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日蓮大聖人・池田大作

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十、進路の変更  

「21世紀への警鐘」アウレリオ・ペッチェイ(池田大作全集第4巻)

前後
3  池田 進路の方向が間違っている場合は、前進すればするほど、正しい道から、いわんや正しい目標から、遠く離れていってしまうものです。したがって、一刻も早く、正しい方向へ進路を取り直すことが肝要となるわけです。
 私は、人間の崇高さは、どれだけ遠くへ進んでいるか、どれだけ速く前進しているかではなく、どれだけ正しい方向をめざしているかであると考えます。古代インドの釈尊とその弟子たち、中国の孔子一門、古代ギリシャのソクラテスやプラトン等は、科学的知識量や物質的豊かさについてみれば、現代文明社会のわれわれより、劣っているかもしれません。しかし彼らは、人間はいかに生きるべきかについて、われわれよりずっと地についた、正しい考え方をもち、その考え方にもとづいて生活も営んでいました。私たちは彼らを人間として崇高であったと認めざるをえませんし、日々の生活の精神的充実感は現代人とは比較にならないほど深いものだったのではないかと想像します。
 それは、同じ現代に生きる人間についてみてもいえることではないでしょうか。時代の先端を行く、高度に発達した科学技術文明・物質文明の中で生活している人びとに精神的な病弊が蔓延しているのに対し、物質的には豊かでなくても、自然との調和の中で身体に汗を流して働き、家族や友人たちと和やかに生活を楽しんでいる人びとのほうが、はるかに健全であり、顔色も輝いている姿を見ることがあります。
 ともあれ、どれだけ遠くへ、速く進むかという問題の解決は個人レベルでは不可能かもしれませんが、方向の転換は、個人個人の問題です。各人でできることであるとともに、また、各人にしかできないことでもあります。そうして、正しい方向をめざす人間が社会に広がっていったとき、社会と文明の全体も、人間を中心にし、人間の尊厳を至高の目的とした正しい方向へ向かうようになるのです。
4  ペッチェイ 結論として、私は人類の苦境の厳しさはもはや否定できないところであり、世界の状況と動向は極度に深刻であって、この傾向に歯止めをかけ、転換することが絶対に必要であるという、私たちや他の人びとが絶えず発している警告は、無視されてはならないと思うのです。この前提を余すところなく明確にしたうえで、私は、同じ確信をもってその流れを変えることは。、われわれ自身の力でできるのだ。ということを、ここでもう一度申し上げたいのです。この歴史的転機に、人類の営みの遂行に責任をもつわれわれの世代が、世界のいたるところで、人類の状況を困難にしている障害や否定的な環境に打ち勝ち、人類の状態の凋落的傾向を転換するための、あらゆる知識と手段をもっていることは疑う余地がありません。
 地球の状態がますます恐ろしいものになっていることを認識しないとすれば、それは無責任なことでしょう。しかし、それ以上に、その状態を好転させる客観的可能性をわれわれがもっていることを信じなかったり、その変革をもたらすために最善の努力を尽くさないとすれば、それはさらに良くないことでしょう。どちらの態度も、将来、未来の人類の歴史に計り知れない結果を招く、重大な誤りとして非難されなければなりません。
 われわれのだれもが、現在犯されているこうした数々の過ちを回避するために、寄与することができるのです。そして、人間革命こそが、新しい進路の選択と、人類の幸運の回復を可能にする積極的な行動の鍵なのであり、したがって、われわれは人間革命を推進すべく、力の及ぶかぎりあらゆる手を尽くさなければなりません──手遅れにならないうちに。

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