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日蓮大聖人・池田大作

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第二章 「寛容」と「多様性」――地球ル…  

「21世紀への選択」マジッド・テヘラニアン(池田大作全集第108巻)

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12  「寛容」が学者科学者の交流を促進
 テヘラニアン アリストテレスの著作などと同時に、イブンルシュド、イブンシーナなどのイスラムの哲学者の著作や思想もヨーロッパにもたらされ、中世のキリスト教神学の完成に大きな影響をあたえました。
 池田 これらの学者はアヴェロエス(イブンルシュド)、アヴィセンナ(イブンシーナ)とラテン語読みにされるほどヨーロッパで親しまれ、影響をあたえていますね。とくにイブンルシュドは、ラテンアヴェロイストと呼ばれる後継者たちをヨーロッパキリスト教内部に生んでいます。
 テヘラニアン 中世のヨーロッパは、閉鎖的な封建公国が割拠する時代が続いていました。それにくらべると同時期のイスラム諸国は開放的であり、広大な地域にわたる交易と人々の往来があって、このことが学者たちが原典にふれることを可能にしました。とくに、イスラム諸国中のユダヤ教、あるいはキリスト教の学者たちの働きは見落とせません。
 池田 アッバース朝の首都バグダッドには、イェシヴァ
 というユダヤ教の律法学院ができましたが、ここで『タルムード』(ユダヤ教の律法注釈書)の研究、編纂にたずさわったラビ(ユダヤ教の律法学者)たちがウラマー(イスラム法学者)と交流を行い、相互に影響をあたえあったそうですが。
 テヘラニアン イスラムが寛容であることは明らかでしたから、学者や科学者たちはどこの出身であろうと対話をし、交流することができたのです。ムスリムとキリスト教徒が共存していたスペインの例が、代表的なものです。
 池田 八世紀にスペインがイスラム圏に入ってから、コルドバやグラナダはヨーロッパ人が先進のイスラム文化に接することができる場所でした。これらの都市の大学で、ヨーロッパ諸国の学生は科学や芸術を学んだ。ことに美しいアルハンブラ宮殿のあるグラナダは、別名「ユダヤ人の街」と呼ばれるほど多くのユダヤ人が住んでいました。
13  画一化は死、多様性こそ文化の生命力
 テヘラニアン しかし一四九二年に、ムスリムがスペインから追い出されるやいなやユダヤ教徒も追い出され、以後、キリスト教の異端者に対する暗黒の宗教裁判が続きました。こうした歴史にもとづく教訓の意味は明らかです。すなわち、多様であることが文化の生命力の淵源であり、画一化は文化を沈滞させるのです。
 池田 多様性の否定について、テオドールアドルノも「純粋な同一性は死であるという哲学命題の正しさをアウシュヴィッツは証明している」(『否定弁証法』木田元徳永恂渡辺祐邦三島憲一須田朗宮武昭訳、作品社)と述べています。生命とは多様性の別名です。画一化は死です。多様な
 文化を尊重し、ともに共存の道を模索することが、文化の画一化が進行する現在、もっとも求められていることではないでしょうか。人間と人間が語りあうこと、これがすべての始まりです。人間と人間が心を開きあい、知りあい、友情を深めあえば、そこからいくらでも相互の違いや多様性に対する理解が生まれるのです。
 テヘラニアン 同感です。そして、この対談こそが、そうした努力を促進するものとなることを願ってやみません。

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