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日蓮大聖人・池田大作

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八、教育と学習のために  

「21世紀への警鐘」アウレリオ・ペッチェイ(池田大作全集第4巻)

前後
6  池田 創価学会の牧口常三郎初代会長は、小学校の校長を務めた実践的教育者であるとともに、教育理論家でもありました。牧口初代会長が教育制度のあり方について持論の一つとしていたことに、半日学校制度というのがあります。つまり、半日は学校で学び、半日は実社会で働くことが、本当の教育のために最も有効であるというのです。
 実社会での生活の基盤から離れて、ただ知識を習得し理念を学んでも、知識のための知識に陥ったり観念の世界に遊ぶ結果になりかねません。学んだ知識を現実とのかかわりの中でとらえていったとき、知識は一時的に暗記された知識でなく、知恵への栄養源となり、その人の身についたものになっていきます。種々の思想や理念も、現実生活の基盤があれば、正しい位置づけがなされ、活かされていきます。現実生活の基盤から離れて思想や理念に没頭していった場合、どのような悲喜劇が起こるかをその極端な姿で描いたのが、セルバンテスの『ドン・キホーテ』でした。
 牧口初代会長は、教育が現実生活から浮き上がった観念の世界にならないためと、また、現実の社会と人生が、常に新しい知識や理念の刺激を受けて向上していくためという二つの意味から、半日学校制度を提唱したわけです。
7  私は、いま、ペッチェイ博士が述べられた学習と教育とを区別するとともに、この両者が健全に機能し補い合っていくようにしなければならないという点に関して、牧口初代会長の半日学校制度は、その基本的具体化の一つのあり方となりうるのではないかと考えます。
 それとともに、現代のような混乱した時代にあっては、常識の学習という健全な基盤こそが大事になるとのご指摘に関して、私は心からの共鳴をおぼえます。これも、牧口初代会長が口ぐせのように言ったことですが、「道に迷ったら出発点に戻れ」というのです。ごく当たり前のことですが、人間は、道に迷ったことに気づきはしても、せっかくここまで歩いてきたのだから、これまでの努力をムダにしたくないという執着心を拭い去ることがむずかしいものです。その結果、出発点に戻ることを延期しようとします。そして、ますます迷路に入り込んでいくのです。
 現代人にとって出発点に戻ること──それは、人間とは何か、どう生きることが人間らしい生き方なのかということを思い浮かべ、そこから、一切の文化を立て直すことです。早い話、人間が互いに殺し合うことが人間らしい生き方なのかどうか、この一点から考えれば、戦争と平和の問題も明瞭でありましょう。また、常識という出発点に戻ったときに、万人の参画の道が自ら開かれることは間違いありません。
 注1 ローマ・クラブ第六レポート『限界なき学習』(J・W・ボトキン他著、大来佐武郎監訳、市川昭午他訳、ダイヤモンド社)=一九八〇年発刊。
 〔英語版 No Limits to Learning,A Report to The Club of Rome,by J.Botkin,M.Elmandjra and M.Malitza,Pergamon Press,Oxford,1979:ドイツ語版 Das Menschliche Dilemma,Verlag Fritz{Molden,Wien and Munich〕

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