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日蓮大聖人・池田大作

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対談にあたって  

「健康と人生」ルネ・シマー/ギー・ブルジョ(池田大作全集第107巻)

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5  “詩心”は人間と自然と宇宙をつなぐ
 池田 では、次に、ブルジョ博士に、若干、質問をさせていただきたいと思います。ブルジョ博士もモントリオールのお生まれですね。
 ブルジョ ええ。私はモントリオールで生まれ、これまでの人生の大部分を都会で過ごしました。いわば都会生活が骨の髄まで染みついていると言えるかもしれません。
 その一方で、海や湖、あるいは河川や田園地帯や森も好きです。静かな海、あるいは荒れ狂う海を眺め、木々をわたる風の音に耳をかたむけ、森のこだまを聴くのが好きで、そのようにして何時間も過ごすことがあります。
 その後で都会の喧騒、ざわめく人込みのなかに戻ってくると、やはりそこが自分にとってもっともふさわしい生活の場であるように思えます。
 池田 詩的な表現のなかに、自然を愛し、そして人間のなかへ飛び込んでいかれる博士の誠実なお人柄がうかがえます。
 ブルジョ 私はたぶん、文学の人間ではないかというふうに感じています。もともと、戯曲にしても、小説にしても、何でも読むという文学少年でした。
 後に哲学、神学を勉強して、現在では倫理学、教育学を教えるようになりましたが、しかし、私の根底には文学があるのです。それは『聖書』であり、またギリシャの詩であったり、フランス文学であったり……。
 学生にも笑われるのですが、私は科学というよりも、たとえば、映画にこういうのがあったとか、こういう文学があったとか、たんに、堅い科学的なものだけでなく、文学的なものや芸術的なものに、私が論拠やいくつかの参考資料を探すことを学生が非常におもしろがるのです。
 文学は複雑性、曖昧性、また矛盾というものに対する理解をうながすものだと思います。科学は、複雑に絡みあっている現実から切り離された一つの現象だけをとらえるのです。
 池田 文学や詩は、現実の「全体」を「直観知」で、ありのままに描き出そうとします。一方、科学は、現実を分析し、その「部分」の要素とか、関係性を「分析知」でとらえていきます。
 人類にとって、文学や詩、哲学、宗教も、また科学も、ともに貴重な精神的遺産ですが、私もどちらかと言えば、詩や文学に深い魅力を感じています。
 ブルジョ 会長の著書は何冊か読ませていただきました。それと詩も、何編か拝見させていただきました。会長がそうした作品を通して、他者と分かちあうことの大切さや、私たちは自然界の中に属しており、その一部であること、あるいは、私たちを取り巻く「環境」の中に存在しているのだということを、さまざまな経験をふまえて語っていらっしゃることがわかります。
 池田 人間界であれ、自然界であれ、単独で存在するものはありません。たがいに関係しあい、依存しあいながら一つのコスモス(宇宙)を形成しています。文学や詩は、人間と自然と宇宙をつなぎ、融合し、分断された“魂”を癒す働きをもっています。
 “詩心”は、そうした万物一体の宇宙の広がりの中にある自分を感じさせてくれるものではないでしょうか。
 さて、博士は大学卒業後、カトリックの聖職の道を歩まれました。そして二十年後、教会から離れ、今日まで第一線の研究家として倫理学、とくに生命倫理の問題に取り組まれていますね。
 ブルジョ 私が聖職を離れた理由は、それに入った理由と同じでした。それは、自由と不服従という価値のため、また、より他者とかかわるためです。専門分野としては、倫理と教育に関する諸問題に、社会的、政治的次元から光を当ててみることに興味があります。
 倫理と教育の二つを研究テーマとしていますが、教育とは根本的には倫理を教えることであり、倫理観は教育によってつちかわれると思っています。教育は他人より優越するために受けるものではありません。われわれは人を教育するのではなく、自分もともに学ぶのです。
 池田 現代の教育がかかえる問題の急所をついた言葉です。そのとおりと私も考えます。
 博士は、かつて「良質の人間生活」を得るための方法について、論文で言及されたことがありますね。「人生いかに生くべきか」……これは、だれびとにとっても大切な問題です。
 ブルジョ 人生とは、それについて考察したり、その意義を省察する前に、まず生きなければならない現実です。未知のものに挑戦し、新しい知識に向かって前進するところに人生そのものを感じますし、期待というか、絶えざる緊張をおぼえます。
 また、地平線は近寄れば近寄るほど遠のいていきます。それを生きるのが人生であり、決して手の届かない地平をどこまでも追い求めていく以外に人生の意味や目的があるとは思えません。
 池田 なるほど。博士の人生に向かう姿勢がよくわかります。
 ブルジョ 人生をすばらしいと思うか、それとも、人生をあまりにも不条理に満ち、ときには絶望であると思うか。
 他者との絆は蜘蛛の巣のように交錯して織りなされ、そこからさまざまな出会い、交流が生まれます。そのなかでこそ、人は苦闘することにさえ歓喜を見いだすことができるのです。
6  二人の恩師とすばらしい善友
 池田 味わい深い言葉です。
 シマー 博士にもうかがいましたが、人生で大きな影響を受けた人物はいますか。
 ブルジョ 大学時代の恩師の一人に、文学部のジュリアン・ラピエア教授
 がおります。教授の人格、また文学に対するアプローチにはたいへん感動しました。
 一つの出来事をよく思い出します。教授はある日、詩を詠んでくれました。心服するようなみごとな力強い朗読をしてくださった。そういう先生だったのです。
 私は、その詩を分析し、解説することになっていたのですが、読み終えた教授は、私が批評することを拒みました。あまりにもすばらしい詩で、解説して、かえって損なうようなことが絶対にあってはいけない、と言って……。
 その瞬間に、私は、この世には、科学的な方法や分析では把握できないもの、そのまま全体として理解し受け入れなければならないものがあることに気づいたのです。
 池田 興味深いエピソードです。恩師は、「詩」と「科学」との根本的な相違を、博士に“体得”してもらおうとしたのですね。
 ブルジョ ラピエア教授はグローバルな観点でものごとを広くとらえる人物でした。私にとって、つねに自分もあのようになりたいと憧れる対象であり、目標にした人でした。教授は心も視野も非常に広く、それでいて自分の考え方には過酷なまでに厳密で、首尾一貫していたからです。
 池田 博士も、シマー博士と同じように、かけがえのない偉大な「師」に会われていますね。
 人生の目標にできる「師」に会うことほど、最高の喜びはありません。
 ブルジョ 私には、もう一人恩師がいます。私が十七歳のころ出会ったクロード・ラベル教授です。おそらく、教授はそのころ、まだ三十歳くらいだった
 と思います。
 私にとって何よりも印象深かったのは、教授が私たちのことを非常に注意深く見てくれていたことで、彼の下に集まった学生一人一人に対して、力になってあげようとする姿勢にあふれていました。
 ラベル教授からは、それが自分たちが取り組んでいる事柄であれ、または周りの人々であれ、それらに対し、つねに注意力を高く保つことがいかに重要かを学びました。何ごとに対しても衰えることがなかった注意力の高さは、彼個人にとどまらず、授業を受けた学生たちにも受け継がれていると思います。
 とにかく、この二人は、私にとってかけがえのない恩師であり、それぞれから違った面で影響を大きく受けました。ある意味で言えば、この二人から影響を受けたからこそ、教壇に立っている今の自分がいるのだと思います。
 池田 釈尊は次のように説いています。
 「偉大な師に出会うことのできない人は多いが、偉大な師に出会う人は少ない。偉大な師の説かれた教えを聞かない人は多いが、教えを聞く人は少ない。教えを聞いて、それを実行しない人は多いが、教えを聞いて、それを実行する人は少ない」(「アングッタラ・ニカーヤ」)
 師の教えを聞く幸運にめぐり合っても、師の心を弟子として実践しなければ、それは、聞いたことにはなりません。弟子に、師への「感謝」と「報恩」の心があってこそ、師の一言一句を、実行に移せるのです。
 博士は、かけがえのない二人の恩師に出会い、その教えを弟子として実行されている。希有のことです。博士の深い見識の源泉がよくわかりました。
 ブルジョ ありがとうございます。さらに私が、影響を受けた友人の一人に、レオ・コーミエ氏がいます。ケベック市民人権連盟会長を務めた人です。
 コーミエ氏は、教育者ではなく、ソーシャル・ワーカー(社会福祉に従事する人)で、若いころにはたいへん苦労された方です。また、彼は厳密には文学者ではありませんでしたが、非常に文学的な人でもありました。
 彼の勉強のしかたというのは、いわゆる学校での勉強や本を読んで学ぶといった伝統的手法ではなく、主に人の話をよく聞いたり、実生活のなかでさまざまな事柄に関心をもって鋭く観察することでした。彼は、そういう方法で知識を高めてこられた非常に頭のよい方です。彼の知性は、言うなれば、現実性に富んだ知性なのです。
 池田 博士は、二人の恩師のほかに、すばらしい善友にも恵まれたのですね。
 コーミエ氏は現実生活のなかで知恵を体得していかれた。それこそ、まさしく“生きた知恵”です。苦悩と対決し、現場で磨きあげられた観察眼ほど、本質を見抜く確たる知恵はありません。
 博士とコーミエ氏の友情について、もう少し語っていただけますか。
 ブルジョ 私が彼と出会ったのは、人権連盟の会合でした。私が彼に魅了されたのは、理論的な考え方と現実的な考え方の双方を組み入れた、まったく新しい枠組みでものごとをとらえて、独自の意見を構築することができた点です。
 私たちは、よく話しあう機会をつくりました。そして、おたがいの違いも認めあえる間柄になりました。私は幸運にも、彼のような非常に現実的な物の考え方ができ、実践的な知識を備えた人と関係を深
 める機会にも恵まれたのです。
 池田 たがいの違いを認め尊重しあっていく、相手の良いところを謙虚に学んでいく……それでこそ真の友情です。
 ブルジョ この対談を通して、重要な諸問題に関する会長のお考えを知り、一つの仏教的伝統のなかから、今の時代のために何を汲み取ることができるかを学ぶ機会をもてることはうれしいことです。
 シマー ところで、会長は写真や映像で見るよりもずっとお若く見えます。どうすれば、そのような若さが保てるのでしょうか。私のほうが本当は、七歳若いはずなのですが。(笑い)
 池田 いえいえ、シマー博士のほうこそ、はつらつと活躍しておられます。
 仏法では、「連持色心」と説きます。肉体(色法)と精神(心法)が一体である生命が、永遠に連続していく姿を言います。心身が調和しつつ働き、自己の生命の向上へ、充実へと回転していく。それが人生の一つの理想です。
 ともあれ、体の健康は当然として、心と頭脳の健康、社会の健康が大事です。
 「すばらしい価値ある人生とは何か」「幸福の条件である『健康』な人生は、どうすればつくれるのか」「最高に悔いなき人生を送るために、医学は何を教えてくれるのか。仏法の英知は何を教えてくれるのか」
 語りあいましょう!人類のために! 二十一世紀のために!

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