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日蓮大聖人・池田大作

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一、なぜ人間革命か  

「21世紀への警鐘」アウレリオ・ペッチェイ(池田大作全集第4巻)

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9  池田 博士の言われる「強力にして革新的な人間主義」の要請に応えるものこそ、私は仏教の説く生命変革であることを、ますます確信いたします。
 人間存在は、さきに挙げた貪欲・瞋恚・愚癡といった本然的な生命のもつ衝動に動かされやすく、また、各人がもっている運命・宿業の大波に翻弄される小舟のような、はかない存在であるといっても過言ではないでしょう。ちょうど嵐にあった小舟が、自らは考えもしない方向へ押し流されていくように、人間も、理性では、たとえば自然を大切にしなければならないとわかっていても、生きていくため、目前の利益のために、自然を破壊したり汚染してしまう場合が多いのではないでしょうか。あるいは、理性的には平和を望んでいても、不安や恐怖にかられて軍備を強化し、わずかな事件がきっかけになって大戦争を起こしてしまったことも、すでに数多く経験してきている事実ではないでしょうか。
 そうした衝動的な力や、さらに奥深いところで、ちょうど目に見えない海流が小舟を押し流し、運んでいくように、個人の人生や社会を動かしている運命的な力に対抗できるためには、人間主義は、よほど強力でなければなりません。
 仏教では、万人の生命の奥底に、宇宙的大我ともいうべき、広大にして力強い実体があると説き、これを仏性と呼びます。そして、この仏性を開き顕して、そのもっている力を現実の人生と行動に発揮していくことを教えたのです。
10  法華経では、この本来もっている仏性を顕す法を妙法蓮華経として明かすとともに、この妙法を実践し弘める主役として無数の菩薩が説かれ、その菩薩の中心者として四菩薩の名が示されています。しかし、この四菩薩は、具体的人物として存在するというより、仏性が顕現したときに備わる生命的特質の一表現であると日蓮大聖人は教えられています。
 四人の菩薩の名とは、一人は上行菩薩といって、すぐれた行いという意味をもっています。一人は、無辺行菩薩といって、自由自在で行き詰まりがないという意味をもっています。次の一人は浄行菩薩といって、何ものにも汚されない清浄さという意味です。最後の一人は安立行菩薩といって、何ものにも崩されない安定性を意味しているのです。
 妙法蓮華経を実践し仏性を顕したとき、この四菩薩によって象徴される生命的特徴が現実化され、その人生は、揺るぎない人間主義に貫かれるようになるというのが、法華経の教える原理なのです。私たちが提唱し、また自ら実践目標としている「人間革命」とは、この仏教の教えを精髄としたものなのです。

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