の仏像群や絵画などにもうかがえます。それがさらに日本に伝来して、仏教に大きな影響をあたえたとも言われています。
 もしもカニシカ王による仏教保護と興隆がなければ、仏教の世界宗教としての性格の醸成はもっと遅れたのではないか、と指摘する識者もいるほどです。
 カニシカ王の仏教史上の功績は、じつに大きいものがあります。
 テヘラニアン 私も一九七一年にアフガニスタンを、九二年と九四年には中央アジアを訪れましたが、往時の文化交流の遺産のすばらしさを見ることができました。
 池田 そういえば、私たちが最初に東京で会談した(一九九二年七月)のは、たしかちょうど、博士がシルクロードへ向かわれる旅の途中のことでしたね。
 テヘラニアン ええ、そうでした。
 一九七一年に当地を訪れたさい、アフガニスタンと旧ソ連の国境に流れているアムダリヤ川の川岸で、ギリシャ時代の都市国家の遺跡を見ました。そこでは、礎石や台木、幾何学模様の壷などが発掘されました。
 カブール(アフガニスタンの首都)の郊外数マイルのところにあるバーミヤーンの石窟では、周囲の山に彫られた壮大な仏像を見ました。もっとも大きい彫像は、高さが五十五メートルもあるということでした。像の背後には、僧房窟がありました。一時期は、アジアの各地から参拝に訪れる仏教徒が集まる場所だったのです。
 カブール博物館では、ギリシャ的特徴と仏教の特徴とが融合した、特異な様式の彫像と装飾のデザインにふれることができました。しかし、不幸にも博物館は内戦で破壊されてしまいました。
 武装勢力タリバンによる攻撃で、巨大な仏像は大きな損傷を受けたと聞いております。多様性の奥にある「人間性」の普遍の光
 池田 一方で、中央アジアは、イスラムとの間でも深い関係を育んできていますね。
 テヘラニアン ええ。イスラムが七世紀に中央アジアにおよんだときは、すでにそこにはじつにさまざまな伝統――ヒンドゥー教、仏教、道教、ギリシャ思想、イラン思想(ゾロアスター教、ミトラ教、マニ教、マズダク教)――が根づいていました。
 イスラムはこれらの文化伝統に対し、最終的には対話関係を結ばざるをえませんでした。そしてイスラムは、すでに豊饒であった文化のうえに、独自の宗教的、文化的な寄与を果たしていったのです。
 池田 スーフィズム(イスラム神秘主義)も、そうした諸文化と諸文明の接触の影響を多分に受けたものと理解してよろしいですか。
 テヘラニアン そのとおりです。スーフィーの教えはイスラムの比喩と象徴を用いていますが、その中身はまったく普遍的で多文化的です。
 そうした総合化の働きが主眼としたものは、法の条文よりも法の精神を、シャリーア(イスラム法)よりもタリーカ(道)を、理知よりも心理を、外形や儀式よりも内的真理を、偶像よりも真髄の礼拝を、生の差異よりも存在の統合を、重んじることでした。
 スーフィーの教えは道教にもよく似ており、道教のように道を志向し、詩歌を伝道の手段として用いました。
 池田 詩人ルーミーは、こう述べていますね。
 「一〇個のランプが、同じ場所で灯っている。(ランプの)外形は、みな、それぞれ異なっているが、その明かりを、じっと見たとき、どの光がどのランプのものなのか、見分けることはできない。(それと同じく)精神の領域には、いかなる分断もない。そこには、いかなる個も存在しない」――と。
 人類の統合さえ構想していたと言われるルーミーが訴えているように、たとえ百の国、千の民族があろうとも、その多様性の奥には必ず「人間性」という普遍の光があるはずなのです。
 人類の心にこの光を灯し、その光をたがいに寄せあうことが、今こそ求められています。またそれは、民族や文化伝統といった多様性を、真に生かす道であると言えないでしょうか。
 テヘラニアン 同感です。現代はある意味で、十三世紀の西アジアや中央アジアと似かよっていると言えます。
 つまり、科学技術の大進歩は私たちの社会に絶え間ない変化をもたらしましたが、その一方で限りない欲望が人々の心を支配しているのです。
 そして、このことから生じる不安と懸念が、官僚化の進む社会の中で生の匿名化や抽象化に結びつき、一人一人の人間を精神的な意味で“根無し草”の存在としているのです。
 池田 こうした現代人の状況は、チェコの哲人政治家、ハベル大統領が「自分自身の主人になれない」危機と指摘しているところです。
 テヘラニアン 現代は信仰もなく、真の共同体もなく、確たる指針もない無意味な世界が広がりつつあると言えるでしょう。
 そうしたなかで、人生の意味を探求する世界中の思慮深い人々は、自分たちのかぎられた文化の地平の彼方をのぞみ見て、他の文化や文明のなかに現在の難局を打破する答えを求めています。
 だからこそ、世界各地で大乗仏教の流れをくむSGIが発展し、アフリカやアメリカでイスラムが、旧ソ連の諸地域と中国でキリスト教が、それぞれに発展していると私は見ております。
 世界のどこを訪れても、排他的な民族主義、自民族中心主義、「文化の自己讃美主義」を超えることのできる普遍性が希求されているのを、つくづく実感するのです。
6  大いなるコスモス――「共生」の秩序感覚
 池田 そうした時代の志向性については、私も一九九四年に行ったモスクワ大学での講演(「人間―大いなるコスモス」がテーマ。本全集第2巻収録)で大要、次のように論じました。
 ――『法華経』では譬喩をもって、それぞれの“衣服の裏”に、等しく同じ宝を、すなわち「仏性」という尊厳な「普遍の生命」を見いだすことを説いている。
 そうした認識を通じて、異なる文化や民族、文明に属するあらゆる人々が、宇宙的な自己認識に到達していく。そこで浮かびあがってくる「普遍性」とは、人間と自然と宇宙が共存し、小宇宙(ミクロコスモス)と大宇宙(マクロコスモス)が一個の生命体として融合しゆく「共生」の秩序感覚であり、そうしたみずみずしい「普遍性」を生命に充溢させていくならば、たとえ属する集団が異なったとしても、対話も相互理解もつねに可能である――と、訴えたのです。
 テヘラニアン まことに示唆深い哲学ですね。
 現代においても、人々の精神的希求に呼応するかのように、新しい“神話”が登場しつつあります。
 いわゆるユダヤ教のいう「選民」や、もともとはアメリカの領土拡張を正当化した「自明な運命」、あるいはキップリングの詩の題名に由来する「(有色人の未開発国を指導すべき)白人の責務」といった古い神話に代わる、新しい神話が登場してきているのです。
 なかでも、地球を一個の生命体とする「ガイア」神話は、母なる地球を守る共同の努力に諸民族、諸部族を連帯させうる強力な普遍的神話であると言えるでしょう。こうした創建神話は、たがいの差異を超えて、すべての文明の基盤を形成するものです。
 それに対して、特定の人種や民族の優越性を奉じる信仰は、帝国主義を台頭させ、しばしば戦争を引き起こし、破壊をもたらしてきたのです。
 池田 今日、世界各地で頻発している民族問題も、そうした閉鎖性が根底に横たわっていると私も思います。
 先のモスクワ大学での講演でも言及したのですが、トルストイの『アンナカレーニナ』の中に、こんなくだりがあります。
 セルビア戦争にさいして燃えあがった、自己犠牲をも辞さない民族的熱狂に水をさすように、登場人物レーヴィンは、こう言います。「しかし、単に犠牲になるだけでなく、トルコ人を殺すんじゃありませんか」(中村白葉訳、『トルストイ全集』8、河出書房新社)と。
 この短いセリフに端的に示されているように、民族的熱狂のような狂気には、他集団に対して非人間的な行為を平然と行ってしまう“魔性”がひそんでいると言えましょう。
 またレーヴィンは「神性の現れ」を自分のうちに感じながら、こう自問します。“ほかのユダヤ教徒や、イスラム教徒や、儒教の徒や、仏教徒――彼らは、この最善の幸福を奪われているのだろうか?”と。レーヴィンが感じたものは、まぎれもなく内発的な啓示でありました。そこで、彼は考えたのです。こうした幸福はキリスト教徒にかぎられているのか、異教徒はどうなるのか、と。
 トルストイが提起する、このレーヴィン的懐疑こそ、自己の内面を見つめ直し、普遍性のなかで、新たな自分を創りあげていこうとする内発的な力であると、私は考えるのです。
7  歴史の転倒正す「人間革命」運動
 テヘラニアン そこに、宗教的ドグマ(教条主義)を乗り越えるカギがありますね。
 ドグマに呪縛された宗教は、歴史上、数えきれない悲劇を人間にもたらしてきました。
 池田 「内発性」――それは古来、人格的な価値の枢軸をなし、対話の要件ともいうべき、謙虚さ、寛容性を生みだす母胎となってきたと言ってよい。
 この「内発性」をおろそかにしたがゆえに、宗教史において独善や傲慢が横行し、“宗教のため”に人間が傷つけあい、殺しあうという転倒が繰り返されてきたと言えるのではないでしょうか。
 “宗教のため”ではない、いっさいの根本は“人間のため”という一点にある――私たちSGIがめざす「人間革命」運動は、こうした歴史の転倒を正し、ともに光り輝く地球文明を創出するための方途として、一人一人の人間生命の次元からの変革を第一義として掲げているのです。
 テヘラニアン すばらしいことです。
 戦争や無知、そして不正に対抗して世界を一体化させ、人々を結びつけるために、科学的証拠にもとづく「ガイア」神話のような基軸的原理を皆が心にいだくべきときが、到来していると私は思います。
 “宇宙船地球号”を文明間の平和、友好、超越をめざす私たちの共同の旅の乗り物と見なす「地球文明」は、会長が主張されるように、まさに一人一人の「人間革命」を基軸として創造されなくてはならないのです。

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